Photo by Ume氏
怒りのマグマが爆発すると、自分のは人格とも言えないそれが、情けないほど崩壊していくのが分かる。「加齢による成熟などというものはない」と、五木寛之は今週の「週刊新潮」で書いているが、同感する。大方の人は加齢とともに自分の場が狭まってくることを自覚して、世間に遠慮するようになる。それが、「世慣れた円満な人柄」の正体ではないかと思っている。遺憾ながら、自分自身は一向にそうならないが。
「角(かど)がとれて円くなったというのは、要するに何かがすりへってしまったということではないだろうか」とも作家は書くが、それが真実なら、年々歳々角が尖ってくるというのは、「野生化」などと誤魔化してきたが、何か深刻な心の病が始まっているのかも分からない。ウムー。
ともかくああいうのを「怒りに任せて」というのだろうが、昨日は気になっていた丸太を計4本、テイ沢に担ぎ上げた。5メートルの2本は一人で担ぐのを躊躇していたが、これは怒りの効用とでも言うのだろう、出来た。9箇所ある丸太橋のうち、4箇所は完全架け替えでなく補強である。何とかすべてをビシッと新しい丸太橋にできたら、テイ沢はもう忘れよう。
昨夜はもの凄い月が出ていた。今までここで眺めた最高の月だ。山の人になって、円満とも成熟とも無縁で老いていくだけの身には、まったくもってもったいないような月だった。月の正体は比較的早くから知っていたが、それでもなお、ウサギが餅をついているとか、かぐや姫の物語だとかを本当に信じていたころのことも覚えている。
仙丈ケ岳へ行ったはずのUme氏はなんと、北アの針の木岳に行ってきたという。仙丈の山小屋は予約が一杯だったらしい。入笠の牧場(ここ)は明日からぽつぽつ予約もあるが、静かなものだ。しかしそれでいい。2年間このブログで呼びかけたのだ。
一夜1万円を払ってでも、時代遅れの山小屋から(実際は2000円)、草の上のテントから(実際は700円)、無窮の宇宙をを感ずることができたと、喜んで帰っていく人たちが来るだけでも、いいのだ。事実あの人たちは、20年以上も毎夏来てくれている。