新型コロナウィルスによる自粛騒動以来、なにが困るって相談だけは増えていることだ。
なにの相談かといえば、持続化給付金などの補助金に関するものが大半だ。この補助金は事業者本人からの申請しか受け付けない。だから私ら税理士は、これを代行することが出来ない(税理士会からも禁止とされている)。
代行すれば、付随業務として料金を請求することになる。おそらく政府はそれを警戒したのだろう。
ところが、電通がしっかりと中抜きしていることが判明して国会は大騒ぎ。安倍政権はちゃっちゃと会期を終わらせて幕引きを図っている。
正直、不愉快ではあるが、これは安倍政権でなくても官僚たちなら必ずやっているはず。もちろん電通だけでなく、その下請け団体にも天下りの官僚OBがしっかりと居座って、お口を開けて退職金を待っているはず。
これが半世紀以上続く日本の伝統なんです。これを単純に役人が悪いとするのは短絡に過ぎます。ぶっちゃけ公務員、とりわけキャリア官僚の生涯賃金が安く設定されていることが問題の根幹にあります。
これ分からなくもない。例えば日本の銀行は大蔵省に手取り足取り守ってもらっているからこそ成り立ってきた。その銀行の役員たちが、自分たちよりも高給を貪っているのを知っている大蔵省のエリート様は、どこかで帳尻を合わせようと考えざる得ない。
ただ銀行に直接滑り込むのは数が限られている。だからこそ、関連団体などを幾つも経由し、其のたびに退職金を貰い、なんとか銀行役員を上回れる収入を手に入れる。こうして歪んだ賃金体系を是正してきた。
天下り渡り鳥と称されるエリート官僚たちは、これを当然のことと考えています。今回の持続化給付金だって、あくまで国が認め、支出しているからこそ成立しているものだ。その手間の手数料をとって何が悪いと心の奥底で思っているでしょう。
ただ、堂々と非難され、自分たちが矢面に立つのが嫌なので黙っているだけ。退職エリート官僚に代わって、マスコミや野党の非難の矢面に立つ自民党の政治家からすれば、これで役所に貸しを作った訳で、当然にのちのちの見返りを求めるでしょう。
この遣り口が気にくわないと言うのならば、エリート官僚たちが退職金の渡り鳥とならないだけの賃金を、現職中に支払えるように制度を改正することです。それをやらない限り、この退職金の原資となる補助金等の中抜きは決してなくならないと思います。
余談ですが、この持続化給付金。やはり申請が面唐ノ思う方は多く、結局サメ[トというか助言することをやっているのは税理士などの会計事務所なんですよ。堂々アドバイス料だと請求する厚顔な先生もいらっしゃるようで・・・
うちの顧客で、この補助金申請が苦手な方は、現場職の方が大半で、自分の申告内容なんてまるで分かっていない。だから、申請が上手くいかずに、困り果ててうちへ助けを求めにくる。
現場知らずのエリート様は、零細事業者の実態を知らなさすぎです。そもそも零細事業者の多くは、自身の税務申告の中味を理解しておらず、その大元である会計帳簿の作成さえ会計事務所に任せてしまっている。このような零細事業者本人に補助金申請をさせること自体が無理がある。
私はこの持続化給付金の受付が始まった当初から相談を受けている。その頃、税理士会のHPには、税理士がこの申請業務をしてはいけないと明示されていた。しかし、現在その記載はなくなっている。当たり前である。税理士がサポートしなければ、まともに申請できない事業者が沢山いるからだ。
本来、自身で会計業務が出来ないような零細業者をサポートすることが、税理士がやるべき仕事だと私は考えていたので、遅きに失した判断だと思う。既に有料で補助金申請をサポート(ここ重要)すると広告を謳っている会計事務所も出ている。
うちの事務所は既に大半のクライアントが申請済みであり、それも無報酬でサメ[トしていた。ちょっと忸怩たるものを感じるが、クライアントが生き残ってこその税理士事務所なので、これで良しとしている。
ところで、私自身はこの補助金を申請していない。いや月の売り上げが前年同月比で50%未満という条件を満たせないからなのだが、多分影響が出るのは今年後半から来年だと予測している。
補助金、間に合うかちょっと心配。まァ地道に頑張るしかないのですけどね。
これだけは言いたい。ディーン・R・クーンツは面白いと。
もっといえば、日本ではスティーブン・キングが突出していて、他のホラー作家への評価が低すぎる。キングの人気、評価が高い大きな原因は、その作品の映画化されたものが大ヒットしているからだ。
