入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「春」(3)

2022年03月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 もうそろそろ雪景色は止めにしようと思いつつも、梅やボケの蕾は固く、ユキワリソウもあれ以来何の変化も見せないまま、開花が危ぶまれている。きょうも曇天で風はまだ冷たい。
 薄日が射してきたと思ったら、白いものが舞い出した。驚いたことに春の雪のようだ。今年の冬はしぶとい。これから遠出して、安曇野穂高まで行ってくる。(3月6日記)



 前回(5日)、古道法華道の伊那側の各所に残る名前をここで呟いておいたが、その中で「爺婆の岩」については括弧して「石」としておいた。それというのも、記憶では「爺婆の岩」だと思っていたのに、3日、上に行った時に道標を確かめたら、「爺婆の石」となっていたからだ。
 名前の由来を、旅人が道中の安全を願って小石を置いたと伝わるその岩と見たのだが、ここは、道標にある名前「爺婆の石」を無視するわけにもいかない。最初にここを通った幾年も前の冬、道標の説明にある雪の上に見えた岩の形状を、一組の翁と媼に似ていると思ったから
、旅人が石を載せた岩が名前の元と理解して、その名を記憶した。また、ある地元の人もあそこの地名を「翁婆(おうば)の岩」と呼んだ人がいたからだった。確かに「岩」と呼んでいた。
 しかしここは、北原のお師匠のこの古道にかけた熱意、努力に照らしても、今後はこの地の呼称は道標の通り「爺婆の石」とするのが適当だろう。

 言い伝え・口碑がどこまで正しいかは、はっきりとしないことが多い。また、頼りにした古い資料が、他のものと照らし合わせると矛盾したり、資料が書かれた背景や、目的によっても違ったりする。例えば高遠城の主だった高遠氏や保科氏についてもその発祥は諸説あるようだし、「ヒルデエラ」は「大阿原」ならまだしも、それに「湿原」が付いてしまった。入笠山頂を東に下った所「仏平」は最近、「首切り登山道」とかなんとか、ヘンテコな名前が付けられて呆れるほかない。
 きょう呟いたことは古道の忘れかけた地名のことだ。今もまだ自分では、あそこを通った旅人が岩の形状に惹かれ、その上に石を置いたことから付いた名前だと、「岩」を否定し切れてはいないが、敢えて異を唱えるほどのことでもない。
 民俗学などと言えば大袈裟だが、遠い昔の人々の暮らしや思いが仄かにでも見え、感じられると、それだけで旅心が湧いてくる。
 
 ところでなぜ、NATOが停戦交渉に関して何の役割も果たせないでいるのか理解できない。いくら「慕われても」、今はウクライナを受け入れるつもりはないと伝え、その上で独裁者の妄想が根拠のないものであることを分からせ、一時も早く停戦にこぎつけるための努力、その一翼を担うことができないのか。
 本日はこの辺で。
コメント
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