
上に来ればは雨脚も弱まるだろうと期待したが、どうも今日はそういうことにはならないようだ。管理棟から眺める新緑が、霧と雨の洗礼を受けて霞んで見える。また、枯草の中に目立ち始めた牧草の緑が目に沁みる。
酪農のことにについて書くにあたりまず思うのは、さて、牛乳は高いのだろうかということだ。無理に集約化を進め、流通経路を簡素化して、これ以上安くするほど高いのだろうか。同様に、日本の農産物についてもそうだ。農産物価格低減策を必死で進めてみたところで、総じて単価の低い農産物がどれほど家計に影響するのかを、とくと考えてみた方がいい。
上伊那地方の酪農の場合を見てみると、搾乳された生乳はJA上伊那-全農-東海酪連という経路を経るが、実際には業者によって集められた牛乳はミルクスタンドで検査を終えれば、直接メーカーに渡る。運搬の都合で一定量の確保のため保管される場合もあるが、それほど流通経路が複雑というわけではない。ただし、口銭はかかる。だが、それがどれほど市場の価格を押し上げているというのか。
近頃は他の農業生産者の中には農協から離れ、独自に販路を開拓しようとする人たちもいる。当然こうした方がより大きな利益が期待できるからだろう。しかし、失敗例も多々あるし、全ての農産物についてもそれが可能かといえばそうではない。
その典型が家族中心で行われている酪農であろう。彼らは代々専業農家であって、兼業農家ではない。家族中心でやっている平均的な酪農家にとって、現在の仕組みから飛び出ることはできまい。にもかかわらずこうした人たちのことを無視し、犠牲にしてまでメガフアームに集約化して、さてどれほどの利益が消費者にもたらされるというのだろう。また、それで日本の酪農は安泰なのだろうか。
中国では、日本の技術者の指導で生産される牛乳は、1リットル500円もするという。それで充分需要があると聞く。新聞なども、農産物などの些細な価格変動について、あまり神経質に騒ぎ立てるのはどうかと思う。消費者も、そんなことにムキになり、踊らされ、わずかの違いで一喜一憂するのはさして意味のないことだと知るべきだ。
今や農業は食だけのためにあるわけではない。自然を守り、文化を育て、長い歴史を背負って来ている。そういうことをもっと真剣に考えるべきで、何でもかんでも効率とか経済性とか収益性とか、他の産業と同じ物差しで農業も測ればよいというわけではないだろう。
ウムー、雑駁な呟きになってしまった。
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