入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「秋」(28)

2020年09月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photoby Ume氏

 台風12号の影響だろう、いつもよりか風の音が気になる。雨は時折パラつくほどで、それほど心配はしていない。昨日来た女性3人組が帰って、牧場は37頭の牛と人間ひとりだけになってしまった。小黒川林道の工事関係者の車もきょうは通らず静かで、忙しかった連休の余韻などは草の上に残るテントの跡ぐらいしかない。朝のうちに全頭確認と給塩をしたらもう、きょうぐらいはゆっくりしようと思っている。

 里の家を留守にしてきょうで8日目になるのか、今や「現住所」は入笠牧場となってしまっている。冬の5か月の間、家で暮らしていると牧場が恋しくなるが、今はそれが逆転しつつあり、それも家と言うよりかも何故か山室川に沿って上ってくるあの通勤路が妙に懐かしく、きょうあたりは牛に与える塩が東部支所に届いたようだから、久しぶりに里へ下ってみるかという気になりつつある。
 それにしても不思議だ、家ではなく、あの3キロの未舗装の山道を含む通勤路が懐かしく思われるというのだから、この心境には自分でもよく分からない、驚く。特にそれも、もうすぐ走行距離が20万キロにもなる軽トラックで、何が嬉しくてあの走りにくい石ころだらけの道を運転してみたくなるのか、あるいは廃村となって久しい芝平の寂しい様子、風景が気になるのか。
 暗くなった夜道を下り、笠原の堤のそばまで来て、一望する伊那の灯を目にする時の安堵感、はたまた待つ人のいない家に帰っていく寂寞とした思い、そういうものをここにいれば忘れている。もしかすれば、HALのいない家に帰るよりか、同じ寂しさ、侘しさでも、ここでのそれらの方がまだしも安気に感じ、そういうことがここの生活に結びついているのかどうか、HALよ。

 この連休中にはいろいろな人に会えた。新しく親しくなった人たちも増えた。思いがけなくも彼ら二人は、フランス人に対するこれまでの見方を変えさせた。
 その中でも、忙しいはずの身で一年ぶりにここまで出向いてくれ、その上に大変な心遣いを示してくれたあの人にはお礼の言葉もない。テイ沢を少し案内できただけで、嬉しくも、今ごろになってひたすら恐縮している。本当に有難かったです。
 最後に、キャンプ場の申込みを断らざるを得なかった方々には、大変申し訳ないことをしました。心からお詫びいたします。まだ秋は始まったばかり、そういう方々には、何らかの配慮が必要だと感じてます。
 本日はここまでに。
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     ’20年「秋」(27)

2020年09月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 一昨日も昨日も、途切れ途切れに細々と呟いていたことが、投稿する前にみんな消えてしまった。どうしてこうなるのかよく分からないが、もう同じ内容を繰り返す気がしない。前回呟きかけた「予測できなかった」無様な出来事は、自分だけの記憶の中に留めておくことにした。

 連休がきょうで終わる。今ここにいる人たちは皆帰るべき所に帰り、またいつもの牧場に戻るだろう。仲の良い夫婦や家族が幾組も帰っていった。
 西や東へ、北や南へと、多くの人の移動が報じられ、ここにも折角予約を貰いながら、それを受けることができなかった人たちが出た。新型コロナも原因の一つではあるが、それだけではなく、訪れた人の快適な空間を確保するためにはそうせざるを得なかったのだ。伊那と富士見が共同で出している入笠山の案内には、ここのキャンプ場の収容人数は200人とある。いつの時代の話だろう。
 前にも呟いたが、テントは大型化する一方で、その過ごし方も様変わりしてしまった。林の中にポツンポツンとテントが張られた、というようなキャンプ場を目指すならせいぜい10組くらいが限度かも知れない。少しでも多くの人たちを迎えたいと思いながらも、訪れた人の快適さを優先すればそうなってしまう。また、山用のテントと、大型テントとで料金に変わりがないというのも気になることの一つではあるが、大型テントもその大きさは様々で、さらにまた占有する面積もまちまちとあれば難しく、どこまでも公平にとはいかない。

