入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬」 (24)

2015年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 天気の良くなかった22日に撮った写真のせいだが、寒々しい風景の写真ばかりが続いた。荷上げした水とビールのことが気になり昨日も山に上がったが、あいにく電池の余裕がなく、とりあえず1枚だけ撮ったのが今日の写真。現在の入笠の状況がお分かりいただけるだろうか。

 「僕らは貧しく、豊かではなかったが何となく今より倖せだった気がする」。本日の新聞の広告欄で見付けた、倉本聰氏の言葉だ。確かに、そういう気持ちがしないわけではない。何故か。文明の進歩と幸福は必ずしも同調しないのだ、ということだろう。
 その典型にまず思い付いたのがテレビ。しばらくは家中が、テレビから入る情報に沸いた。しかしやがてそれに慣れると、殺人も戦争さえも、日常の片隅の出来事になってしまった。そして団欒は、味わいを薄めただろう。

 あの時代から希薄になったもののひとつが、労(いた)わりではないか、という気がする。例えば父や母の、終日働く姿がいつも目の前にあった。肉体的な労苦に対して、労わりの感情が生まれ、連帯ができ、そしてそれが家族の幸福のうま味を醸成した、と思う。 
 薪で火を燃やし炊飯する、汚れた物を手で洗う、そういうことをわれわれの以前の世代は、当然のこととして遙かな昔からやってきた。そしてそれをずっと見てきた。「今より倖せだった」と思う記憶の中には、そんな情景も含まれているのではないだろうか。
 だからそのころの暮らしの中では、正月は特別な幾日かで、その数日間にしかできないことが、食べ物も含め、いっぱいあった。われわれは正月のために、欲望を抑えた。「お正月になったら」とよく言われたものだ。いや正月だけでなくその他の祭りや慶事を祝うことでも、幸福を共有した。その単位が家族だった。ささやかで貧しく、ホロ苦ささえ残る幸福だった。戦後間もないあのころ、都会よりも農村に、そういう「倖せ」が、より多くあったような気がする。

 南北のアメリカ大陸、そしてイギリスが、正月を目前にして異常気象のため大変なことになっている。日韓外相会談はどう決着するだろう。世界の混乱、不幸は続くというのに、ビールの心配などしてる年の暮れ。Nさん、コメントありがとうごさいました。またお願いします。歩く中さん、気を遣わせてすいません。年末年始以外では、1月8,9,10日は上にいます。

 入笠牧場の宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年度冬季営業」を、また天体観測に関心のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。

 
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