入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「秋」(23)

2020年09月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、里へ下る途中、焼合わせ近くの落葉松林を通りかけたら、早くも色付きかけたツタウルシを目にした。ここに暮らしていて気付かなかったが、知らないうちに季節はそこまで進んでいたのかと軽い驚きを覚え、と同時にこの待ち人も、やがて素っ気なく去っていくだろうと、気の早いことまで考えた。そのくらい月日の経つのを早く感じる。9月になったと思っていたら、もう、半月近くが過ぎた。(9月14日記)

 里に帰った機会を利用して材料を持ち上げ昨日、上でサンマ飯を作って食べた。あの「秋刀魚の歌」の作家のように、吹く秋風に何事かを託して誰かに伝えることもなければ、涙を流すこともなく、まずまずの出来に納得した。
 それに作家とは違い、思いがけなくも一人ではなかった。偶々昼時で訪客にサンマ飯を馳走したら、小さな身体には似合わぬ健啖ぶりを見せ、美味しいと無邪気に喜び、かと思えばはにかみ、またあれこれを案じたりと、たまさかの複雑な秋の訪問者だった。要件は仕事の下見、まあそんなもの。
 訪問者と言えば、先週の土曜日には伊那市の白鳥市長が職員や知人10名ほどを伴い私的に来訪、山頂やテイ沢など秋の散策と山小屋での食事を楽しんで帰っていった。山好きの市長ばかりか中には顔見知りの人がいて、つい慎み遠慮を忘れてしまったかも知れない。ここでご無礼をお詫びしておこう。
 そうそう生憎、クリおこわは逃してしまい恐らくもう自作は諦めている。しかし、まだ甘酒はそう思ってはいない。あの甘酒という言葉の響き、子供に許された唯一の酒、あれを味わえば遠い日の村祭りや、里のわが陋屋にもあったささやかな団居(まどい)を思い返すだろう。そしてさらに、秋風が何を語るのかじっと耳そばだてて聞いてみたい。
 もう一つ呟いておかなければならないのが、秋の代表的な味覚であるキノコのこと。今年はさっぱりで、これも7月の長雨と8月の晴天続きが、あの繊細気弱な植物を委縮させてしまったのかと思う。マツタケなど求めていないが、雑キノコと蔑称されながらもその味の良さゆえに楽しみにして待っている友人もいて、今年の秋はその願いを聞いてくれるのかどうなのか。例年なら、林道には行儀の悪いキノコ採りの車がやたら目に付くが、今年はそうした人の姿を滅多にしか目にすることもない。彼ら彼女らもキノコの不作をすでに承知済みなのか、お蔭で山は穏やかで、この季節らしい雰囲気に溢れているのが有難い。

 外は柔らかな日が射している。きょうのまずまずの天気を味方に、午後もう一度第1牧区の牛を第4牧区へ移動させることにした。上手くいけばいいが、問題はあの2頭の和牛である。いずれにせよ、後半月もすれば里へ帰るあの牛たちを見送ることになる。それで牛守稼業も14年が過ぎる。ムー。
 本日はこの辺で。

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     ’20年「秋」(22)

2020年09月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前中ぐらいは晴れても良さそうなものだが、午前5時、空は厚い雨雲に覆われ、野分さえ吹いている。雨はまだ降っていないようだ。気温は13度と、起きた時の感じからすればそれほど低いとは思わないものの、雲の動きが激しく、風も気になる。

 ここに写っている2頭の牛が8日の移動を拒否し、かつ他の牛を扇動し、その結果23頭(24頭と呟いたのは間違い)の残留牛を出すという結果まで招いた牛たちである。写真ではよく分からないかも知れないが、右側の和牛の頭に奇妙に曲がった角が見えている。実はこの牛、ここにいる牛の中では最古参で、台帳の記載が正しければ平成17年の10月生まれだというから、15歳になる。こんな年齢になっても、まだ繁殖牛として役に立てるのかと感心する。ともかく多数の牛の先頭に立ち、馬並みの走りを見せていた。

