後立山は冠雪したかと第1牧区へ上がってみれば、期待外れだった。朝日を浴びて御嶽山だけが輝いて見えていた。
もう恐らく行くことはないと思うが、初冬の上高地へも何度か行った。それらの記憶は複合してしまい、はっきりといつのことだとは断定できないし、重なっている。
今思い出している情景は、深くはなかったが積雪していて、今と違って、河童橋付近にも人の姿はなく、風の音と梓川の瀬の音ぐらいしか物音はなかったと思う。梓川の背景に例の雪を抱いた穂高の吊り尾根もよく見えたし、樹々は落葉して清流に沿ってネコヤナギだったろうか、赤い冬芽が目を惹いた記憶がある。が、それも半世紀近くも以前のことだ、思い違いをしている可能性もある。
徳沢で引き返したが、その間も人に会ったという記憶がない。とにかくやたら静かだった。あのような風景、雰囲気を体験してしまうと、その後に起こった彼の地の変貌については驚くばかりだ。今では冬季でも団体を引率して訪れる人が後を絶たないと聞く。
観光地へ多くの人が訪れ、賑わなければ、covid-19でそれが明らかになったように、業として関わる人たちは大いに困るだろう。しかし、難しい問題もある。ひところ古都・京都では海外、特にアジア系の人がたくさん押しかけてきて問題になったことがある。「オーバーツーリズム」などという片仮名語が日本語に加わった。
現在の入笠は交通規制が敷かれ、大型バスや一般観光客の自家用車は通航規制の対象になっている。これについても言いたいことがないわけではないが、そのお蔭でというには躊躇いつつ、ある程度の平穏が維持されているのは事実だ。特に伊那側はそうだ。
ずっとここで過ごすようになってから、観光についてはあれこれと考え、試行錯誤を重ねてきた。そのことを少しはここでも呟いたが、いまだ確たる考えを持てたわけではない。自然への憧れ、好奇心、はたまた群集心理、物珍しさ、いろいろな思いや理由で人は行楽地を目指す。これは、止められない。そうした人たちのひとりでもあったことも否定しない。
サンマを焦がしてはいけないので、取り敢えずきょうはここまでにするが、北原のお師匠から、何か法華道のことについて託されたわけではない。師の思いは伝わっているがそれを真似て、退場する時は個人の未練など引き摺らないようにしたいと考えている。
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本日はこの辺で。