最近、エロ本を読まなくなって久しい。
元々、女性の魅惑的な写真は好きだった。ヌードであろうとなかろうと、その女性の魅力を引き出すような写真には引き付けられた。写真は、そのモデルとカメラマンとの感性の合作だと思う。
単に写真の技術だけではダメで、そのモデルの人としての魅力を引き出せる写真は、そう多くはない。
私、本当はこんなスケベな写真、撮られたくないの。そんな気難しそうな女性を撮らせたら上手かったのが、杉本健一カメラマンだったと思う。80年代から90年代にかけての大人向け男性誌の女性グラビアはすべて制したような売れっ子カメラマンであった。
だが、インターネットの登場によりメディアとしてエロ本は次第に追い詰められていった。カメラマンもデジタル時代に適応したものでないと業界に生き残れなかった。
気が付いたらカメラマン杉本健一のグラビア写真を見ることはなくなっていた。実際、エロ本時代が販売部数を大きく減らし、老舗の雑誌も姿を消していた。たしか白夜書房のエロ本の編集後記だか、編集者の座談会だったか忘れたが、杉本氏がタイでガイドをやっているとの記事を読んだのが最後の記憶であったように思う。
そして先日、ヤフーニュースを眺めていたら、杉本健一が孤独死していたとの記事を見つけた。さすがに驚いた。この方、写真集を何冊も出している売れっ子カメラマンだっただけに、その最後が日本国内は場末のアパートでの孤独死であったことに、なんとも言えない悲哀を感じた。
記事によると、近親者がなかなか見つからず、葬儀さえ満足にされず、最後は行政による葬儀であったようだ。離別した妻子と連絡がついたのは、葬儀が終わって数週間後であったそうだ。
私はこの人の写真で好きなのは、モデルに半身で振り向かせる構図であった。ちょっと嫌だけど、でもこれくらいならまァいいわ。そんなモデルの声が聴こえてきそうな写真であった。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
又しても出たマスコミ様の報道したくない自由。
先日、北に拉致された横田めぐみさんの父、滋さんが亡くなったとの報道があった。その後、めぐみさんの弟である哲也さんの記者会見での発言をマスコミ様は報じなかった。その内容が以下の文。
哲也さんは「一番悪いのは北朝鮮」としながらも、
「この拉致問題を解決しないことに対して、ある、やはりジャーナリストやメディアの方なんかが、『安倍総理は何をやってるんだ』というようなことをおっしゃる方もいます。『北朝鮮問題が一丁目一番地で掲げていたのに、何も動いていないじゃないか』というような発言をここ2・3日のメディアを私も見て、耳にしておりますけれども、安倍総理・安倍政権が問題なのではなくって、40年以上も何もしてこなかった政治家や『北朝鮮なんて拉致なんかするはずないでしょ』と言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理・安倍政権が苦しんでいるんです」
と、取り組んでこなかった政治家や、拉致問題を認めてこなかったメディアの存在などの積み重ねが、問題を困難にしていると主張する。なお、めぐみさんをめぐる問題は、失踪から20年後の1997年2月にAERA、産経新聞が「拉致疑惑」を報じ、問題が公になった背景がある。
「安倍総理・安倍政権は動いてやってくださっています。なので、何もやってない方が政権批判をするのは卑怯だと思います。拉致問題に協力して、様々な角度で協力して動いてきた方がおっしゃるならまだ分かりますが、ちょっと的を射ていない発言をするのはこれからやめてほしいと思っております」
私からも少し補足したい。
北の拉致疑惑は、80年代から密かに話題にはなっていた。だが、決してTVも新聞も取り上げようとはしなかった。だが、大韓航空機爆破事件の頃から、海外を通じて漏れてきていた。
それが北の女性工作員である金賢姫(蜂谷真由美)である。彼女は日本にも何度も入国し、流ちょうな日本語で工作活動を行っていた。彼女に日本語を教えたとされたのが、横田めぐみさんであった。
