ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

夜の集会

2017-09-22 12:10:00 | 日記

長期にわたる入院生活は退屈だ。

そのせいだと思うが、20代の頃に私が入院していた大学病院では、夜になると談話室に数人が集まって、お喋りで時間潰しをすることが多かった。もちろん、就寝時間であるから、本来は禁止なのだが、騒ぐでもなく、酒を飲むでもなく、静かに話しているので、夜勤の医師や看護婦さんたちも黙認してくれた。

あの時の夜の集会の主催者は、不良患者の代表でもあったS氏である。元右翼団体の幹部だとかで、鋭い目つきの初老の男性だが、幾つもの病院を追い出され、他に行くところがないので、大人しく入院生活を送っていた。

夜12時過ぎ、静かな病棟のナースステーションの前にある談話室に、S氏が幾つかの御菓子と缶ジュースを机の上に置いて、誰か話し相手が来るのを待っている。

すると、ちらほらと眠れずに退屈していた患者たちが集まってくる。手ぶらで来る人もいるが、お菓子やお惣菜などを持ってくる人もいる。ただし、酒は厳禁である。

飲みたがる患者もいたが、強面のS氏が絶対に許さなかった。病院を出たり、入ったりしている生活を10年ちかくやっているS氏は、病院長や総婦長とも懇意で、他の病院を追い出されたS氏を受け入れてくれたこの病院が最後の行き場であり、飲酒など病院が嫌がることはやらないし、させなかった。

その病棟は、全国から難病患者が集まるだけに、いささか難儀な人たちが多かった。普通なら敬遠されるS氏が尊重されたのは、彼が暴力や飲酒などを他の患者に許さなかったからだろうと思う。

当時、車椅子から解放され、点滴をぶら下げた移動式の点滴台にすがり付きながら、病棟をよたよたと歩いていた私は、男性患者の中では最年少であった。そのせいで、S氏から可愛がられた。

子供の頃から銭湯などで、入れ墨入れた博徒の人たちとの交流があった私は、強面のS氏を苦手にしなかったので、気に入られたのだと思う。

あれは台風が接近中の雨の激しい夜であったと思う。空調完備の病棟ではあるが、窓を揺らす強風と、叩きつける雨音が気になって、眠りずらい夜だった。私が深夜の談話室に足を運んだのは、点滴の交換を終えた後だから、深夜1時過ぎだった。

薄暗い談話室には、4人ほどが集まっていて、なにやら談笑していた。私も挨拶してから参加して、お菓子を少し頂いた。珍しく暖かいお茶が出されたことは良く覚えている。

眠気を覚えて退席しようとしたら、また新しい患者さんがやってきた。見覚えのない人であったが、以前この病棟にいたらしく、S氏は「お、久しぶりだな」と声をかけていた。

入れ違いであったので、私は目礼だけして、その場を後にした。その翌日のことだ。昼食の後、ベッドの上で本を読んでいると、隣の病室のAさんが来て「Sさんが呼んでいるから、談話室まで来てくれる?」と言ってきた。

なんだろうと思いながら、点滴台にすがりながら行ってみる。すると、なにやら言い争う声が聞こえてきた。一人はS氏であるが、もう一人は誰だろうか分からない。でも近づいてみて分かった。昨夜、私と入れ違いに来た人だ。

S氏が私を呼び寄せ、「ほら、全然違うだろう」と相手に言うと、彼は私をまじまじと見つめ、違う・・・と呟いた。でも、すぐに「いや、たしかに俺はTさんを見たんだ」と言いだす。

うんざりしたようなS氏が、そりゃ見間違いだよと呆れている。いったい、何の話ですかと問うとS氏が説明してくれた。その相手、Yさんは昨夜、深夜の談話室でTさんをみたと強硬に言い張るので困っているとの事。

