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昨日、里へ下る途中、焼合わせ近くの落葉松林を通りかけたら、早くも色付きかけたツタウルシを目にした。ここに暮らしていて気付かなかったが、知らないうちに季節はそこまで進んでいたのかと軽い驚きを覚え、と同時にこの待ち人も、やがて素っ気なく去っていくだろうと、気の早いことまで考えた。そのくらい月日の経つのを早く感じる。9月になったと思っていたら、もう、半月近くが過ぎた。(9月14日記)
里に帰った機会を利用して材料を持ち上げ昨日、上でサンマ飯を作って食べた。あの「秋刀魚の歌」の作家のように、吹く秋風に何事かを託して誰かに伝えることもなければ、涙を流すこともなく、まずまずの出来に納得した。
それに作家とは違い、思いがけなくも一人ではなかった。偶々昼時で訪客にサンマ飯を馳走したら、小さな身体には似合わぬ健啖ぶりを見せ、美味しいと無邪気に喜び、かと思えばはにかみ、またあれこれを案じたりと、たまさかの複雑な秋の訪問者だった。要件は仕事の下見、まあそんなもの。
訪問者と言えば、先週の土曜日には伊那市の白鳥市長が職員や知人10名ほどを伴い私的に来訪、山頂やテイ沢など秋の散策と山小屋での食事を楽しんで帰っていった。山好きの市長ばかりか中には顔見知りの人がいて、つい慎み遠慮を忘れてしまったかも知れない。ここでご無礼をお詫びしておこう。
そうそう生憎、クリおこわは逃してしまい恐らくもう自作は諦めている。しかし、まだ甘酒はそう思ってはいない。あの甘酒という言葉の響き、子供に許された唯一の酒、あれを味わえば遠い日の村祭りや、里のわが陋屋にもあったささやかな団居(まどい)を思い返すだろう。そしてさらに、秋風が何を語るのかじっと耳そばだてて聞いてみたい。
もう一つ呟いておかなければならないのが、秋の代表的な味覚であるキノコのこと。今年はさっぱりで、これも7月の長雨と8月の晴天続きが、あの繊細気弱な植物を委縮させてしまったのかと思う。マツタケなど求めていないが、雑キノコと蔑称されながらもその味の良さゆえに楽しみにして待っている友人もいて、今年の秋はその願いを聞いてくれるのかどうなのか。例年なら、林道には行儀の悪いキノコ採りの車がやたら目に付くが、今年はそうした人の姿を滅多にしか目にすることもない。彼ら彼女らもキノコの不作をすでに承知済みなのか、お蔭で山は穏やかで、この季節らしい雰囲気に溢れているのが有難い。
外は柔らかな日が射している。きょうのまずまずの天気を味方に、午後もう一度第1牧区の牛を第4牧区へ移動させることにした。上手くいけばいいが、問題はあの2頭の和牛である。いずれにせよ、後半月もすれば里へ帰るあの牛たちを見送ることになる。それで牛守稼業も14年が過ぎる。ムー。
本日はこの辺で。