当時、私は長期の療養生活を送っており、暇を持て余していたから、けっこうなメディアに目を通していた。はっきり言うが、日本のマスコミ様のほとんどが無視していた北による拉致疑惑は、この金賢姫なくして表ざたになることはなかった。
でも私は知っていた。暇にまかせて図書館の英字新聞などを流し読みしていたので、海外では既に北の拉致は公然のものとされていたからだ。それが、映像映えする女性スパイの存在により、一気に日本にも広めてしまった。
私は当時、日経、朝日、産経の三紙を併読していたし、図書館で毎日、読売も読むことが多かった。だから覚えている。北の拉致疑惑に対する否定的な記事が溢れていたことを。
共産党や社会党はもちろん、自民党内部にさえ北との友好関係を崩すための偽装報道だと、拉致疑惑を貶める政治家は少なくなかった。だが、時が経ち金賢姫の直接の発言が漏れ伝わる度に、拉致疑惑を本気で捉える日本人が増えてきた。
だからこそ、小泉元総理が曽我さんら拉致日本人をシンガポールに連れ出した時は、天地がひっくり返ったかのような騒ぎになった。意地の悪い私は、今も忘れずに覚えているが、あの日、社民党の党首であった福島は、天使のコスプレをして慈善事業におおはしゃぎであった。
でも翌日のニュースに福島が載ることはなく、北による拉致の事実が堂々と議論されるようになった。そして、今まで北の拉致疑惑を否定しまくっていた人たちの無責任な沈黙が、事態の深刻さをより印象付ける結果となった。
ちなみに当時の小泉内閣の外務大臣が安倍晋三であり、彼の強硬な主張が小泉を動かしたことは、後に明らかになっている。当時から安倍晋三は、北の拉致に対して相当な怒りを鬱積していたことが今なら分かる。
だが、日本の善意溢れる平和愛好市民たちには、この北の拉致事件は疎ましいものに他ならなかった。その後の第一次安倍内閣を崩壊させたのは、この善意に満ち溢れた平和を愛する市民たちの暗躍が大きく貢献している。
だからこそ、再び政権の座に就いた安倍政権は、なにがなんでも辞めさせねばならぬ使命だと盲信しているのだろう。もっとも皮肉なことに、彼らが安倍落としに夢中になればなるほど、安倍政権は長期政権として揺らぐことはなかった。
しかし権力は必ず腐敗する。安倍政権もこの公式からは逃れられない。政権幹部の醜態がようやく見つかるようになり、安倍政権の支持も揺らいでいる。さあ、そんな矢先に起きたのが、横田めぐみさんの父である滋氏の死去である。
いけない、絶対にこれを安倍政権のプラスになるような事態にしてはならない。なにがなんでも安倍政権は崩壊させねばならない。
だからこそ、めぐみさんの弟の発言は、報道するべきではないのだ。マスコミ各社及び識者とやらは、そう考えているのだろう。
マスコミが報道したくないからこそ、そこに真実が現れていると、私は確信しています。
乾燥ワカメは怖いのよ。
そう教えてくれたのは、20代の時に長期入院していた大学病院の看護婦さんだった。
私の入院していた病棟は難病患者が数多く入院していのだが、基本的に高齢者が多く、若い人は少なかった。いや、女性患者なら若い人はいたが、薬の副作用等で髪が抜けたり、薄くなったりしていたせいか、あまり人前には出てこない人が多かった。
男性患者は圧倒的に中高年ばかりで、まだ二十代前半の私は飛び抜けて若い患者だった。決して疎外されていた訳ではないが、年があまりに離れすぎて、お年寄りの会話には入りずらかったのは事実だ。
孤立しがちだった私を気遣ってか、時折看護婦さんやヘルパーさんが話し相手になってくれた。当時、私は大量服用していた薬の副作用で、強烈な食欲に悩まされていた。
とはいえ、減塩高たんぱく食という食事療法の最中であり、間食もなかなか気を遣う。私自身、食事療法への関心は強く、それなりに納得してはいたが、この空腹感には本当に参っていた。
なので、看護婦さんと相談して減塩の梅干しのタネを延々としゃぶっていたりして我慢していた。コンニャクを使ったお菓子なども試したが、空腹感は満たされず、むしろ堅いものを長く噛み続けるほうが効果があった。