 明日は久しぶりに里に帰る。まだ栗おこわはあの店にあるだろうかと気になる。先週帰った時は、思いもしなかった人に出会ったようで、即買った。栗おこわと甘酒、これが秋の味覚と言うのか、村祭りの記憶と言うのか、懐かしい忘れられない味だ。
 サンマもその代表だが、これにはあまり食指が動かない。今年はかなり水揚げが減って、価格が上がっているとここまで聞こえてきている。好きな魚ならそれでも買うが、前者の二品に比べれば是非とまでは思わない。いや待て、鯛飯を真似たサンマ飯なら話は別だ。あれなら一度ぐらいは試してみてもいい、是非やってみよう。甘酒に比べたら、こっちの方が余程簡単なはずだが、ついでに甘酒の作り方も調べるだけはしてみようか。
 というようなことを呟いていたら、腹が減ってきた。昨夜は今秋初めて一人鍋で水炊きをし、それに山奥氏から届いたカツオも美味しく頂き、それらは熱燗とビールによく合い、秋が身体に沁み込んできた。
 男子たるもの、食のことをあれこれしたり顔に云々するのは控えるべきと思うが、この2週間、1日の平均の歩数が8千と数百になり、とあれば、やはり体力、気力を保つためにも食は気になってくる。それに、こんな山の中、長い夜を孤独で過ごすには、飲むことと食べることは最大と言ってもいい"快楽"である。それでも、禁断の牛肉には、手を出さないでいる。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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     ’20年「秋」(21)

2020年09月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝の早いうちは青空が広がっていた。それがいつの間にか徐々に雲の領域が拡がり、今では見えなくなってしまった。午後には天気が崩れるようだ。
 
 この部屋から見えている囲いの中の牛たちは、山側の柵沿いに一列に並んだまま、大分長いこと動きを止めている。あんな姿でも反芻ができるかと疑いたくなるが、あの動作の説明はそれくらいしかない。
 その列の中で、1頭の和牛と2頭のホルスがさっきから対面状態でじっとしたままでいる。その様子がなんとも滑稽に見える。まだ動かない。もっと草のある所へ行けばいいと思うのだが、そうしないで柵の際に生えた草ばかりを揃って食べ、今は立ち尽くしたまま何を思うのか。
 と、突然1頭のホルスが動き出した。するとそれに釣られるように他の牛たちも追随し、囲いの中の小島の周囲に走って移動した。「小島」と呼ぶのは、草原を海になぞらえると、囲いの中にある5,6本のコナシの大木が生えた小さな島のような丘のことで、風雨の激しい時など牛たちはここへ難を逃れようとする。盛夏の日射の強い日なども、ここのわずかな日陰を求めて集まることがあり、特に暑さにあまり強くないホルスには救いの場所であるようだ。
 里にいれば狭い牛舎に押し込められ、あまり自由などない。餌は草ばかりでなく栄養価の高い物が与えられるからその点は不満はないとしても、行動はここのようなわけにはいかない。生まれた時からそんな環境で育てられるからそれが当然で、人間が傍から思うほど牛たちは苦にしていない、という見方もできようが、さてどうか。
 わずか4か月に過ぎないが、ここでは野生本来の行動に近い暮らし方ができた。再び綱に繋がれトラックに乗せられ、狭い牛舎の中で変化のない暮らしが始まると知れば、牛は何も言わないがやはり嫌だろう。入牧して、検査を終えた後、放牧された途端に見せたあれほどのはしゃぎよう、飛び跳ねて、走り回り、牛たちは初めて与えられた自由に驚いてさえいた。
 それから今まで、ここの牧場での暮らしは野生の本能を甦らせ、一度覚えた奔放な牛本来の生き方を、その味を、きっと記憶のどこかに、もう残したはずだと思う。畜主の飼育の手間を省き、元気な子を産むために足腰を鍛えさせようと上がってきた牛たちだが、こんな日々がづっといつまでも続くと思っているのだろうか。
 いつの間にか群れ割れた。自分たちがどういう役目を担い生まれ、どれほどの間を生かされるかも知らず、ただ無心に草を食む小気味のいい音がここまで聞こえてくる。
 本日はこの辺で。





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     ’20年「秋」(20)

2020年09月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前5時半、天気は曇り、気温12度。昨日よりか2度高く、秋雨前線のせいできょうの好天は望めないだろう。牛の一部を囲いへ移したから、今いる管理棟のこの部屋にいても様子が分かる。すでに起き出して全頭の牛が盛んに草を食べ、その中には足の故障で大分心配した36番もいるはずだ。
 面白いことに、1ヶ月近く囲いを留守にして、牛たちはその間に再生した豊富な草に必ずしも集まるわけではない。食べ尽くしてろくに生えていないような上部の草地でも、わずかに伸びた若い草を好んで、今は2群に別れ、どちらの群れも乏しい草を熱心に食んでいる。草の心配な第1牧区の牛たちもそうであってくれれば良いのだが、ともかく、あの牛たちがここで過ごすのも1ヶ月を切った。

