ドアミラーが嫌い。
私は長年ホンダの車を乗り続けている。ホンダの車は結構癖が強く、トヨタや日産に乗り馴れた方だと違和感を感じるらしい。もっとも私はその違和感を個性だと捉えているので、特段不満はない。
ただ、一点気に食わないのがドアミラー。今はフィットという小型車に乗っている。ガソリンタンクをフロントシートの下に配置して、車内を広く使えるようにしているせいか、極めて使い勝手の良い車だ。
このフィットは二台目であり、それだけ気に入っているのだが、どうしても不満なのがドアミラーだ。
デカい、デカすぎる。
その癖、視認性が格段に良い訳ではない。これはドアミラー車、全般に云えることなのだが、後方から並走してくる車を認識しずらい。ドアミラーを見て、後方からの車はいないと思って車線変更してはいけない。
完全に後方にいる車は認識できる。しかし、ほぼ並走している車は、ドアミラーでは確認しずらいのだ。この場合は首を振って、自分の目で脇を確認する以外に安全は確認できない。
若い時に乗っていたシビックは、その点フェンダーミラーであったので、このような心配はなかった。シビックから乗り換えてしばらくは、並走してくる車に気が付かずに車線変更をしようとして、危ない目に遇ったことは何度もあった。
あの小さいフェンダーミラーには映るのに、大きなドアミラーには映らないのだから、あれは構造的な欠陥だと思っている。思うにデザイン性の良さを優先しているとしか言いようがない。
一応言っておくと、運輸省はドアミラーに当初かなり否定的であった。側面の安全確認はフェンダーミラーの方が良いと断言していた。だが、当時、膨大な貿易黒字を少しでも減らす為、海外からの輸入を増やしたかった政府と、日本の安全基準を非関税貿易障壁だと主張していた海外のメーカーからの外圧が利害一致して、運輸省を押し切った。
白状すると、当時は運輸省を石頭呼ばわりし、外圧歓迎、政府頑張れと思っていたのが若き日の私である。運輸省様、ごめんなさい。やはりフェンダーミラーのほうが安全面では優秀でした。
だから安全を重視するタクシーは、ドアミラーだけに頼らず、後からフェンダーミラーを付けることが良くあった。断言するが、車の側面の安全確認ならば、フェンダーミラーのほうが効率が良いと思う。
ついでに書き記すと、ドアミラーは案外と破損事故が多い。対面車とのすれ違いの最中に衝突したり、壁にこすったりする破損が多い。かくいう私もやらかしたことがある。
だが、ここに来てようやく新しい側面ミラーが認められた。それがドアミラーレス、すなわち電子カメラによる側面安全確認の為の新しい側面ミラーである。
まだ一部の高級車で試験的に採用されているだけなのだが、ドアミラーの替わりに電子カメラが側面方向を写し、それをドライバー席の脇の画面で表示する。こうすると、視線を動かす角度が少なく、側面の安全確認が容易となる。
これは少し前から認められていたバックモニターの普及から派生した動きでもある。また今後の課題である自動運転を考えると、ある意味必然的な動きでもある。
次に車を買い替える際は、是非とも検討してみたいと思っています。
日本のマスコミは、時として事実を伝えない。
安倍総理は27日夜、G20サミット出席のため国家主席就任後初めて来日した、
中国の習近平主席と大阪市内のホテルで会談を行いました。
会談の中で総理は「習主席と手を携えて新時代を切り開いていきたい」と述べ、
来年の春に国賓として再来日するよう求めた一方で、
「1国2制度の下、自由で開かれた香港が繁栄していくことが重要だ」
とする認識を習主席に伝えています。
思い出して欲しいのだが、この発言は先月の「逃亡犯条例」を巡る香港でのデモ騒動を念頭に置いたものであることは明白だ。私の知る限り、西側諸国の首脳で、香港での「逃亡犯条例」反対デモに対する発言をしたものはいない。