その頃、私は川島医師の著作で知った板昆布をガムの形に切ったものを間食として齧っていた。お鍋の時の出し取りに使う板昆布は、大き過ぎるので鋏で一口サイズに切ったものを母に作ってもらい、それをオヤツとして退屈な病院暮らしの楽しみとしていた。
この板昆布は本当に堅くて、口の中で噛み続けても、柔らかくなるのに20分くらいかかる。ほのかな塩味と出汁の風味が感じられるが、食べ切るのに最低でも30分はかかる。正直言えば、顎が疲れるほどである。
その日も談話室で、本を読みながら板昆布を齧っていたら、看護婦さんが「あ~、また何か食べてるな。何食べているの?」と訊いてきたので、私はちょっと自慢げにこれは板昆布だと話した。
すると、その看護婦さんはちょっと首を傾げてから、ある患者さんの話をしてくれた。
その患者さんは、糖尿病でカロリー制限を受けていたのだが、やはり間食好きで悩んでいた。退院してもカロリー制限は続くので、それなりに悩んで見つけたのが、乾燥ワカメであったそうだ。
私も味噌汁の具や、海藻サラダを作る際に使うのだが、普通は一度水に戻してふやかしてから料理する。ところが、その患者さんは、乾燥ワカメそのものをスナック菓子のようにボリャ鰍ニ食べていた。
微かな塩味と旨味があるであろうことは容易に想像付くが、問題はその量であった。なんと市販の「ふえるワカメちゃん」一袋を半日たらずで食べ切ってしまったのだ。
悲劇はその夜に起こった。お腹が痛い、とにかく痛い。脂汗が出るほどに痛かったそうだ。思い当たるのは、乾燥ワカメになにかばい菌でもついていたのではないかという事。ただ吐き気はなかったが、怖くなって病院に行くことを決意する。
救急車は嫌だったので、タクシーで病院に行って、その後数時間検査漬け。途中、痛くて痛くて、遂には泣き出してしまった。気が付いたら夜が明けていたことは良く覚えていたそうだ。
若い医師たちが首をひねって原因を探っていると、その患者の主治医がやってきて、前日の食事の内容を聞くと、お腹をさわり納得したように一言。
「こりゃワカメだね」
乾燥ワカメは水を吸うと十倍近くに膨張する。その乾燥ワカメを一袋食べたのだから、小腸や大腸のなかでワカメが膨れ上がっている状態となっていた。急遽処置室で浣腸などをして、体内のワカメを排出させてようやく痛みは引いたそうだ。
看護婦さんは「実はその日の当直が私だったんで、よく覚えているんだよね。もう少し処置が遅れたら、命の危険もあったらしいよ」と淡々と語る、その眼は笑ってはいなかった。
少し焦り気味の私が、板昆布も危ないの?と訊くと、「食べ過ぎなければ大丈夫だと思うよ。でもヌマンタ君、食いしん坊だよねぇ・・・」
やはり、物事は控えめが一番であるようだ。以来、板昆布は一日3枚(ガムサイズ)と決めた。それにしても、ふえるワカメちゃん、恐るべし。
希代の人たらし、それが豊臣秀吉であった。
元々、貧しい農家の出であり、家名に格式はない。さりとて学識がある訳でもなく、武芸に秀でている訳でもない。しかし向上心はあった。いろいろな仕事に就いて経験だけは豊富であった。
だが、自分自身の至らなさをしっかりと自覚していた。普通ならば劣等心に押し潰されるところだが、秀吉は図太かった。自分にないものは、人に借りればよいと考え、有能な人材を集めて活用することで、自らの至らなさを補う以上の結果を出した。
温和でまとめ役に長じた弟の秀長、かつて世話になった野武士の棟梁である蜂須賀小六、信長から借り受けた知恵者の竹中半兵衛といった有能な家臣たちの助けもあって、信長の家臣のなかでも新参ながら明智光秀と並ぶ出世頭であった。
秀吉の強みは、有能な人材を活用して活かすことであったと思う。率直に言って秀吉以上の武将ならば、幾人もいたと思う。しかし、秀吉以上に人遣いが上手い政治家はそうそういなかった。
あまり指摘する人は少ないが、秀吉にとって憧れであり、恩人であり、目指すべき人であったのは信長個人であって、織田家ではなかった。秀吉が「明智には譲れない」と決断したのは、信長の想いを継ぐのは自分だとの強い自負があったからだ。
