入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「秋」(6)

2020年08月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 午前5時、気温14度。薄い朝霧が降りて、きょうも天気は良さそうだ。もう少し明るくなったら、第1牧区に倒れている太い白樺の木を処理にするためにチェーンソーを持って上がる。撮影隊の第1陣が早くも到着し、忙しい一日が始まるのももうすぐだ。

 こんなふうに呟くと、過剰なまでに早朝から仕事ばかりやっているように思われるかも知れないが、そうでもない。ほぼやりたい時にやりたいことをやり、身体を休めたい時には、いつでもそうする。それに、家族でやる農業のように、誰かから強いられてやっているわけではないから、精神的な負担(ストレス)があまりない。これは大きい。さらに、これだけ周囲の恵まれた環境の中で、これほど広大な土地と牛を一人で管理するのだから、ある種の支配欲が満たされていると言って、間違いないだろう。
 確かに、雨ばかり降り続くと鬱陶しい思いをするし、牛に翻弄されることもある。全頭数が確認できなければすぐ脱柵や事故などを心配するし、実際にそういうことは起きる。つい先日も、詳細は措くが、そういう不慮の問題が発生した。だからいつも気を抜けない、とは言える。
 しかし、古来稀なる年齢を過ぎてもこうして働いていられる。働いているというか・・・、まあ、働いてはいるのだろうが、これは生活そのもののような気がする。労働をしているという意識はあまりない。危ない言い方をすれば、趣味、に近いと言えるだろう。自分の晩年にこんな生活が待っているとは思いもしなかった。
 これまで、世の中のために何かをやったということはない。それどころか、家庭も顧みず、家族を守ることもできなかった。今は借金はないが、常に貧しかった。そういうふうに思うからか、若いころを懐かしむことはあまりない。40年近くを暮らした東京もそうだ、同じだ。
 願っていた仙人にはなれず、いたずらに野生化ばかりが進み、人格も、品格もないまま生きているが、それでも今が一番いいと思う、そう半ば決めている。ある人にはもう余生だと言ったりしたが、この余生も悪くない。牛守になったことを悔いることはないし、むしろ幸運だと思っている。これまで、外れ馬券ばかり買ってきた者が、ようやく、配当の少ない当たり馬券を手にしているのかも知れない。
 パズルマン、聞こえているか?

 本日はこの辺で。

 
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     ’20年「秋」(5)

2020年08月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 今朝5時半の気温は10度、驚く。2時間後の7時半現在、すでに気温は20度まで上がっている。太陽の偉力を否が応でも感じる時だ。つい「有難み」と呟こうとしてこの時季、"過剰な恵み"のせいで熱中症に苦しむ炎暑の下界を思い、その言葉を呑むべきと思ったのだが、さて。

 また、30秒に賭ける男女がやってきた。きょうは準備とテストで明日が本番になる。それにしてもいつもながら、その陣容に驚く。たくさんの人が関わり、それで成り立つ仕事のようだが、普段CMなどは軽く受け止めている部外の者にとって、あの30秒の世界がこれほど濃密だとは誰も思わないだろう。



 こういうことを呟くと、何のCMだとか広告主はどこだとか尋ねられることが多い。しかし、そういうことに関しては、これまた部外の人が考える以上に管理が厳しく、制作の段階ではこんな呟きの中でも控えることにしている。下にも、原則話さない。
 また、牧場のいい宣伝になるだろうとも言われるが、そういうことを期待してもいないし、撮影場所を明らかにすることを制作側に依頼したこともない。これは勝手な牧場管理人の判断だが、そういうことに惹かれて人に来て貰いたいとはかならずしも思わないからだ。ここを訪れ、気に入ったと思ってくれた人たちが訪ねてくれれば、それが一番いいことだと、少し頑なかも知れないが考えている。
 もちろん、だからと言ってやって来る人たちに条件など付けてはいない。ただ現在は新型コロナの問題があり、夫婦、家族、またはそれに準じた人たち以外、例えば友人同士で一つのテントを共用するのはお断りしている。
 夫婦と言えば、少し脱線してしまうが、長年連れ添った夫婦が、ようやく余裕ができたからと言って来られる場合い、その人たちに共通して感じるのは仲の良さである。普段一緒に暮らしているはずでも、ここに来ても話題は尽きないようで、不思議に思い尋ねたことさえある。
 今更そういうことをいくら学んでも遅く、残念ながら役には立たないが、自らを省みて思うことは多い。親の有難さは亡くなってから分かるなどと聞かされてきて、それを身に沁みて感じつつも、感謝するには遅きに失した人たちが親ばかりでなく他にもまだいる。