Tさんて、先月亡くなったあのTさんですかと私が答えると、Yさんが乗り出してきて「いたよね、Tさん。見たよね、君も」と語りかけてきた。

ビックリした。S氏はうんざりした様子で、しきりにタバコをふかしていた。私がTさんは既に亡くなっており、昨夜も見かける訳がないことを説明するが、Yさんは納得しなかった。

挙句の果てに、ナースステーションに出向いて、Tさんのことを訊きだそうとしていた。病院が患者の情報を簡単に教える訳がなく、Yさんは激高している始末である。

S氏は苦り切った様子で、こりゃしばらく夜の集会は中止だよと嘆いていた。この病棟は難病患者が多く、亡くなる方もかなり多い。それだけに生死の情報の管理は厳格で、下手な噂話さえ嫌がる。

事態を重く見た病院側からの要望で、S氏の予想通り深夜の集会は禁止されてしまった。

ところでTさんなのだが、実は私とほぼ同じ感じで難病に苦しんだ方でした。ただ、私が9週間程度で人工透析から離脱できたの対し、Tさんは慢性化してしまったところが違いました。

実際のところ、私も慢性化するとみられていて、そのために左腕にシャント手術をする予定でしたが、前日に微量ながら尿が出たのです。おかげで手術は中止となり、透析からも離脱できたのです。

これはかなりレア・ケースなようで、私の主治医はこれを学術論文として発表したほどです。ただ、これを妬んだり、羨む人が出てきたのには、いささか閉口しましたが、Tさんの助言もあって黙殺していました。

Tさんは、「ヌマンタ君、貴方はかなり幸運だよ。丈夫な体に産んでくれた親御さんに感謝しなさい」と言ってくれた方で、他にもいろいろと助言を頂きました。だから亡くなった時はとても残念な気持ちになりました。

なんで私がその死を知っているかと云えば、奥様が後日私の元を訪れて教えてくれたからです。少ないのですよ、私と同じ病態の患者さんは。Tさんは、私のような離脱例があることを、とても喜んでいたとのこと。

未熟な私は碌に返事も出来ず、只々涙ぐむだけでした。だから深夜の集会に来たYさんが、Tさんを見たと言った時は正直、ちょっと怖かった。一時期、私の隣のベッドに居たのがTさんでしたから。

私とは背格好も声も違うので、間違えるにしてもオカシイと思います。でも、Yさんには私がTさんに見えてしまったようなのです。S氏にたしなめられたのか、その後Yさんが私に近寄ってくることはありませんでしたが、あまり良い気持ちにはなれませんでした。

ところで、深夜の集会ですが、実はすぐに復活しました。ただ、場所は外来病棟の待合室。ここはかなり広く、深夜でも灯りがついており、病院スタッフだけでなく、出入りの業者、付添いの家族などが一休みしている場所でした。

ただ、私が入院している病棟からは、いささか遠く、点滴台を頼りに動いていた私は、しばらく参加できませんでした。きっと、毎晩噂話に花が咲いていたと思います。

だって仕方ないです。入院生活は本当に退屈ですからね。

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母 三浦綾子

2017-09-21 12:09:00 | 

清らかな清流に生まれて育った魚は、栄養豊富な濁った池では生きていけないのだろうか。

表題の作品は、プロレタリア作家小林多喜二の母を主人公に、多喜二の生涯と、その死後の家族について描かれている。

私は小学生の頃から、マルクス主義に傾倒した青年たちが周囲に居たせいか、ロシア文学やプロレタリア文学にもわりと馴染んでいた。ただ、多喜二の代表作である「蟹工船」は読んだことはない。

でも、良く知っている。読んだのではなく、読書会での朗読で、何度となく聞かされていたからだ。貧しい人たちの虐げられる姿に、幼いながらも社会的な正義感に熱くなった覚えがある。

ただ、ひねくれた子供であったので、労働者の一員として抵抗するのではなく、資本家になって労働者に優しい事業をやればいいのではないかと内心思っていた。さすがに、それを口に出すほど馬鹿ではない。