 昨日の歩数は14,519歩。頭数確認は相変わらずやっているし、第1牧区に残留している2頭の牛への手当ても怠ってはいないが、その歩数の大半はキャンプ場内で数えられたはずだ。
 秋は旅心が湧いてくる。「GO TOトラベル」などというおかしな惹句や、その内容にはいささかも心は動かされないが、それでもたまには旅に出て、上げ膳据え膳の日があってもよくはないかと、・・・酒はいつものように手酌でいいから。秋風よ。
 本日はこの辺で。

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     ’20年「秋」(26)

2020年09月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 連休初日、予想通り天気はあまり良いとは言えず、権兵衛山は半分ほど雲の中に隠れ、時折その切れ端のような雲が霧となってかなり低い放牧地まで下りてくる。風はなく、静かな牧場の朝、牛たちはすでに行動を始め、その無声映画のような場面を眺めながらきょうも一日が始まる。

 遠くで牛の声がする。あれは何かを訴えている声のはずだ。もう、囲いの中の草はほぼ限界に近いというのに、それでもあの牛たちの主たる活動の場は変わらず、第5牧区に出てもまた戻ってきてしまう。あの国有林の中の牧区は広範囲に及び、それだけに管理も難しく、そこを諦めて反対側の第4を開けた方がいいのかどうかと思案しながら、まだ決めかねている。
 牛たちを第1に置いていた1ヶ月の間、第4の牧草は期待したほど伸びなかった。牛をあそこに連れていっても、残りの半月は厳しいかも知れない。さらに林を北へ4乃至500㍍ほど行き、そこを抜ければ登山路と接する放牧地である第4のBがある。草もそれなりに期待できるが、ただしあそこは水場がない。そのため、牛たちは毎日片道1キロを超える距離を移動することになる。いい運動になるし、歴代の牛たちの中にはそうした牛もいた。しかし、その時は二代にわたり先導役の雄牛がいたが、今年はその役をする牛が上がってきていない。
 そんなことを呟いていたら、その間に囲いの中の牛の大半が第5へと移った。先程から聞こえていた牛の声は、どうやらその誘いだったのだろう。朝食の支度をする前にその声に釣られて、こちらも森の中へ行ってみることにした。(9月19日記)

 結局、牛の全頭が囲いの中に戻った昨日の夕暮れ、第4牧区へ出る門扉を開けた。すると、牛たちは素直に誘導に応じるかと思った矢先、第4へ出たばかりの1頭のホルスが、有刺鉄線と並行する電気牧柵に濡れた鼻先が触れた。8000ボルトの電圧である、驚いたその牛の様に恐怖心を煽られた他の牛たちは、囲いの中に留まる牛と第4に出た牛との2群に割れてしまった。こうなると、もう囲いの中の牛はそこから外へ出ようとはしない。
 これまで時々言い換えてはいるが「囲い」は「囲い罠」のことで、ここには鹿を誘い込むための吊り上げ式のゲートが2か所に設けてある。牛のいるときは閉じてあるがこれを開けて、残留した牛を出すことにした。
 と、ここまでは上手くいった。ところがこの後、またしても予期せぬことが起きた。因みに昨日の歩数は1万3000歩、老体が軋む。
 
 T井さん、通信ありがとうございました。Umeさん、そしてOldさん、Demaruさんにもにも感謝いたします。
 連休中はこの呟きもか細かったり、途切れるかも知れませんが、取り敢えずきょうはこの辺で。きょうから少し賑やかになる。フランス人が2名、昨夜から来ている。

 

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     ’20年「秋」(25)

2020年09月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 風が樹々の葉を激しく揺らし、そのざわめきの音が聞こえてくる。雲の流れが速く、時折太陽の在処(ありか)を教えるぼやけた光が灰色の雲に滲むが、今はもう見えていない。午前7時、気温は15度とそれほど低いわけではなく、窓は開けたままにして森のうめくような声を聞くともなく聞いている。
 
 いつの間にか、先程まで囲いの中にいた牛たちの姿が見えない。乏しくなった草にこれ以上執着できないと知って、これからは自力で生きていくことを決めたのかも知れない。
 第5牧区は広い国有林の一部を占め、牛たちはすでに2度3度と下見に出掛けている。それでも囲いの中の方が安心できるのか、そこに留まることなく帰ってくる。昨日も午後になって、今のように囲いから牛の姿が消え、しばらくして様子を見にいってみたら、仕事を終えて退社する労働者さながらに、ゾロゾロとクマササの中を帰ってくるところだった。
 