 すごいにわか雨だ。天が怒っている。本日はこの辺で。
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     ’20年「秋」(4)

2020年08月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牛に興味のない人には「またか」になるが、悪しからず。もう少しだけ。
 
 今朝は6時に家を出て、朝露が残っているうちに第3牧区で草狩りをした。そして、それを持っていったら、いつもの場所には1頭の牛しかいない。例の愛想のない37番は、今朝も少し離れた草地にいたから、白樺の林にいる牛は足を痛めた36番で、35番はどこかへ出掛けているのだと思った。ところが、いたのは何と35番で、ろくに歩けもしないはずの36番の姿がそこにはなかった。
 どこかで倒れてでもいないかと周囲を見たがそれらしき姿はない。そうこうしているうちに、近くにいた牛の群れがトラックを見付けてやってきた。もちろん、折角持ってきた草をその牛たちにやるわけにいかないと、急ぎ3回に分けて35番のいる場所まで運んでみたが、遠慮のない牛共はそこまでも押しかけて来た。奴らもしつっこい、普段自分たちが口にできないご馳走でもあるのかと、追い払ってもすぐに戻ってきてしまう。
 そんなことを繰り返していたら、驚いた、背後のかなり足場の悪い斜面を36番の耳標を付けた牛が下って来るではないか。それも、さほど苦労でもなさそうに。そして平地に下りると、その様子を見て驚き呆れている人間に気付き、まるで仮病を隠すかのようにまたひどい歩き方に戻った。37番をちょっと気遣ってから、35番のいる林によろよろと帰ってきた。呆れた。
 これではっきりしたことは、36番は確かに足を痛めている。他の牛のように牧区内を自由に移動はできない。しかし、食べること、水を飲むこと、これら生きていく上での最低限のことは不自由ながらも何とかできている、ということだった。
 もちろん、それができなければ、半月近くも生きていられるわけはない。しかし、ではあの覚束ない足取りで、どのようにしてこれまでやりくりしてきたのか、一度はしっかりとその様子を見ておきたかった。それが、やっとできた。ただし、まだ気は抜けない。また、給塩に関しては、これまで通り特別の計らいが必要だろう。

 Nzaki君、素晴らしい天体写真です。順次ここでも紹介させてもらいます。

 3日ぶりに無人の陋屋に帰り、しょぼしょぼと感じたこと、ぼそぼそと考えたこともなかったわけではないけれど、それらのことはまた別の機会に譲り、明日は沈黙します。

 

 
 
 

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     ’20年「秋」(3)

2020年08月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝も6時少し前に起床。朝露が草に残っているうちにと考え、第3牧区で良質で栄養のある牧草を刈り、第1牧区の例の3頭のへそ曲がりの牛たちに持っていった。珍しくへそ曲がりたちはわずか20㍍ほどの距離ながら林の外にいて、中でも一番若い37番は、負傷した36番とのお付き合いにそろそろ飽きたようで、2頭よりかもさらに離れた草原に横になっていた。そして、ふてぶてしい態度で「また来たのか」というような迎え方をした。
 一番年齢のいった35番は、それでも36番が気になるのか気遣いを見せ、傍から離れようとしないのには感心した。問題の36番は、不自由な足を引きずりながらもこちらに近付こうとしたが、気が変わったのか途中で止めてしまった。昨日は午前も午後も、持っていった草にはすぐに反応したのに、牛の気持ちはいまだによく分からない。まあ、人にもそれは言える。
 鼻っ面まで一抱えの牧草を持っていってやったら、その草をすぐに口に持っていこうとせず、しばらくフウフウと鼻息を荒く臭いを嗅いでいた。こういう勿体を付けたような動作が、いかにもこの牛らしい。和牛の気位?と言っても、その評価は人間が付けたもので、牛にそんな意識はあるまい。ただ気性は乳牛よりか確かに強い。
 ともかくも、あの不自由な身で、36番も必死で生きようとしているようだから、当面は給餌を続けながら様子を見るしか他に方法はない。今朝一番でここへ上がってきた畜産課長も牛の様子を見てから、取り敢えず専門家のY氏に診てもらうことも含めて同意し、帰っていった。