つまり安倍首相が初めて反対デモに言及した訳である。しかも、その発言は微妙にして巧妙である。現行の香港の体制を是認したうえに、将来の繁栄を求める形なので、習氏の面子を潰さず、それでいて「自由で開かれた」という文言が入っていることで、香港の若者たちを支援しているようにも読める。
この安倍首相の発言を聞いた香港の人たちは大興奮となった。西側諸国の政治家たちが、誰も口を濁して言及しなかった「逃亡犯条例」に対して、初めて否定的とも解釈できる発言をしたのだから、日ごろ反日的姿勢をかなぐり捨てての、日本大絶賛であった。
私は安倍首相の国内政策には、すこぶる不満をもっているのだが、この人の外交上手には高い評価をせざるを得ない。
香港の住人なんて、シナ人全体からすれば、ほんの僅かである。だが、シナ人の世界は、人脈が幅を利かすコネ社会である。表向きの発言、態度だけでは本音は分からない人たちでもある。
僅か数百万の香港のシナ人ではあるが、彼らの持つ人脈、金融ノウハウなどは決して侮れない力を持つ。自由で開かれた社会で育っている香港人にとって、一党独裁の北京政府には、どうしても肯んじない気持ちを隠し持っている。
シナ人の人的ネットワークは、東南アジアでは圧倒的なパワーを持っていることを考えると、安倍首相の一言は、今後の日本にとって大切な糧となり、育っていくであろう可能性を拓いたと思うのです。
それにしても、なんだって日本のマスコミは報じないのかねぇ・・・
ナマケグマは私の理想である。
このクマさんは、ゴロゴロと寝転がってばかりいる。実に幸せそうである。でも決して愚鈍ではない。前腕には長く鋭い爪を持ち、巨体のベンガルタイガーからも警戒される強者である。
しかしながら、その強靭な前足と爪を繰り出す相手は、白アリの巣であり、蜂の巣でもある。美味しそうに蟻の蛹や、蜂の蜜を食べると、後は寝転がるだけである。長くごつい毛が生えているので、蟻の噛み付きも、蜂の針もあまり気にしない。
そして、地面が湿っていても気にせずに寝転がる。泥浴びなんて大好きだ。でも、後で綺麗に毛づくろいする。あまり好戦的な性格ではないので、縄張りをめぐっての戦いも、かなり穏やかである。
そのあたり、短気な私としては見習いたいものだと思っている。
子供の頃から、私はかなり短気な性格であった。気が短いのも確かだが、沸点が低く、自分でも予想していない段階で暴発することがあり、暴れた後で後悔している難儀な子供でもあった。
そんな私が苦手としていたのが、上品で慇懃無礼な輩である。やたらと丁寧で、それでいて底意地の悪い意図が見え隠れする。それが感じ取れるのだが、こちらから口火を切るきっかけというか、引き金が見当らない。
気が付くと、一方的に貶められ、侮蔑されているようなのだが、知性の低いガキンチョの私は、どこに腹を立てたら良いのか分からず困惑するばかり。
結局、怒り出すことも出来ず、暴れることも出来ないまま終わってしまい、後に残るは不快感と欲求不満だけ。実に厭らしい奴なのだが、どうしたら良いのか分からないので、近づかないように努めるのが精一杯であった。
幸い、育ちの悪い私の周囲には、このタイプは滅多にいなかった。ただ、近所のお嬢様用の大学があり、そこに通う中等部の連中と本屋などで出くわすことはあった。
私が参考書などを見繕っていると、私の方をちらっと見て「あの辺りの本は、私たち向けではありませんわ」などとのたまいやがる。明らかに馬鹿にしているのだが、曖昧で迂遠な言い方なので、私としては、どこに噛み付いたら良いか分からず、戸惑うしかなかった。
まァ実際問題、当時の私は勉強が嫌いで、成績も底辺を彷徨っていたから馬鹿にされるのも仕方ない。でも、見ず知らずの相手に馬鹿にされる覚えはない。
・・・だよな。実はちょっと自信がない。もしかして、あのクソ憎たらしい女学生、A子だったかも。
A子は小学生の頃の隣のクラスの女の子だったと思う。私とは何の関わりもないはずだと思うが、思い出したら一つだけあった。その小学校にある図書室では、貸出のランキングが張り出されてるのだが、万年トップが本の虫の私だった。
