最近、いつもの通い道が工事中のため、美和ダムのある非持まで迂回してから来るしかない。一般によく使われる千代田湖経由の方法もあるが、退屈な山道で滅多にしか通らない。
さてこの臨時の通い道だが、決して悪くない。山室川はかなり低いところを流れているらしく見えないが、両側の里山を押し広げるように開田が広がっている。この辺りの眺めがなんともいい。空が広く、黄金色(こがねいろ)に輝き出した水田も高い位置に盛り上がるよう見えて、しばらくはそれが風景の大半をしめている所さえある。
「川辺」という集落は文字通り山室川のそばの低地にあるのだろうが、案内があるだけで集落の様子は分からない。「原」という集落も道路より低く、幾つかの屋根が見えるがそれほど大きな集落とは思えない。道路の右手の丘陵には、その名も「上の原」という地名を示す案内板がある。山室川に東の山から流れ込む幾本かの川筋に沿うように畑だか田圃だかが山際まで続いているが、土地改良が行われる以前は水田よりも畑が多かったに違いない。全体に東から西へと緩やかな傾斜の続く土地に、人の生活が始まったようだ。古刹「遠照寺」の辺りまで来ると、それでも人家の数が増えてくる。
それにしても、その先はどん詰まりである。西に向かって流れ下ってきた山室川も、このどん詰まりで南に捻じ曲げられている。ここまで来ればいつもの通い道と合流する。ただし、まだ20キロ以上を行かなければならない。
今では辺鄙とは言えない。それでもこういう所を通るたびに、人の暮らし、それも車のなかった山人の暮らしのことを考えるのが癖になってしまっている。住めば都かもしれないが、どういう事情があって、何がうれしくて、とあれこれつい想像してしまうのである。
ちなみに芝平は、さらに8キロも山の奥。
秋到来。キャンプ場及び山小屋の営業内容につきましては、「H29年度の営業案内」と「続H29年度の営業案内」を参考にしてください。