入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「夏」(62)

2020年08月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       Photo by Ume氏

 慌ただしい日が続く。午前7時半、気温23度快晴。それでもここには初秋を思わせる爽やかな風が吹いている。久しぶりに、釜無山の登山口まで、その山域を歩くというTさんとFさんを送って帰ってきた。入笠山々頂は大分混雑しているようだが、富士見側もあの辺りまで行けば人気もなく、見事な原生林を見ることができる。しかし、そういう人は少ない。
 釜無山は訪れるに値する山ではないし、そこから先の南ア北端の山稜を、ゴンドラに頼って上がってくる人たちに勧めてはもったいない(と言えば怒るだろうか)。それだから当分は、鹿の角拾いのためにあの原生林を根城にしているKが、クマとの遭遇に怯えながらも人知れず跋渉を重ねる、それでいい。観光と言う名の人集めの為に、無定見に自然が侵食され続ける昨今、山もそう思っているはずだ。
 確かに「お前もその片棒を担いでいるのではないか」と言われれば、黙るしかないのかも分からない。ここにも山小屋があり、キャンプ場も制限付きながら営業している。ただし、無暗に人がくればいいなどとは思っていない。4か所ある幕営地に1組づつしか受け入れていないが、営利優先ならばこんなことはしない。偏屈な管理人の試行錯誤が続いている。
 
 こんなことを呟いたのにはそれなりの理由がある。しかし、爽涼と吹く風に抗うようなことを、きょうはこれ以上呟かないでおく。空しい独り言になりそうだから。

 SYさん、管理棟の風呂は壊れてしまいました。そのため、たまには里に下ることをご容赦ください。

 本日はこの辺で。
 
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     ’20年「夏」(61)

2020年08月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牛は面白い。昨日必死で探した37番は、きょうも同じ場所にいた。ただ牛たちはどうやってお互いが意思の疎通をはかるのか、4日一緒に上がってきた35,36番もそこにいた。畜舎が同じ牛は入牧してもしばらくは同じ群れを作る。ところがこの3頭の牛は、最初の日だけは心細そうに草も生えていないダケカンバの林の急な斜面にいたが、その後37番だけが別行動に出た。そして昨日、これら3頭はどのようにしてあんな場所に落ちつくことになったのか。
 御所平にいた7頭の和牛は、全頭の畜主が同じではない。さらに、雷電様の20頭を超える群れの中には、御所平にいた牛と畜主が同じ牛もその仲間になっていた。2ヶ月も同じような状況に置かれれば人もそうだが、気の合う合わないが、牛たちの間にもできるのだろう。

 そうそう、昨日は用事で里に下りた。夜と今朝と2回風呂に入ることができ、さっぱりした。来る時、昨夜忙しい思いをして調達した食料を忘れたことに気付き、HALの眠る墓から引き返した。ところが今度は、盆の棚経は辞退したが、少しばかりのお布施を寺に届けることに気を取られ、結局玄関にそれらを置いてきてしまった。

 きょうはこんなくらいで、また明日。
 
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     ’20年「夏」(60)

2020年08月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前5時、気温15度。きょうは快晴かと思ったら、時間が経つにつれて雲が出てきた。湯を沸かして朝の茶を飲みしばらく呆けて、それから3合の米を研いで6時、第1牧区へ上がる。今朝は牧区の入り口に車を置いて、歩くことにした。実は、昨日から和牛2頭を確認できず、朝のうちに牧区内を徹底的に見て回ることにしたのだ。
 放牧地へ入ると早起きの牛たちがすでに草を食んでいて、その向こうには西の空に青空が拡がり、昇り始めた朝の日を浴びて久しぶりに御嶽山や、北アルプスの一部が見えていた。生憎槍や穂高、それに乗鞍はわずかの雲に邪魔されて見ることができなかった。
 探している牛は4日の中間検査で上がってきた和牛の3頭のうちの2頭、35と37番だった。最初に出会った群れはホルスタインだけだったが、丁寧に耳標番号で確認していった。10頭いた。その後塩場まで行き、そこからダケカンバの生えている急な斜面を下った。そこには14頭の和牛と2頭のホルスタインがいて、この群れの中でも少し離れた場所で草を食む3頭の和牛が目に留まった。「鎧」と呼んでいる汚れが体にこびり付いていて、入牧して日の浅い牛であることがそれで分かる。
 探していた30番台の牛に間違いないと近付くと、35番と昨日確認済みの36番だったが、もう1頭は違った。そこでは結局14頭の和牛と、2頭の乳牛の確認で終わった。ということは、37番を含め2頭の和牛と、10頭のホルスがまだ未確認ということになる。そのうちの和牛1頭は30番だと分っていた。この牛は妙なくらい懐いていたから、こっちの姿を見ればすぐに近寄ってきて腕や足まで舐めてくる。
 沢を渡り、御所平に出て、さらに塩場へ戻る作業道で11頭の群れに出会い、そこで30番は確認できた。しかし、唯一未確認の37番はこの中にもいず、こうなると事故の可能性が一段と高まる。最早、普段牛を確認できるような場所を探しても無駄だと腹を決めた。





 この牧区には、諏訪氏の庇護を得て潜伏した、北条時行ら鎌倉幕府の残党も飲んだと思われる沢がある。牧区内を通り、遥か山室川へと流れ落ちている。牛は脱柵してはいなかったものの、その落ち口に1頭だけで"潜伏"していた。一応立たせてみると、特に異常はなかった。それにしてもムー、群れから離れ何が嬉しくてこんな所にいたのか。
 