だからこそ信長の想いを継げない織田家の子供たちを素気無く切り捨てている。ある意味、強烈なリアリストであり、冷徹なリアリストでもある。
その秀吉唯一の失点は、後継者に恵まれなかったことだ。いや、親族から幾人も養子をもらい、後継者に据えようとしたが、どれも秀吉のお眼鏡に叶わなかった。だからこそ、淀君の産んだ秀頼に固執したのだろう。
だが老齢の秀吉は失念していた。家名に格式なく、学識もなく、武撃ウえ乏しい自分が何故故に天下人となれたのかを。
晩年の秀吉は、統一後の日本の統治のために、従来の戦場での有能な部下中心から、平時の統治が出来る官吏型の部下に権力を委ねつつあった。その代表が石田三成である。
この秀吉の判断は、リアリストらしい冷徹な考えである。もちろん、これまで戦場で命を懸けて尽くしてきた武断派の武将たちは不満を抱えた。しかし、秀吉は彼らを抑える自信があった。
ここに豊臣家没落の原因がある。
確かに秀吉は希代の人たらしである。その人心掌握の才幹は格別であった。でもそれは、穏やかな人格者の弟・秀長や、子飼いの武将たちの親役を担った北政所・寧々らの助けがあった。
しかし秀長は50代で病死し、寧々は秀頼の父を大野長治ではと疑い秀吉から離れつつあった。秀吉の威光を背に三成が増長したことに、かつての有能な部下たちの気持ちは離れだしたことに秀吉は気が付けなかった。
秀吉の死後、黒田官兵衛や藤堂高虎は家康側に回ったが、これは豊臣家への恩顧よりも、石田三成への敵対心のほうが強かったからだと思える。福島正則や加藤清正ら武闘派も同様である。呆れたことに、秀頼側にはそれを引き留めようとした形跡が見られない。
もし秀長が生きていたら。あるいは淀君に現実的な判断が出来ていたら、あるいは三成に柔軟な妥協が出来ていたのなら・・・
一代で日本統一を為し得た英雄である秀吉は、有能な部下の協力により夢を成し遂げたしかし、秀吉の死後、その有能な部下の離反により豊臣家が滅んだ。
表題の書は、秀吉の人間関係を中心にして、豊臣政権の栄枯盛衰を語ったものです。興味がありましたら、気軽に手に取って歴史に思いを寄せるのもまた楽しい時間だと思います。
久々に呆れたフェイクニュースがこれ。
共同通信によると、欧米が香港を巡る中国の対応に対しての批判声明に日本が参加することを拒否して、欧米各国が失望していると報じられた。
私はこの報道をヤフーニュースで週末に読んだ。その時から違和感を感じていた。
安倍首相は、香港の若者たちのデモ騒動に対して、西側先進国の首相で最初に言及したことで知られている。日本では、マスコミがほとんど報じていないが、香港の若者たちは、安倍首相の言及に対して大いに感動し、励まされたと反応している。
私はそれを知っていたので、この共同通信配信のニュースを奇妙に思っていた。なにか裏があるのかとも思っていたが、週末すぐにその実態が判明した。まず産経のネット版から、この記事は削除されている。
どうやら偽装報道の臭いが濃厚である。
共同通信社とは、一般社団法人と株式会社の二形態あるが、その業務は世界各国で配信されるニュースをまとめて、日本の新聞社、放送局などに配信することを業務としている。
ただ、以前から胡散臭い噂が出ていることは、私も耳にしていた。なにせ共同通信の記事の執筆者のなかには、雑誌「世界」の常連が数人居たり、妙にコリアに肩入れしたイベントに出資したりと、政治的な偏向が感じられたからだ。
もっとも、そのような妙な記事は滅多にないため、日ごろは私も特段気に欠けずにいた。だが、さすがにこの杜撰な偽装報道にはすぐに気が付いた。
誰が、何の目的で、このようなウソニュースを報じたのか不明だが、日本政府は週末明けにはすぐに否定する談話を出している。他のメディアは様子見のようだ。
フェイクニュースといえば、朝日新聞が得意としているが、共同通信もなかなかやるもんだ。ただ、このウソ報道で、誰が得をするのか、それがさっぱり分からない。
日本は本当は親中国で、欧米とは違うのだとの世論でも形成したいのだろうか。南コリアと勘違いしているんじゃないのかねぇ。