きょうの写真はほぼ1年前、昨年の3月4日に撮った1枚。貴婦人の丘を過ぎた、最初の大きな曲がりに差し掛かった所で、この日は車で上まで行くことができた。しかし今年は、とてもそんなことを期待するのは無理だろう。ならばだが明日、法華道を歩いていくかどうするか、まだ迷っている。
先月の4日に上に行った際は、使用したスキー用のストックは深雪に対処できず苦労した。それで、今回は長さが調整でき、輪ももう少し大きめの物にしたいと考えていたが、ここらでは手に入らない。また、頼りのスノーシューズは、結束用のゴムバンドが劣化して3か所も切断してしまい、これも修理する必要がある。
恥ずかしながら今の心境は、なかなか燃え出そうとしない落ち葉に火が点くか、と言ったところだ。
きょうはようやく春らしい陽気で暖かい。いい風が窓から入ってくる。西山は昨夜も雪だったようだが、その上空の青い空は見るからに明るい春特有の眠たげな薄青色の空が拡がっている。
もう場所もよく分からなくなってしまったカタクリは、また片葉のまま生えてくるのだろうか。イカリソウは、ヒトリシズカは、ミヤコワスレは、一時だけの関心を見せるだけで後は知らぬ存ぜぬを決め、その薄情さに憤っているかも知れない。
山野草の多くもすかっり姿を消した。盆栽もそれなりのシロモノが幾鉢もあったが、すでに全滅した。春は、そういういままで見えなかった景色を、責めるように晒してくれる時季でもあるらしい。浮かれてばかりはいられないぞと、春一番らしき激しい風の音が聞こえている。
ふくらはぎの痒みが止まらない。目に見えないトゲでも、それが刺されば気になって仕方ないものだ。2,3度の気温の変化に一喜一憂し、数センチの異常な潮位の上昇、微動地震、噴煙の観測と、人は自然の変化を無視できない。怖れる。
地球を人間の身体になぞらえれば、今ウクライナに起きていることは、その類とは比較するも愚かなほどはるかに重大で、先行きは深刻、予断を許さない。仮に武力で制圧できても、負わされた深い傷は容易に回復しないだろう。特に、それを強いたプーチンのおぞましい今の体制では、当然。
そう思いながら、第2次世界大戦で300万人以上が生命を失ったわが国と、「鬼畜米英」と叫んだかつての敵国とが、どうして現在のような良好な関係をつくることができたのか、あれこれ考えている。
本日はこの辺で。