現実問題、私の周囲には貧しい人たちは珍しくなかった。だから、貧しい人たち=善人であるわけではないことは知っていた。実際こすっからい人は多かったし、些細なことで激高する面倒な人もいた。

一番最悪だったのは、その貧しさが愚かさからくるものであることが多かったことだ。ある者は酒に溺れ、ある者は賭博に埋もれた。分かっていながら止められない人の性なのかもしれないが、子供であった私には素直には認めがたかった。

そんな醜い現実を知ってはいたが、その一方で豊かな暮らしを営む人には分からない情の深さや、暖かさがあることも気が付いていた。冬の隙間風が吹き込む掘立小屋のようなオンボロアパートで、身を寄せ合い、少ない食事を互いに分け与える家族の結びつきの深さ、濃さなんて金持ちには分からないと思う。

残っている僅かな食糧を、より貧しい人たちに与えてしまう心根を愚かと見下す人もいるでしょう。でも、哀しい敬意を抱いてしまう切なさを私は感じていました。

小林多喜二は、きっとそんな家庭で育ち、温かい心と清らかな精神でプロレタリア作家として生きていく覚悟を決めたのでしょう。そのことが良く分かる良作だと思います。

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ジャクソンフルーツ

2017-09-20 11:51:00 | 健康・病気・薬・食事

夏は甘いフルーツよりも酸味のある甘さのフルーツが美味しいと思う。

この夏、そんな私のお気に入りだったのが、ジャクソンフルーツ。

これはグレープフルーツを一回り小さくした大きさで、グレープフルーツ独特の苦みがなく、酸味のある甘さを満喫できる変わり種です。南アフリカ原産ですが、元々はグレープフルーツの突然変異種であるようです。

日本に入ってきたのは近年のこと。私も今年に入って初めて目にして食べてみた次第です。冬ミカンのように皮がむけると説明書きがありましたが、これは少し誇張気味。

むしろ6等分か8等分に切り分けて、鋭角の切り口に爪を入れて皮をむくと食べやすいと思います。

ありがたいことに、まだ日本では知られていないので、青果店でもあまり売れていません。だからこそ安い。私としては掘り出し物を見つけた気分で、この夏は買い物を楽しんでおりました。

でも、来年以降は今年よりも値上がりしそうな予感。これだけ美味しいのだから仕方ありません。

そんな訳で、今年は他の果実に優先して、ジャクソンフルーツを楽しんで食べていました。もし、見かけたら是非お試しあれ。

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ダンケルク

2017-09-19 13:54:00 | 映画

どちらかといえば、ダンケルクの敗走とタイトルを変えたほうが良いように思います。

ヒットラーのポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦ですが、序盤で英仏連合軍は、ドイツ軍の電撃作戦の前に敗走を重ね、遂にはダンケルクの湾岸に追い詰められてしまいます。

碌な港湾施設もない海岸で、30万人を超す兵士たちを救出するのは至難の業。イギリス政府は、民間の小型船を徴用して、かろうじて救出に成功しました。

ですが、この敗走により4万台を超す軍用車両、武器、弾薬、食料、医薬品を放棄せざるを得なかった。だが、訓練しなければ使い物にならない兵士を30万確保したことで、この作戦は成功だとされています。

その一方、映画では端折られていましたが、このダンケルクからの救出が成功した影には、同時期にカレー港に追い詰められていたイギリス軍4万の犠牲があったことは、あまり知られておりません。

