入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「夏」 (25) 

2016年05月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


   ウーン、まず、訂正とお詫びから。昨日は「ヤノマミ」が「ヤマナミ」と誤記しているのに気がつかないまま投稿してしまいました。きっと気が付かれた方も多かったでしょう。訂正して、恥じ入り、お詫び申し上げます。
 
 そのヤノマミ(今度は大丈夫)についてもう少し。彼らのようにいまだに他の文明とかけ離れ、独自の暮らしを続ける者らのことをどう考えたらよいのだろう。彼らは、それで充分に満足かつ幸せなのだろうか。例えば、彼らの生活にはプライバシーというものがないらしい。
 プライバシーが必要な理由には、他人に見せたくない、知られたくない、という気持ちがあるはずだが、そう感じたり思ったりするのは、特に羞恥心と関係することが多い。100人を超す集団生活において、この人たちにはそんな感覚はないのだろうか。
 われわれは裸で人前には出ない。集団にもよるが、彼らは男も女もそれに近い。われわれは、長い間集団生活を続ければ疲れる。よく避難所生活ではストレスが話題になるし、問題視されるが、ヤノマミにはそういったことはないのか。
「食べている時も、寝ている時も、あるいは性行為の最中でさえ、他人から丸見えとなるのだ」と、先日紹介した「ヤノマミ」には書いてある。これではまるで、われわれが公衆浴場にいるようなものではないか。
 集団によって、その数(30~200人)、文明の度合いにも違いがあるようだが、1万年以上も変わらぬ生活をしてきた人たち や、今後もそうしようとして外からの文明を拒否している集団もあるという。
 あまり話をややこしくしないが、20世紀に入ってようやく、彼らはわれわれの文明と接触するようになったらしい。しかしそのために、よそ者にはさんざん酷い思いをさせられたようだ。だから孤立して、独自の生活方式を守る道を選ぶしかなかったのだろうが、広大で濃密な森がそれを可能とした。われわれには二つの文明の比較ができるが、あの人たちはその対象がない。そして今も、われわれには考えられないような生活を、当然として受け入れて暮らしているはずだ。





 今日は気持のよい五月晴れの下、草刈に専念できた。ヤマナシも白い花を咲かせ、道端のクリンソウもぼつぼつというところ。良い天気で、結構花を撮る人の姿を見掛けた。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H28年度の営業案内」をご覧ください。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする