Photo by Ume氏
午前5時、気温14度。薄い朝霧が降りて、きょうも天気は良さそうだ。もう少し明るくなったら、第1牧区に倒れている太い白樺の木を処理にするためにチェーンソーを持って上がる。撮影隊の第1陣が早くも到着し、忙しい一日が始まるのももうすぐだ。
こんなふうに呟くと、過剰なまでに早朝から仕事ばかりやっているように思われるかも知れないが、そうでもない。ほぼやりたい時にやりたいことをやり、身体を休めたい時には、いつでもそうする。それに、家族でやる農業のように、誰かから強いられてやっているわけではないから、精神的な負担(ストレス)があまりない。これは大きい。さらに、これだけ周囲の恵まれた環境の中で、これほど広大な土地と牛を一人で管理するのだから、ある種の支配欲が満たされていると言って、間違いないだろう。
確かに、雨ばかり降り続くと鬱陶しい思いをするし、牛に翻弄されることもある。全頭数が確認できなければすぐ脱柵や事故などを心配するし、実際にそういうことは起きる。つい先日も、詳細は措くが、そういう不慮の問題が発生した。だからいつも気を抜けない、とは言える。
しかし、古来稀なる年齢を過ぎてもこうして働いていられる。働いているというか・・・、まあ、働いてはいるのだろうが、これは生活そのもののような気がする。労働をしているという意識はあまりない。危ない言い方をすれば、趣味、に近いと言えるだろう。自分の晩年にこんな生活が待っているとは思いもしなかった。
これまで、世の中のために何かをやったということはない。それどころか、家庭も顧みず、家族を守ることもできなかった。今は借金はないが、常に貧しかった。そういうふうに思うからか、若いころを懐かしむことはあまりない。40年近くを暮らした東京もそうだ、同じだ。
願っていた仙人にはなれず、いたずらに野生化ばかりが進み、人格も、品格もないまま生きているが、それでも今が一番いいと思う、そう半ば決めている。ある人にはもう余生だと言ったりしたが、この余生も悪くない。牛守になったことを悔いることはないし、むしろ幸運だと思っている。これまで、外れ馬券ばかり買ってきた者が、ようやく、配当の少ない当たり馬券を手にしているのかも知れない。
パズルマン、聞こえているか?
本日はこの辺で。