こんにちは、久しぶりです。
昨日の写真ですが、自然が描いた風紋の上にかすかに残るスノーシューズのエッジの跡、気付いてくれましたか。雪上に残したささやかな足跡は前日に残したものです。風が吹けば、たちどころに消えてしまう呆気ないものですが、それだけに、なかなか深い暗示のようなものを感じてしまいました。そう、あたかもわたくしの生涯でも象徴でもしているように思えたのです。いやいや、仮にそうだとしても、それで充分に満足しています。138億年、46億年、そして74年じゃないですか。
きょうの写真も昨日、やはり前日に残した踏み跡をたどり急登する途中の写真です。しかしこれは、あまり多くを語ってくれません。月並み、ありきたりです。この足跡もやがては消えるでしょうが、それで少しも構いません。早くそうなって欲しいとさえ思います。
ほんの一時、物好きが、朝日を背に浴びて黙々と登っていく姿でも想像してもらえれば、ほぼ事実に近いはずです。前日は2度3度と、見えない雪の底に亀裂が走るような音がしましたが、昨日はどうぞ早く行ってくださいとでも言ってくれているようで、雪原は見守るだけで黙していました。
今回も上でただ1泊するためだけに出掛けました。昨日も呟いた通り、自分の体力、気力を確認するためで、かつての雪山のような期待も不安も、そして気持の高ぶりもありません。2時間ほど樹林帯の中の痩せ尾根を登り、それから林の中をダラダラと深雪をなだめ、すかして進むだけです。雪の状態によっては、これからの方が長く、古道には「山椒小屋跡」という名が残り、北原のお師匠が立てた道標がそれを教えてくれるはずです。
登行はある一定の歩調が保てれば、今でも2時間や3時間は歩き続けることができますが、この辺りから厄介なことが多いのです。
昨日の今ごろは、法華道を下っていました。一度だけ、「厩の平」の辺りで鳥の声を聞き、少し腰でも下ろそうかと思いましたが、そのまま歩き続けてしまいました。今になって、もう少し山を楽しむべきだったと思うのですが、こうしてまた炬燵の虜囚に戻れば、記憶をたどることでまた何度でもそれができるわけで、ひょっとするとそのために上に行ってきたのかも知れないと考える次第です。
古道の伊那側には万灯、龍立つ場、門祉屋敷、爺婆の岩(石)、厩の平、はばき当て、山椒小屋跡、御所平、御所平峠、仏平と古い名が残り、北原のお師匠が立てた道標が今も残っています。
いつか、架空のあなたをこの古道へ案内できればと思っています。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。何人からも通信をいただき、そのお礼にこういう体裁を取らせていただきました。ありがとうございました。