「キャリー」「ペットセメタリー」「クージョ」など世界的なヒット映画が数多くあることが、日本でのキングへの高い評価に大きく貢献している。
ところが、他の実力あるホラー作家たちの作品の映画化ときたら、良くてB級で、大概はC級映画のダメっぷりである。特にひどいのが、ディーン・R・クーンツだ。原作と比べると、映画化作品のC級ぶりが際立つ。
そのせいか、原作の小説までもが低く評価されてしまう観が否めない。私はそれが悔しくてならない。
実はクーンツ自身は自らをホラー作家とは呼ばない。あくまで小説家であり、それも読者を楽しませることに重点を置く作家だと自認している。
もしホラー小説に食わず嫌いの方がいるようでしたら、是非ともクーンツだけは読んで欲しい。なぜならば、クーンツは必ずハッピーエンドを用意している。クーンツは読者を浮ェらせることよりも、楽しませることに力を入れているのだ。
ただ長編小説が多く、クーンツ未読者には少し敷居が高いかもしれない。
そんな方にこそ表題の短編集をお薦めしたい。原作は「ストレンジ・ハイウェイ」という分厚い書なのだが、それを分冊して発刊されたのが表題の書だ。
怖すぎないホラー小説といったら言い過ぎかもしれないが、ホラー小説未体験者には最適の一冊だと思いますよ。
歴史を語る上で「IF」は禁物なのだが、それでもどうしても想像してしまう。
自粛期間中、あれこれと本を読んでいたのだが、図書館も本屋も休みなので、手許にある本の再読が多かった。そんななかで考えてしまったのが、もし織田信忠が生き残っていたらという想像であった。
もちろん戦国覇王・織田信長の長男であり、本能寺の変の際に自害して果てたあの信忠である。
信忠は既に家督を信長から譲られてはいたが、織田家の実質的な支配者は、もちろん信長である。その信長が真面目すぎるとぼやいたのが信忠であった。
実際、家来から本物のウツケと評された弟の信雄のような愚者でなく、また外見だけは信長そっくりと言われた信秀と異なり、武将として実績もある。ただ、面白みのあるエピソードなどがないため、凡庸と評されがちであった。
それでも決して真面目なだけの男ではない。いや、真面目すぎるかもしれない。かつて織田家と武田家が同盟関係にあった頃、信玄の7女である松姫と許嫁の関係であった。実際に対面したことはなかったが、双方ともかなりの筆まめで、頻繁に文通を交わしていた。
武田との同盟が敗れると自動的に婚約破棄となったのだが、信忠は諦めていなかった。長篠の戦で武田を破った織田軍であるが、体感した武田軍の強さ故に追撃は避けている。
武田方面の軍司令になった信忠に対し、信長は決して武田には手を出すなと厳命していた。しかし、信長はこの真面目一徹の息子の本心を見抜けなかった。いや、勘付いていたかもしれない。だからこそ歴戦の雄である滝川一益を補佐に付けていた。
でも松姫恋しの思いは深く、一益が止めるのも聞かずに信忠は、甲斐の地へ進軍し高遠城を落とし、武田勝頼を追い詰めて自害に追い込んでいる。ちなみに高遠城の城壁を、信忠自ら登って切り込む奮戦ぶりである。
若き日の信長もまた、先陣を切って戦う闘将であったから、やはり蛙の子は蛙なのだろう。まさかあの武田軍を破るとは思ってなかった信長は、大いに喜び、言い付けを破ったことを不問としている。
ちなみに二男の信雄は、やはり言い付けを破って伊賀に攻め込んでいるが、こちらは無残な敗戦であった。信長から勘当直前にまで叱られる体であった。
信長に褒められた信忠ではあるが、内心はかなり不満であったらしい。肝心の松姫を見つけられずにいたからだ。そのせいか、武田の残存勢力にはかなりキツく当たっている。その松姫は関東の八王子の寺で尼となっていた。
そのことが判明したのは、信長に従っての西国遠征の直前であった。多忙な最中にも部下を派遣して、松姫探索をやらせていた成果であった。もちろん松姫は、信忠が忘れずに待っていてくれたことに感激して、彼の元へ旅立ったのは言うまでもない。
だが運命の女神は二人に微笑むことをしなかった。信長が少数で本能寺にいることを知った明智光秀の謀反により、信長は死亡。信忠は助けに赴こうとし、逆に二条城で包囲されて自害に追い込まれた。
遂に生きている間は信忠と松姫は会うことは叶わず、悲嘆した松姫は生涯尼僧として独身で過ごしたと伝えられる。
余談だが、本能寺の変の時、京都見物に来ていた徳川家康は、信長の死を知ると、自らに害が及ぶのを恐れて伊賀の山越えで本国に逃げ帰っている。少数の部下(ただし、みな大物ばかり)しか居なかったので仕方ない判断である。
