ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今期の松阪

2015-04-15 14:38:00 | スポーツ

多分、ダメだろうなァ。

今年、MBLから日本球界に復帰した松坂投手だが、さっそくに故障を引き起こし、現在も復帰のめどはたっていない。下手すると、このまま引退ではないかと囁かれる始末である。

私はバックネット裏の席で、松坂の投球を生で観たことがあるが、それは凄い剛球投手であった。それなりの実績も挙げているし、日米野球での活躍も記憶に鮮明に残っている。

ただ、日本に居ることから、いささか不安定な投手だとも思っていた。三振もとる一方で、けっこう打たれている印象が強い。しかも、ホームランを打たれる場面が強く記憶に残っている。

プロ野球の世界では、情報収集と分析、対策が著しく進んでいる。何時しか松阪は、ライバル球団から徹底的に分析され、よく打たれる投手となった。もちろん松坂も西武球団スタッフの分析のもと対応している。

ただ、どうも松阪は他人のアドバイスを聞かない傾向が強いようなのだ。実際、どんなに対戦相手が情報をもって松坂に対峙しても、その直球が走っているときはお手上げだった。松坂の剛球は、小手先の対応策を蹴飛ばす威力があった。

しかし、松坂も人の子、いつもいつもストレートが走っているわけではなく、直球の調子が悪い時もある。そんな時、大概の投手は変化球主体に変えたりして、臨機応変に投げる。松坂も対応していたが、この変化球主体の時はキャッチャーのリードと、守備陣との連携が重要になる。

ところが、いつもお山の大将であった松坂は、これが苦手であった節が見受けられる。どうも直球へのこだわりが強く、どうも守備陣との連携がイマイチだった印象がある。もっとも20代の若手の時はそうでもなく、むしろ若手とはいえない年齢になってからのほうが、よくなかったように思う。

どうも、他人のアドバイスを素直に聞けない気質のように見受けられる。率直に言って、自らの剛球に自信を持つ投手には、しばしばみられる傾向である。このタイプは、徹底的に依怙地に唯我独尊で押し切るか、さもなければ軟投のピッチングに自らを変えるか、どちらかでないと潰れることが多い。

松坂はどちらかといえば、前者でありたいようなのだが、怪我の多さと故障によるブランクが長く、押し切るには実績が足りない。このままだと、チームからも冷遇されて居場所をなくし、投げたくても投げる機会がなく、引退せざるを得ない投手になりかねない。

才能は十二分にあったと思う。ただ、自己に忠実であらんと頑迷に過ぎ、聞く耳をもなたない孤独な落ち人に堕してしまったように思う。外れて欲しい予想でもある。あれだけの投手、そうそう出ないと思うからだ。

最近は、大谷とか藤浪といった意気の良い若手の投手の活躍が目立つが、松坂が彼ら若手の反面教師で終わらないことを祈って止みません。もう一度、あの剛球で完封する姿を見たいものです。

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知事選挙に思うこと

2015-04-14 12:57:00 | 社会・政治・一般

有権者の怒りを舐めんなよ。

先週末、十一の知事選挙が行われ、一応与党である自公寄りの知事が圧勝した。ただし、内容は必ずしも褒められたものではないし、まだまだ反自公陣営の力も弱くない。

私は必ずしも自民党の支持者という訳ではないのだが、現状では他に選択肢がないことは認めざるを得ない。これは私だけの思いではないようで、来たるべき統一地方選挙の前哨戦である今回の選挙も、投票率は非常に低い。

このような低い投票率の時こそ、組織票が活きるはずなのだが、枝野・民主党幹事長が嘆いたように、民主党は地方選挙でも当選者を減らす一方である。そのせいだろうが、今回の選挙で目立ったのは、支持政党を明らかにしない「表向き無所属議員候補」であった。

要するに、支持政党を明らかにしないことで浮動票を取り込もうとしたのだが、肝心の投票率が低いので空振りに終わっている。本当は民主党支持だと言いたくても、さすがに現場を回っていれば有権者の怒りと失望が未だ色濃いことぐらいは気付く。

私に言わせれば、未だに何故に世間の支持を喪ったかを認識しようとしない民主党を支持するわけがない。まるで反省していないのだから、有権者はその誤魔化しを見ぬいている。

ただ、情けないことに与党側の候補たちも、今回は無所属を名乗ることが少なくなかった。これは、やはりアベノミクスというか、景気回復が一部に留まっており、地方へは波及していないことの証左でもある。