 ここには秋風が立ち始めた。本日はこの辺で。


 
 
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     ’20年「夏」(59)

2020年08月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 牧場の朝は早い。午前6時、下にいれば朝飯、昼の弁当、そして朝風呂と、することは多くあるが、ここではそれらのことや、通勤に1時間15分をかけないで済む。ところが、たった2,3日が過ぎただけだというのに、あの山室川に沿って上がってくる時間が早くも懐かしい。



 昨夜は、久しぶりに望遠鏡を出して観望会をした。小学生6年の女の子に、いい夏の思い出を作ってあげようとしたのだが、いつものように手際が悪く、彼女やその他の人たちも含め大いに気を揉ませた。その挙句、かんとさんにまでTELをして救いを求めたが、ともかくそれでも、何とか倍率を変えて土星を見ることができ、かろうじて面目を果たせたと思っている。
 面白いのは、望遠鏡を覗いて、闇の中に浮かんだ土星を目にして上げる人々の感動の表し方の多様さだ。「ウワァー」、「エー」、「スゲェー」。静岡の好男子XXの友人のごときは「望遠鏡に写真を貼り付けているのじゃないか」などと言い出す始末で、一応の盛り上がりはあったと思う。
 土星の姿ぐらいは誰でも知っている。それでも、それを実際に目にしたとき、広大な宇宙の片隅に存在する自分を否応もなく認識する。洞窟の住人が、ヒツジ飼いの若者が、あるいは大洋を航行する船乗りが、濃密な星の煌く夜空を眺めて味わった同じ感動と、不思議な畏敬の念が、あの人たちの驚きの声にもあったような気がする。

 営業開始の日に予約無しで来たオーストラリア人が、SMSにでも投稿するつもりか、長い英文の入笠を紹介する記事を送ってきた。その中で、お馴染みで前から予約のあった16人の団体とぶつかってしまったため、彼は快適な一夜を送れなかったことを書いていた。4か所あるテント場に、他には京都のKさん一人だけだったが、それでも、週末は避けた方がいいとあった。それで一向に構わない。というよりかむしろ有難い。予約無しの場合は原則お断りするのも、混雑を避け、快適な状況を維持したいからだが、それでも豪州の砂漠には及ばないかも知れない。







 入笠山からヒルデエラ(大阿原)、テイ沢を一周するというかなり年配の夫婦を登山口まで送り、こうして独り言をしていてもまだ8時。これから第1牧区へ行き、その後は便所や露天風呂の掃除をする。まるで牧場の牛と同じような囚われの身で、軽い日々が続く。「軽い」の意味は・・・、曰く言い難し。
 と、呟いたところでTDS君からTELが入り、陣中見舞いに来てくれるという。有難い。

 Mさん、あの写真のモデルはこの独り言の主ではありません。あんな上質の衣服などありません。それより、また奥さんと一緒に出掛けて来てはどうですか。
 本日はこの辺で。

 
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     ’20年「夏」(58)

2020年08月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝が来た。鳥の声がするが、今まで聞くともなく耳にしていた鳴き声とは違うような気がする。外に置いてある寒暖計を見れば18度、権兵衛山は見えているがきょうも梅雨の延長のような天気だ。
 
 きょうから3連休だということも知らずに、実は昨日4,5日分の食糧を運び上げ、しばらくは上で生活することにした。ところが、たった一夜が過ぎただけだというのに、どうもしっくりとしない。理由は、このはっきりとしない歯がゆいような天気のせいでもあるが、片道1時間15分、38㌔の通勤がなくなったためでもあるような気がする。
 この通勤にかかる負担がなくなれば、大分楽になると思って始めた山の生活も、一日3食の食事を1食減らしたような何か暮らしの中に大切なものが欠落したようなもの足りなさを感じている。無意識の裡に根付いていた山室川の狭小な谷の風景が今の生活にはないことが、意外なほど大きいことを知った。HALがいなくなったわが陋屋の玄関のようだ。
 前にも呟いた通り、あの山道の行きと帰りの"正気の時間"こそが、多くの妄念をも含め、ものを考えるという点において貴重な時間だったたような気がする。そう思えば、辛うじて野生化の進行を遅らせてくれていたのも、特に帰路に味わう諸々の感慨のお蔭であったのかも知れない。
 東京暮らしのころ、勤めていた会社から歩いて10分ほどの距離にあるアパートに住んだことがった。この時も、混雑した通勤電車から解放されたと思って喜んだが、すぐに時間を持て余すようになった。習性というのはこんなもので、1時間くらいの無為と思えた通勤時間も、生活の一部として成り立っていたのだと納得した。今、そのことを思い出した。
 30年、いやもっと昔のことだ。コロナ、炎暑に喘ぐ都会暮らしの各位に、こんな昔話がいささかの慰安にでもなれればいいのだが。

 星の狩人かんとさん、TB井さんも入笠行を中止した旨の連絡が入った。赤羽さんは今もテレワークの日々だとか。国は明確な指針も示せず各自の判断に任せるという逃げの一手、「GO TO トラベル」も継続するという。顔は真面目そうだが、政治家の言うことは滅裂。専門家と言われる人たちの話も何を気にするのか歯切れが悪い。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
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