 この牧区は遠い昔に訪ねたアラスカの森を思い出させてくれる気に入りの場所で、長いこと人の手が入っていないモミやコナシ、それと落葉松からなり、アラスカのようにスプルース(トウヒ)の森とはそこだけが違う。最近はモミや落葉松の大木の倒れ森が少し荒れてきたものの、それでも森相の美しさから「アラスカの森」が愛称となり、今では一部の人の間にも定着している。特に今の季節、森閑とした森の中を歩いてみたりすると、極北のトウヒの森で過ごした記憶がさらに倍加して甦ってくるのだが、しかしまた同時に、もう、同じことはできないという諦めも、併せてこの森は教えてくれているようだ。
 小黒川はこの森の中で生まれ、周辺の森の風景に絵描きの巧みな筆致が加えられたような趣を添え、見せてくれている。原生林をしばらくその流れに沿って下っていくと森が開け、狭い谷の中に草原が広がっている。生まれたばかりの渓流はそこで一服でもするように蛇行をしながら流れを緩め、そしてあたかもそれで準備を終えたかのように急峻な流れに変わり、白い飛沫を上げながら戻ることのない長いながい旅に出ていく。
 
 また牛たちが囲いの中に戻ってきた。10頭近い乳牛の中に1頭だけ和牛がいる。多分30番だろう。それでも20頭を超える他の牛たちはどうやら風の影響の少ない森の中の方を選んだようだ。
 第1牧区に残留している2頭の和牛も、あのままにしておけばますます野生化して手に負えなくなる。以前にもそういう牛がやはり2頭いて、結果的に1頭は生きて山を下ろすことができず、そうしないためにも、これからあれこれの策を練らねばならなくなる。

 TDS君、昨日は有難う。O澤さん、赤羽さん、通信多謝。幾人もから連休の予約を受けているけれど、天候は味方してくれそうもなく心配。
 本日はこの辺で。
 

 

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     ’20年「秋」(24)

2020年09月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうはまた曇天のようで、そのせいか気温15度のわりには少し肌寒い。権兵衛山の落葉松は水揚げを止めたらしく、緑の葉の色に変化が起きつつあるのが分かる。薄い褐色がこれから何回も濃緑色の上に塗り重ねられながら、秋は深まっていくだろう。

 そうそう、秋の味覚については、肝心な主役を忘れていた。新米のことである。先日里に下りた時はまだ稲田の刈り取りは始まっていなかったのに、北信からの帰りに突然立ち寄ってくれたF枝さんから、思いがけない新米を頂戴し驚いた。長野県でも、北部の方が米の取入れが早いとは知らなかった。それとも、米の種類の違いかも分からないが、品種の名は聞き損なった。いつもよりか水分を控えて焚き、熱々の白米の香りを楽しみながら時鮭や季節の野菜を添えて美味しく頂いた。これに大根おろしをたっぷりと用意し、サンマではなくて茹でたキノコでもあったなら、もっと良かっただろう。
 
 昨日第1牧区から下ろした牛たち22頭が加わって、囲いの中の牛は一挙に35頭になり、今は上部の草地にほぼ一群となって反芻のため横臥している。きょうにも牛を第5か第4牧区へ移さなければならないが、どちらの牧区にもそれぞれの問題がありまだ判断できずにいる。それに、思っていた通り、2頭の問題牛は第1牧区に残留を決めて、姿を見せない。こういう性格の歪んだ牛たちには最後のさいごまで手を焼かされる。
 囲いの2か所ある扉を開放して、牛を第5でも第4でも自由に行き来ができるようにすれば、それで草の心配は減っても、今度は管理が大変なことになる。第1の2頭も含め、3か所の牧区が管理の対象となり、牧柵、特に電牧の保守だけでも気を遣い、脱柵の心配も今以上に増えるだろう。
 色々な事情により、10月にならなければ牛を里に帰すことはできないとのこと、そういう日が少しでも早まるよりかも遅れる方が望ましい。牛の去った牧場には、冬の訪れも早いからだ。
 本日はこの辺で。
 
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