でも、少数の部下しか連れていなかったのは信忠も同じ。もし、織田家の存続を考えて信忠が逃げていたのならば、歴史は大きく変わっていただろう。だが真面目一徹な信忠に、父を捨てて逃げる選択は出来なかったと思われる。
歴史にIFは禁物だが、もし信忠が本能寺の変を生き延びていたのならば、清州会議は不要であった。如何に秀吉に野心があっても、他の家臣たちは一致して信忠に付くことは明白であったからだ。
そうなると、まったく別に歴史があったであろうことは想像に難くない。想像するのは自由だが、益亡きことなのでこの辺で辞めておきます。それにしても明智光秀、まったくとんでもない大事件を引き起こしてくれたものです。
私としては、織田政権の二代目としての信忠を見てみたかった気持ちはありますが、想像の翼をはためかす程度で辞めておきましょう。
五月末にアメリカで一人の黒人が警察官に殺された。
これを契機に、黒人差別だと訴えるデモが全米各地で巻き起こり、デモは時として暴動に発展し、略奪や暴行まで横行する始末である。それに対してトランプ大統領は州軍を派遣し、一時は国防省に軍隊の派遣さえ検討させたという。
その結果、共和党内部からもトランプ大統領への批判が相次ぎ、直に控える大統領選挙での再選は危ういとの報道が出ている。
家に居る時、主にCNNとBBCの番組を視ることが多いが、新型コロナウィルスと並んで、この事件の報道が多かった。
私は人種差別は良くないと考えている。あの人を人と看ない冷酷な瞳を思い出すと、今でもゾッとする。
あれはヴェトナム戦争の最盛期、米軍基地のある立川の国際通り付近であった。私は小銭を握りしめて、お目当てのアイスクリームを買い食いして、その後アメリカ兵がウロウロしている裏通りで、友人数名とブラブラしていた時だ。
酔っぱらっていて酒臭い白人から「ゲラウェイ!」と叫ばれて逃げ出そうとしたとき、横からすっと伸びてきた足に引っかかって転ばされた。顔を挙げると、酷薄な顔つきの白人が、まるで虫けらでも見るかのような冷たい視線で私を見下ろしていた。
無言の圧力に気押されて、私が硬直していると、顔に唾を吐かれた。その瞬間の屈辱感は、幼い私にもこれが人種差別だと理解できた。私は近所の白人の子供たちとは大変に仲が悪く、遇えばいつも罵り合っていたが、これほどまでの屈辱感を味わった覚えはない。
だが、次の瞬間、大柄な別の白人の男性に救いだされた。その白人は如何にも気の毒だと言わんばかりの優しい眼差しで何かを喋っていた。よく聞き取れなかったが、その科白のなかに「Sorry」があったように感じ、え?あいつら謝れるのと訝ったほどだ。
こんな経験があるので、私は条件反射的に人種差別には否定的に為らざるを得ない。同時に、助け出された経験からして、人種差別を良くないことだと認識している白人がいることも知っている。だからだと思うが、割と冷静に人種差別をみれる。
取り調べもせずに、首を圧迫して黒人を死なせた白人警官の行為は、決して容認できるものではない。それでも、私は今回の事件にそこはかとない違和感を感じている。
なぜにあの白人警官は、あのような強引な拘束をしていたのか。妙に思い検索してみると、出るわ出るわ。大手のマスコミはまったく報じていないようだが、このジョージ・フロイド氏は前科6犯の犯罪歴があった。当然に5年ほどの収監歴もある。
CNNもCBSも、またBBCもそのようなことは報じていない。ラッパーでもある善良な市民が、黒人であるがために白人警官から殺されたかのような印象を受ける報道ばかりが目立つ。
ちなみに、その前科の内容だが、麻薬所持、女性宅への不法侵入と強盗、贋札、窃盗と善良な市民とは程遠い人物であったようだ。もっとも前科者だからといって、拘束中に死なせて良いとは思わない。
しかし、デモまでして庇うべき人物なのか、私は少々疑問である。犯罪者にも人権はあるとは思うが、麻薬で逮捕歴がある大男を強引に拘束しようとした警官にだって言い分はあるだろうと思う。でも、まったく報じられていないね。
困ったことに、この前科あり説はデマだとの噂もある。なれば、真のジャーナリストならば、その真偽を取材するべきだと思うが、現時点でそのような動きはない。あくまで警察の横暴により殺された黒人との大前提である。
更に付け加えるならば、単なる抗議デモはいざ知らず、全米各地で暴徒化したデモの参加者が、略奪や暴行などをしている以上、州兵による治安維持は当然に思うし、トランプが国軍に応援を要請しようとした気持ちも分からないでもない。
