8月が来たというのに、今年は何となく夏の勢いに頼りなさを感じる。台風に先を越されて、夏空は隠れたままだ。都会では猛暑が報じられていても、ここはあと半月もしないうちに秋風が立つというのに。
考えてみれば、夏の評価は過大な気がする。夏はそれほど良い季節なのだろうか。夏というよりか、若かったころの夏休みの印象や思い出の断片が時代を過ぎて、実際よりか多少誇張され、美しくなって蘇ってきたりするからではないのか。それと、いかにも「夏は天国だ!」といった芸能界的な過剰な演出や報道に踊らされて、夏という虚構のお祭り騒ぎに参加してみたかっただけのことではなかったのか。
夏の印象は、大人になってからよりも少年時代にばかり戻ろうとする。涼しいうちに宿題をしろと親から口うるさく言われた夏休み、ヘチマやカボチャの棚がつくる緑陰、入道雲と天竜川での水泳、スガレ追い、スイカ泥棒・・・。
夏休みで都会から近所に、同じ年頃の足の悪い少女が来ていた。内心はその子を気に入っていながら素直に接してやれなくて、懐いてくれば逆にイジメた。当時の田舎の子供は、都会の子供になにがしかの気後れのようなものがあり、穏やかではいられなかったのだ。その少女は、それっきり翌年の夏から来なくなってしまった。
夏が来ると、すでに半世紀以上も昔の記憶だというのに、白いワンピースを着て少し足を引きずりながら歩いたその少女のことが、遠くから聞こえてくる風鈴の音でも耳にするように思い出される。
青年期、そして壮年のころはひたすら山に行こうとしたはずだが、夏山を思い出してももう、何の音も聞こえてこない。
ここへ来る途中の山道で見付けた。近付いたら草叢に逃げ、近くで親鳥のひ鳴く声がした。ヤマドリの雛か。
8月中は、キャンプの場合も、予約をお願い致します。キャンプ場及び山小屋の営業内容につきましては、「H29年度の営業案内」と「続H29年度の営業案内」を参考にしてください。