入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「春」(1)

2022年03月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 山から帰る時は、一人二役をする。まず召使役が「ご主人さま、今宵の夕餉は何をお望みですか」などと訊ねる。するとご主人役は「うむ、山では美味いものを食さなかったからなぁ」などともったいぶって、それから答える。「とろろ汁なぞどうか」などと。
 召使だから、大体は何でも受け入れることになるが、有難いことにご主人様は河豚を食したいとか、高級店の寿司が食べたいなどとは言わない。結局はご主人さまが召使になって、台所に立たねばならないことが大半だが、それも、山の続きのような気がして、独り芝居を喜び、楽しんでいる。



 今朝は5時に目が覚めてしまった。どうせ、雪が締まっているうちに山を下りるつもりでいたから、そのまま起きていた。小屋を出たのが7時、気温零下13度、快晴だった。納まっていた外反母趾の疼きを感じながら、乾燥した粉雪には足を取られ、足の下でガリガリと音を立てる氷雪には余裕を感じながら、牧場と自分への義理のようなものは今回も果たせたと思い帰ってきた。

 里に下りてきて、車に荷物を積み込もうとしたら、後部ドアがわずかに開いていた。ガラクタのちょっとした端っこがつくった隙間でランプがずっと点いたままになり、エンジンは始動しなかった。そのうち誰か通るだろうと思って待つほどに、1台の軽が来て助けてくれた。
 そんなこともあって、昼ごろに家に着いた。それから2時間かそこら経っただけだというのに、深雪での登行、スノーシューズの不具合で雪の中に腰まで潜り、ついには泳ぎ、その疲れ、足の痛み、寒さ、諸々の悪い体験が記憶に残ったはずなのに、もう今はそうでもないから不思議だ。法華道にも、もう来ないと言ってきたつもりながら、何か思い切れない人に対するような未練が残る、後を引く。
 苦労でしかないことを何故かと訊かれれば、やはり今の多分自分を試してみたいからだと思う。体力、気力・・・、実はその程度のことを確認してみたいのだ。大したことはできなかったが、もっと困難な山や壁では、自分の持っている力を、やはり試してみたかったのだと思う。
 確かに、時には美しい夕映えを目にし、あるいは一息入れた時に聞こえてくる鳥の声、渓の水音にも心が動く。風景、草花、山には美しいものがたくさんある。しかし、それらが山行の目的かと問われたらばそうではないと応えたい。やはり自分を、遠慮のない自分だけの評価に晒してみたいのだ、探ってみたいのだ。今回も、印象に残るような風景を見ただろうが、もう覚えていない。

 有史以来、人は闘ってきた。これだけ賢くなったはずなのに、まだ終わらない。それも、ごく限られた人間の思い込み、猜疑、錯覚、驕り、野心で、無辜の人々がたくさん死んだ。人類の未来を悲観的にさせ、それが今も続いている。
 本日はこの辺で。


 


 


 
コメント
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