あの頃も勉強は嫌いだったが、本だけは人一倍読んでいた。ランキングになんか興味はなかったが、そういえばトップの私の下に隣のクラスのA子の名前を見かけたように思う。もしかしたら話しかけられたこともあったかもしれない。
ところが、私は読書に夢中になると、周囲が見えなくなる。多分、邪険に扱ったのかもしれない。別に他意があるわけでなく、本を読み続けたかっただけ。更に思い出すと、6年の時の2月のバレンタインの時、教室の私の机の中に、送り主の名がないチョコレートが置いてあったことがあった。
当時はまったくのガキであった私は、異性に対する興味は薄く、その場でチョコをパクパクと食べ切り、そのまま忘れてしまった。同じクラスの娘から、その手のアプローチは皆無だったから、もしかしたらA子かも。
でも、当時は想像もつかなかった。A子は勉学優秀で私立の中学受験を志していた。だから落ちこぼれの私とは無縁の存在だと思っていた。ただ後日、同じクラスの女の子から、それとはなく尋ねられたことで、どうやらA子からだったようだと気付かされた。
その時、私がどう返答したのかは覚えていないが、なんとなく周囲から冷やかに見られていたように思う。まァ女の子限定の冷たい視線だったので、私は気にしなかった。
むぅ・・・恨まれても仕方ねえな。どうも私は異性関係に関してはロクデナシであるようだ。
ところで表題の作品は、短編集ではるが、ぼんやりとつながりがある。そこはかとなく怖い話が多いのだが、その犯人たちの上品で辛辣なことは、私を閉口させた。同時に思い出したのがA子のことだ。
もう、まったくの没交渉というか、無縁の存在なのだが、思い出してしまったではないか。別に今さら、どうこうする気もないのですけどね。
一敗二分。
これが、今回ブラジルで開催された南米選手権(コパ・アメリカ)にゲスト参加した日本代表の成績である。
ちなみに、この大会は任意参加の国際大会であるため、長友や大迫、吉田、酒井は所属チームの許可が出なかったために参加していない。東京五輪や、次のワールド杯予選を見据えて、若手主体の日本代表チームとなった。
そして初戦でここ最近、南米選手権を連覇している強豪チリに0-5で大敗している。ブラジル開催とはいえ、そのグランドはけっこうデコボコで、芝も日本やヨーロッパほど綺麗ではない。若手主体の日本は、戸惑い、慌てふためくうちに、ポンポンと失点を重ねている始末である。
同じデコボコ芝でも、これがアジアのチーム相手ならば、ここまで負けはしない。実力的に格上に南米のチームだからこそ起きた大敗である。これこそ、日本代表の試合に求められているものである。
気合を入れ直した日本は、続く二戦目はこれまた優勝候補であるウルグアイと対戦した。私は大敗を予想したが、選手たちは奮起して引き分けに持ち込んだ。7割がた攻め込まれた試合での引き分けは、私としては十分評価したい結果である。
ただ三戦目がいけない。勝てば決勝トーナメント進出であるのに、森保監督は守備重視の試合をやらかしてしまった。このあたり、森保監督の未熟さというか、経験値の乏しさが出てしまった。少し悔しさが残る結果であった。
だけど、全体として振り返ってみれば、森保監督就任以降、最も実りある試合であった。現在の日本代表チームの欠点が良く分かる結果であったと思う。これは、アウェイの地での本気の勝負だからこそ顕れた結果でもある。このような試合こそ、今に日本に必要だと私は確信している。
個別で云えば、FWの上田が良かった。5度の決定的な得点チャンスをすべて失敗した選手である。今回のチームでは唯一の大学生選手なので、マスコミもそれほど非難してはいない。でも私ははっきり言います。予選での敗退の戦犯は上田選手だと。
