入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「春」(4)

2022年03月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


   朋あり遠方より来るまた楽しからずや   孔子

 春とはいえ、まだ草花は冬の装いを変えず、この4,5日、寒い日が続いている。東京からと松本から懐かしい顔が揃い、近くではTDS君以外にも新な顔が加わり、同じ時間を過ごし、語り、いい季節の先駆けとなった。20代、いやもっと遠い昔の記憶が背後から重なる。
 そういえば、携帯の電池が少なく長い話ができずに終わったが、伊那のフィルムコミッションからも撮影の問い合わせがあった。もちろんまだ、そうした関係者を迎え入れることなど無理だし、詳細も分からないが、そろそろこういう話が来る頃だとは思っていた。
 もう少しして、焼き合わせくらいまでは車で行けるようになったら、上の状況を見に行くつもりでいる。まだ先の事のように考えていても、そんな日はどうせすぐに来るだろう。さらにもっと暖かくなり、林道の雪も融け出すころには牧を開き、今年もまた牧守の日々が始まる。小屋やキャンプ場に訪れる懐かしい顔を見るようにもなるだろう。
 いつの間にかまた、冬ごもりの眠りから覚めなければならない時が来たようだ。

 広辞苑を開けば、「古里」は「ふるくなって荒れはてた土地。昔、都などのあった土地。古跡。旧都」などと語句の意味を説明し、次に「自分が生まれた土地。郷里。こきょう」とある。今では、もっぱら郷里の意味でふる里は用いられていると思うし、それも都会で生まれた人から「ふる里は世田谷です」と言われれば、違和感を覚えるように、この言葉を使えるのは地方で生まれた人だけのような気がする。
 かつて「故郷喪失」、「デラシネ」などという言葉も耳にしたことがあったが、誰がどういう意味でそう言ったのか、もう覚えていない。以前に呟いたように10代の終わりごろから都会で40年近くを暮らし、そしてまた「ふる里」に戻り早や18年が過ぎたのだが、その間にますます古里への思いは強まり、深まり、それを喜んでいる。
 こういう思いは、地方の土地で生まれ、育てられなければ持てない感情であり、都会で子供時代を過ごした人がその土地にどんな感情を抱いているのか、もちろん、似たような思いがないとは言わないが、それでも青色と緑色ほどの違いは恐らくあるような気がする。
 
 育った土地への愛着の背景には何があるのかと考えてみると、人や、自然環境は大切な要素であり、それらを紡いだ時間が美しければそれに越したことはない。けれどもそればかりでなく、生まれ故郷に沁み込んでいるものの正体はもっと複雑な気がする。
 美しいもの、醜いもの、快も不快もあろうが、ふる里は自分が生まれて大きくなった土地というだけではなく、そこにはもっと長い過去と、さらには未来までが併存していて、だからこそのふる里ではないかと思うのだが。

 そういう土地を追われている人たちが今、たくさんいる。本日はこの辺で。
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