 さてきょうは東部支所にも行かねばならず、これから必要なことを済ませ、久しぶりに家に帰る。風呂に入り、一夜明けたらまたここでの生活になり、来週の月曜日か火曜日までここでの生活が続く。
 いつもはそれほど意識しないがHALがいなくなり、それでこんなふうに暮らし方が変わるとは・・・。帰りに、小太郎とHALの墓にも顔を出すつもり。

 久しぶりに雷鳴がして、雨が降ってきた。ここの雷は天下一品、たまにはいい。
 本日はこの辺で。



 
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     ’20年「秋」(2)

2020年08月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 きょうは気分転換も兼ねて、富士見の街へ食料の買い出しに行こうと思っていたが、いっそ、一度家に帰った方がいいのかとも迷う。きょう、もしくは明日を逃すと、来週の火曜日まで帰れなくなる。



 もう一つ、妙案が思い付かない。群から離れたままの3頭の和牛、その中でも足を痛めている36番をどうするかだ。塩を持っていってもこの牛は殆ど反応しない。他の2頭に比べ、少し痩せたような気がする。入牧して既に半月が経ち、何も食べないでいられるはずもない。不自由な足を使って少しは草を食べていると考えるしかないが、きょうはその牧草を刈って、持っていくつもりでいる。
 昨日はこの牛たちに関して面白いことがあった。近くに26頭の大きな群れがいたのに、この3頭は頑なにいつもの場所から出ようとしない。そのうちに1頭の牛がそこを離れ、元気よく沢を渡り放牧地へ出てきた。遠くからはてっきり35番だと思っていたら、驚いたことに15番だった。3頭のうちの1頭、37番はその時少し離れた別の場所にいたのだろう。
 小屋に戻って台帳を見たら、案の定、畜主が同じで、この15番が以前にも群れから離れ35、36番と同一行動をとっていたことを思い出した。「こんな所にいないで、もっと広い放牧地へ出ようよ」と誘ってくれたのなら有難いが、それを知る由もない。あんな沢の近くだから、アブや蚊の標的にされて、牛のストレスもかなりのものだ。昨日は36番には防虫スプレーをしっかりと見舞ってやったら、意外と効果があった。と言っても、ずっとできるわけではないから、これは気休めにしかならない。
 畜産課長は畜主と相談するとか、金曜日には上がってくるとも言っているが、さて下牧と決まったとしても、あの状態の牛をどのようにして起伏が激しく、1キロも離れた車の行ける場所まで移動させることができるのか、「妙案がない」というのはそのことだ。足の故障が回復するならそれまで無理を押して給餌も考えられないことはないが、それにしても誠に頭が痛い。GZさんのご主人なら何て言うだろう。
 今、第3牧区でよく選んだ良質の牧草を持っていったら、36番は喜んで食べた。今朝は横臥せずに立っていた。こうなれば午後も「良質な牧草」を持っていってやるつもりだ。

 ゴンドラの夜間営業が中止されたとかで、伊那市と富士見町合同で行う恒例の「星空観察会」が取り止めになったと聞いた。伊那市は、富士見町やゴンドラを頼らなければ観望会ぐらいも開けないのだろうか。そんなことはあるまいに、担当者の熱意の問題かも知れない。

 本日はこの辺で。


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