いわば、4万人を囮にして、30万人を助けた訳です。この冷酷にして冷徹な計算をするのが戦争です。カレーの悲劇は、軍記でも、あまり取り上げられません。

それどころか、ダンケルクの無様な敗走を勇気ある救出劇に仕立て上げ、イギリス国民の士気を高めようと目論んだのが当時のイギリス政府でした。

この手のレトリックは、欧米の得意とするところですが、余計な予備知識があったがゆえに、私は表題の映画を素直に楽しめませんでした。

では、映画としてダメかといえば、決してそんな事はなく、むしろ良作だと思います。あの迫力ある戦闘画面は、戦争の恐ろしさを見事に描いています。

私個人が一番感心したのは、海上での救出劇ではなく、フランス空軍とドイツ空軍のプロペラ戦闘機同士の格闘技戦でした。もしかしたら、今までで一番の描写かもしれません。

レーダーとミサイルに頼った現代とは異なり、人の目を飛行機の操作技術で戦っていた戦闘機戦は、実に見事でした。これだけでも、見る価値ありと思ったぐらいです。

最後に、個人差はあると思いますが、この映画は3Dよりも普通の2Dのほうが観やすいでしょう。あの激しい戦闘場面の切り替えは、3Dだと画像酔いしそうですから。

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北朝鮮危機

2017-09-15 13:05:00 | 社会・政治・一般

いい加減、猿芝居に気が付けよといいたくなる。

多少なりとも軍事知識があれば、北朝鮮が戦争をするはずがないと分る。戦争をするのには、金と食料が必要不可欠なのだが、北朝鮮には両方ともに十分な準備がない。だから、まともな政治家ならば、外部からの支援を前提に戦争をする。

もっといえば、戦争をするぞ、するぞと言って戦火を開く馬鹿はいない。なぜならば不意打ちこそ、最大限の戦火を上げられるからだ。当然、この段階で戦火を開く馬鹿はいないはず。

だが、戦争は出来なくても、限定的な紛争なら可能である。とはいえ、臨戦態勢の整った韓国との国境地帯での武力紛争では、やる意味がない。北の狙いは明確である。

あの刈り上げデブ君は、半島を統一したい訳でもなく、アメリカと戦争をしたい訳でもない。現在最強の覇権国であるアメリカに国家としての存在を保証して欲しいのだ。

金日成も、金正日も分かっていた。元々のパトロンである旧ソ連は当にならず、シナに至っては領土的野心を秘めた歴史的仇敵であることを。だからこそ、朝鮮半島に領土的野心を持たない最強の覇権国アメリカに認めてもらいたい。

だが、交渉のテーブルに立つには堂々と対等の国家として対峙したい。なればこその核実験であり、弾道ミサイル発射実験である。不利な立場で交渉するくらいなら、しない方がマシだ。

幸いにして、アメリカの専横を認めたくないロシアとシナが陰で協力してくれる。だから、この機会を逃さずに核実験とミサイル発射を繰り返し、国際社会の反発を撥ね退ける強国としての北朝鮮をアピールしている。

今の狙いは、どこかの国がアメリカとの交渉を仲介してくれることだ。経済制裁なんて、シナとロシアが裏で骨抜きにしてくれるはずなので、大した効果はない。

一方、アメリカはキリスト教原理主義の国である。当然に民主主義を正義とし、自由(アメリカにとっての・・・)経済主義を掲げる資本主義国家である。表向き、北朝鮮と妥協できる関係にはなれない。しかしながら、世界最大の武器輸出国でもある。

既にアルカイーダは弱体化し、小さな分派があるばかり。ISも壊滅状態であり、小規模なテロを起こすのが精一杯である。武器商人としては、決して好ましい状態ではない。

ところが、ここに北朝鮮という口先だけの戦争ネタがある。絶好の商売の機会である。弾道ミサイル防衛システムは、その設置から維持管理まで巨額の資金を要するため、そうそう売れるものではない。

しかし、あの刈り上げデブ君が戦争の危機を煽ってくれるので、商売は絶好調である。こんな美味しい機会を逃すわけにはいかない。

そんな訳で、ここ当分この騒動は続きます。迷惑ですけど、止まるものでもない。精々、憲法9条では日本の平和は守れない現実を直視していただくなり、あるいは有事法制の不備を痛感していただきたいと思います。

コメント (4)
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