ちなみに国内では法政大学を日本一に導いたエースであり、二年後の鹿島アントラーズ入りが内定しています。アンダーではそこそこの実績ですが、6月はアンダー20、22ともに国際大会があり、そのバランスを取るため止む無くA代表に呼ばれた新人でした。
率直に言って、もう少し早くA代表入りしていれば、今少し活躍できたでしょう。しかし、上田本人が苦渋の告白をしているように、A代表のサッカーはレベルが違った。そのデビューが国内の親善試合ではなく、南米の伝統と格式あるコパ・アメリカであったことが彼の不幸でした。
あの大敗したチリ戦でさえ4度、決定的なチャンスはあった。その絶好の機会をことごとく潰したダメ選手が上田でした。私は大学日本一を決めた試合をユーチューブで観ましたけど、もっと上手かったです。でも、国際試合での強烈なプレッシャーの下では、シュートをふかすだけのヘタッピでした。
決定機を演出した久保や柴崎は、さぞや失望したでしょう。二回戦目で強豪ウルグアイから二得点を奪った三好(マリノス)と比較すれば、その実力差は致命的でした。
でも、見方を変えれば上田の将来性も決して悪くない。守備の堅いチリ相手に、しっかりと敵ゴール前にポジションを確保できるFWとしての感覚は決して侮れない。チリのディフェンスは世界水準でみても、非常に堅いのですから、その間隙を突く姿勢は評価できる。
彼はまだ若い。この大会での苦い経験を今後に活かすことが出来れば、4年後にはエースにだってなり得る可能性はもっている。もちろん、この大会で自信をなくして消えてしまう可能性もあり、ですけどね。
まァ、私としては一番惨めな思いをした選手であるだけに、一番成長して欲しいと願う選手でもあるのです。
いずれにせよ、アジアの大会では決して得られぬ貴重な体験を出来たのが、今回のコパ・アメリカでの最大の成果でしょう。国内の親善試合で、世界の強豪と戦うよりも、このようなアウェイでの厳しい敗戦のほうが、日本代表の強化には相応しいと確信できた大会でした。
この苦い敗退を今後の糧として、奮起してもらいたいものです。
食べるものに好き嫌いのない私は、美味しければ特段、有名、無名には拘らない。
実際、有名でもたいして美味しくない名産品は、けっこうあると思っている。もちろん、美味しいからこその名産品だってある。
その好例だと思っているのが、黒松のどら焼きである。
ここのどら焼きはちょっと変わっている。写真を見てもらえば分るが、まず皮が違う。蜂蜜と黒糖を練り込んだ柔らかくて厚みのある皮である。そして中の餡子は、もっちりと甘いが、甘すぎないのが嬉しい。
初めて食べたのは、二十数年前だ。この店の近所にあった顧客の手土産であった。目をつぶって食べても、ここのどら焼きだけはすぐに分るほど個性的である。
最近知ったのが、東京の三大どら焼きの一つであるらしい。著名な料理記者である岸朝子さんがその著書で取り上げているそうである。
私的には、そんなの知ったこっちゃない。とにかく美味しければ良いだけである。
たた、一点問題がある。このどら焼き、黒松本舗 草月さんでしか扱っていない。通販もネット販売もない。予約も出来ず、店頭で並ぶしかないのである。
場所は東京の東十条である。大衆演劇場がある街として知られているが、店は反対側である。南口の改札を出て、坂道を数分下った先にある。なにせ、このどら焼き、日持ちがしないので、一両日中に食べ切ることを推奨されている。
その日の分は、その日に売り切る。小さな店内では入りきらないと、歩道に行列が出来ることもある。私は顧客の元を訪れた際に、立ち寄るので幸いあまり並ばずに済む時間に買っている。
このドラちゃん、一個120円(税抜)と安い。ばら売りもしてくれる。お土産用に買うと、箱を別途購入する必要があるが、自分用なら不要なので、買い物袋に入れてもらっている。
そんな訳で、今日の三時のオヤツは、黒松のどら焼きである。あァ幸せ、幸せ。
嵐のような月末業務を終えて、少しノンビリしながら甘味を楽しんでおります。