東証株価が2万円をフラフラしているようだが、率直に言ってまだまだ景気浮揚感は薄い。民主党への怒りが静まらないことは朗報だが、アベノミクスへの失望が怒りに変わった時、有権者は厳しいしっぺ返しをする。

安倍政権、今年は正念場であるかもしれないな。

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プロレスってさ 曙太郎

2015-04-13 13:51:00 | スポーツ

膝を壊したら、アスリートとしては御終い。だけどプロレスなら出来る。そんな典型が元横綱・曙であった。

角界を引退後、選択を誤ったとしか言いようがない。すぐにプロレスへ転向すべきであった。しかし、当時、プロレスの人気は地に落ち、代わって総合格闘技が新たなエンターテイメントとして脚光を浴びていた。

曙は、よりにもよって総合格闘家として再デビューしてしまった。だが、膝を壊した曙は連戦連敗で、あまりの醜態に角界から、恥さらしとの誹謗が出るほどであった。私もTV観戦したが、あまりに身体が動かなさ過ぎた。

これは、はっきり言うが曙は相撲取りとしては非常に強かった。今のモンゴル人力士とは別次元の強さであった。なんといっても、あの長い手を活かした突き押しは、文字通りの必殺技。

体重200キロを超す巨漢力士の大乃国を、あの突き押し一発で土俵の外に吹っ飛ばしている。この敗戦のショックから立ち直れず、大乃国は場所後に引退を決めている。

また、幕下の頃から多くの力士を突き押しで、土俵の外に押し出して、少なからぬ力士を怪我させ、あるいは引退に追いやっている。まさに壊し屋であり、ガチンコに強い本物の強者であった。

しかし、「相撲は喧嘩ネ」と本音を語りバッシングを受けた小錦とは異なり、曙自身は相撲に対して誠実であり、若手の稽古に胸を貸し、丁寧な言葉遣いと、礼節を弁えた行動で知られていた。その実力通り、外国人初の横綱になれたのも、決して偶然ではない。


しかし、あんこ型の上半身と、そっぷ型の下半身のアンバランスは如何ともしがたく、膝の故障に悩まされ続けた。小兵力士に潜り込まれると、案外と簡単にコロリと負けていたのは有名である。特に技のデパートの異名をとった舞の海には、よくやられていた。

だが、相手が大型の力士ならば、無類に強かった。あの時代の名力士といえば、やはわ若貴であり、特に貴乃花とは名勝負を繰り広げたが、私は実力は曙が一歩上だと思っていた。あのバズーカ砲のような突き押しに抗しきれる力士は、ほとんどいなかった。

ただ、膝の怪我が痛かった。あれでは下半身の踏み込みができず、上半身の力だけで相撲をとってしまい、その結果さらに膝の怪我を悪化させた。相撲に真摯であったが故に、曙は引退を決めた。

そして、その真面目さゆえに総合格闘技へと転身してしまった。いくらなんでも、膝が壊れた曙に、総合格闘技はもちろんキックボクシングのような立ち技系の格闘技は無理だった。

ボクシングの世界では「強いパンチは足で撃つ」と教わる。足の踏み込みにより生まれた力を、膝から腰へ送り上体のひねりと共に肩から腕へとつなげて、最後は拳の打撃へとつなげる。その足が使えないのだから、曙が勝てるはずもない。

だが、プロレスは違う。格闘演劇であるプロレスにおいては表現力こそが重要となる。その鍛え上げた身体で観客を沸かす身体を張った演技こそがプロレスの真骨頂だ。

新日本プロレスの若手三銃士と呼ばれ、アメリカではグレート・ムタとして大人気を博した武藤は「曙は天才だよ」と評する。頭が良く、その場に応じた演技でプロレスのリングを沸かすボノちゃんこと曙は、格闘技の世界では目が出なかったが、プロレスラーとしては成功できた。

惜しむらくは、角界引退後すぐにプロレス入りしなかったことだ。当時人気が低迷していたことが、その原因だと思うが、格闘技の世界で無理をしたことは明らかに失敗だったと思う。

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ジュピター

2015-04-10 12:07:00 | 映画

奇想天外も度を越すと恥ずかしくなるものだ。

だが、十代前半の頃、私は好んでこの手の小説をよく読んでいた。通称スペースオペラと揶揄されていたのだが、一応空想科学小説である。ただし、科学の片鱗も感じられない。

荒野で呆けていたら何故か火星の大地に降り立っていたジョン・カーター(火星のプリンセス)がそうだし、銀河帝国の王女と恋に落ちて、宇宙を救った保険会社のサラリーマンのジョン・ゴードン(スターキング)もそうだ。