 きょうは早朝に、漁労長・山奥氏が昨日神奈川沖で釣った魚を持ってここに立ち寄ることになっている。獲物が何であるかは聞いていないが、船を下りてすぐに連絡があった。誠に有難いことで、入笠は海から遠い本州のほぼ真ん中に近く、それも標高1千700㍍の山の中、それでいて釣ったばかりの新鮮な海の恵みに与れる、山奥氏様々と言う他はない。
 今は互いに「百姓山奥いつもいる」状態で、この良好な状態が続くように努め、もう、露天風呂の基礎工事まで押し付けるようなことはしないでおこう。それにしても、その工事で使うつもりの製材までしたあの立派な栗の木だけは何としても惜しい、ナンテ。

 

 お師匠様、恥ずかしながら謹んで報告させていただきます。例のお師匠様の名を冠させていただいた高座岩に至る北原新道の崩落個所、昨日に手を入れて何とか修理らしきを終えました。しかし誠に遺憾ながら、不肖はご承知のように生来の不器用者、あれで登山者、就中年輩の登山者、の安全を確保できるかと問われたら、覚束ないと申し上げるしかない不出来なものでございます。
 それでも今後も誠心誠意、師の名を汚すことのないよう微力を尽くす覚悟でありますれば、お師匠様におかれましては法華道を始め入笠各地で奮闘された日々を回想されながら、何卒御身大事にお過しくださいますよう、ひたすら念じるばかりであります。頓首

 山奥氏からは有難くも立派なカツオを2匹も頂戴し、すでに捌いた。例によって一方的に語り、氏は本日も疾風迅雷。本日はこの辺で。
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     ’20年「秋」(19)

2020年09月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 夜が明けてきた。東の空に微かな朝焼けも見え始めた。午前5時、気温10度。わずかな雲が山の上に棚引いているだけで、少なくとも午前中は好天が期待できそうだ。昨日囲いの中に移した牛たちは1頭の和牛の他はまだ活動を始めていない。その和牛も、そのまま動き出そうともせずじっと思案気に、何を考えているのか。
 
 昨日、畜産課の課長を含め4名が来て、第1牧区の牛を囲いへ移動させることにした。ところが案じていた通り2頭の和牛の為に、いくら牛を集めてもその度に群れが壊されて、かろうじて14頭は移すことができたが、23頭は居残ることになってしまった。その間3時間、登ったり降りたりとヘトヘトに疲れた。
 こういう牛がいるのだ。早くからこの2頭の牛の挙動には注意していたが、普段は警戒心を満身に見せながら寄り付かないくせに、給塩に行けば真っ先にやって来る。性格の悪さが角に出たわけではないだろうが、伸びた角が曲がって、そのままにしておけばその先がやがて頭に突き刺さる。それを怖れ、1本は途中で切り落とされたのだろう。
 今、「性格の悪さ」と呟いたのは訂正した方が良いかも知れない。恐らく成長してから落角を強いられ、その際の痛みは相当のものらしいから、それで人を見ればその時の恐怖が甦りオドオドするようになったのに違いない。多分、この不幸な体験をした牛ともう1頭は畜主が同じで、入牧後にきっと従属関係のようなものができ上がったのだと思われる。
 落角しなければ、やがては自らの角で命を落とすことになっただろうが、当の牛にそれが分かるわけがない。痛みと恐怖が角に代わって、彼女の頭に植え付けられてしまった、ということか。
 まだ下牧の日は決まっていないが、2か所に分散した牛の管理は、牧草が日増しに乏しくなる状況も含め、難しくなる。

 今年はマツタケが豊作だと聞いた。ここには縁のないキノコだが、雑キノコと呼ばれる物なら毎年その恵みに預かっている。昨日いつもの森へ行ってみたが、呆れるほどない。TDS君にそのことを伝えたら、まだ早いのだと言っていた。そうならいいが、1本だか2本見付けたヌメリカラマツタケは、生えてからかなりの日が経ったと思える古い大型だったが。
 きょうは、小黒川の林道から高座岩に至る北原新道の中段を、伐採作業者が横切るように作業道を作り、その際にできた崩落個所が今もそのままになっている。そこに手を入れるつもりでいる。
 本日はこの辺で。
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