実際、CBSニュースでは、それでもトランプを支持する人たちとの取り上げ方でインタビューに応じたアメリカ市民の率直な意見を取り上げている。その市民は、黒人を殺した白人警官を悪いと言いながも、デモで略奪などをすることを強硬に取り締まらないのもおかしいと述べていた。
でも、欧米の大半のニュースは、軍隊まで使って黒人への差別を訴えるデモを抑え込もうとするトランプといった視点で報じている。それがウソだとは思わないけど、一方で暴動に怯え、あるいは怒りを感じるアメリカ市民もいる現実は押し隠される。
日本のマスコミの偏向報道に馴れてはいるが、欧米のマスコミのトランプ嫌いも相当だと感じた週末でした。
既に日本とシナとの戦いは始まっている。
今年に入り新型コロナウィルスにより企業のみならず、役所までもが人員を減らして活動を自粛していた。でも、それは民間でのこと。空の上では、自粛とは無関係に地味な戦いが今も続いていることをご存じだろうか。
日本のマスコミは軍事音痴なので、事実を目にしてもその意味を分かっていない。また防衛省など軍関係者は、平和愛好市民を無駄に刺激する必要がないとばかりに説明をしない。
だから、地味な戦いが続いていることを国民が知らないのも無理はない。
近年、航空自衛隊のスクランブル発進が増えていることをご存じだろうか。冷戦の最中は、主に北海道から本州周辺を旧・ソ連軍の軍用機が日本の領空を侵犯し、それに対してF4ファントムが緊急発進して、ソ連機を追い払うことが頻発していた。
ソ連崩壊後、このような領空侵犯を大きく減ったが、代わって日本領空を侵犯するようになったのが、共産シナの空軍機である。目的はソ連と同じく、日本軍およびアメリカ軍のレーダー防空網の確認、迎撃体制の確認、使用される通信波や、暗号などの解読など多彩な内容である。
それだけではない。
戦闘機に限らないが、稼働する機械である以上、そこには寿命というか使用可能期間(耐用年数)がある。例えば自衛隊の主力機であるF15Jは、構造寿命が8000時間と規定されている。
この構造寿命を過ぎたら、新しい機体と交替するか、大幅な改良工事が必要となる。つまり、敵性国家の軍用機が日本の領空を侵犯し、それに対応してスクランブル発進をするたびに、この構造寿命はすり減っていく。
一度のスクランブル発進で、対応するF15が二機で、飛行時間が6時間だとすると、その分だけ構造寿命は減っていく。消耗する燃料もさることながら、磨滅する機器のコスト、交換する部品などを考えると、過酷な任務であるスクランブル発進による軍事力の低減は、決して無視して良い問題ではない。
実際、日本同様にシナの領空侵犯に悩む南コリアの空軍は、主力戦闘機であるF15Kの交換部品が足らず、僚機から使いまわして任務をこなす、いわば共食い整備に陥っている。遂には飛ばすことが出来ず、制空戦闘機ではない攻撃機であるF16をスクランブル発進させる事態も生じている。
いくら整備能力の低い南コリアでも、これは酷いと思う。だが他人事ではない。整備能力の高い日本の航空自衛隊でさえ、主力戦闘機の摩耗は著しく、そのせいで旧世代機であるF4ファントムを引退できずにいる始末である。
この機体の整備、新型機の導入は、その国の経済力に大きく依存する。既に日本のGDPを超えている上に、大規模な軍事費を投入しているシナに比して、日本の軍事費用の規模はシナほどは大きくない。この違いが地味ではあるが、じわじわと日本の軍事力の低下に影響している。
まして、次世代の主力戦闘機であるF35となれば、その整備費用はF15の数倍になる。これが度重なるスクランブル発進で摩耗する戦闘機の整備に充てられるのだ。
敵性国家からの領空侵犯は、かくも地味ではあるが、確実に我が国の軍事力を削ぐ効能を有する。馬鹿なマスコミが、安倍政権がトランプに媚売って、超高額なF35を爆買いしたなどと与太記事を書いている。
馬鹿も休み休み書いて欲しい。F4及びF15の構造寿命が終わりに近くなったので、F35へ買い替えることは安倍政権以前から予定されていたこと。それが早まったとしたら、それは領空侵犯を繰り返すシナの軍用機に対するスクランブル発進の増加が原因なのです。
日本の軍事費は、国民の税金により賄われていることを改めて指摘しておきたい。現在の表面的な平和の姿の裏では、今も地味に軍事力の削ぎ合いが行われている。これが平和な日本の、もう一つの事実だということを、よくよく銘記しておきたいものである。