あまりにご都合主義というか、大人の童話にしては教訓もなにもない。ただ、ハラハラドキドキの単なる冒険活劇に過ぎない。でも、中学生の頃の私は、けっく夢中になって読んでいた。嫌だった勉強からの逃避の側面もないではなかったが、空想に夢を膨らませて、遥かなる宇宙を想うことは、そう悪いものではなかったと記憶している。

そして間違いなくこの映画の製作者も、若かりし少年時代に、スペースオペラに夢中になっていたと断言できる。なにせ主人公は毎日、トイレ掃除に明け暮れるうら若き乙女だ。口癖は「こんな人生、もう嫌」だ。

その主人公が気が付いたら、宇宙をまたにかけた陰謀のなかに放り込まれて、宇宙版空飛ぶ狼男に助けられて世界を救う。それも最新のSFXを駆使した映像技術で、ド派手なカタストロフィまで付いてくる。

こんなおバカな映画を作った人間は、間違いなくスペースオペラを読みふけっていた少年時代を送ってきたと断言できる。スピルバーグの特撮SFに飽きた人、ルーカスの見事な冒険活劇に馴れてしまった人には、ちょっと新鮮に感じるかもしれません。

おバカな作品を楽しめる、広い心の持ち主ならば観ても損はないと思います。我こそはと思う方は是非どうぞ。

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王様の耳はロバの耳

2015-04-09 16:02:00 | 社会・政治・一般

王様の耳はロバの耳。

誰かいい加減に教えてやれよと云いたくなる。

はっきり言ってやるが、沖縄という地方自治体の長がいくら騒ごうと、日本駐留米軍基地の移設に対して変わることはない。敗戦国の、それも一地方自治体が騒ごうと、戦勝国のやることになんら影響は及ばない。

それが冷徹なる現実である。いったい、いつから沖縄はあれほど馬鹿になったのか。かつては超大国シナと大国日本の間にあって、時には強硬に、時には柔軟に外交上のバランスをとり、仲介貿易立国として東南アジアの一角にあって、それなりの国際的地位を築いた歴史を持つとは思えない間抜けぶり。

いつから沖縄は、これほど間抜けになったのか。

おそらくは、沖縄を米軍が管理していた頃が始まりだと思う。アメリカはドル紙幣と豊富な食料で沖縄を懐柔した。その後、日本へ返還されてからも、莫大なお金が沖縄に流れた。

軍事拠点であることが、沖縄へお金を流し込んだ。沖縄本島は、耕作面積もさほどなく、収益性の高い特産物もない。しかし、ユーラシア大陸と太平洋の出入り口的な地理的有益性があった。中継点として存在価値があった。だからこそ、近代以前は交易により利益を得ていた。

しかし、技術の進歩は沖縄から交易地としての地理的優位性を奪ってしまった。火力動力船の登場は、中継点としての沖縄の価値を大きく減じさせた。そのかわり、軍事的拠点としての価値が、新たに生じた。

大日本帝国も、アメリカも軍事拠点としての沖縄の有意義さを認めていた。沖縄に限らないが、軍事的拠点というものは経済的視点で測れるものではない。また軍事そのものは、資源を浪費するばかりで、決して再生産をしない。

軍事拠点の周辺で反軍事運動は好ましくない。だからこそ、アメリカも日本も沖縄に必要以上に金を投じて、地元を潤した。これはあぶく銭である。汗をかいて稼いだお金ではない。それゆえに、このあぶく銭は沖縄の人々の心を腐した。

反米、反日であることは単にお金になるだけではなく、平和を求める善人という虚像を造りだし、その虚像にすがることで、あぶく銭で腐された心を癒した。これが沖縄における反基地、反米、反日の土壌となる。

冷静に判じれば、今の沖縄は基地があるからこそ侵略の野心を隠さないシナから守られている。基地そのものは、沖縄を守るためではなく、あくまでアメリカの世界軍事戦略の一環ではあるが、結果的に沖縄は基地に守られている。

さて、童話のなかで王様は、醜いロバの耳を隠そうと努力した。周囲の人たちは、それを知りつつ黙り込み、唯一床屋だけが我慢できずに井戸に向かって叫んでしまった。その結果、国中の人たちが真実を知った。

王様は、この大きなロバの耳で国民の声を遠くまで聴いていたのだと言い張ることでプライドを守った。さて、沖縄のロバの耳を持つ人たちは、真実が知られた時になんと言い訳するのであろう。

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