入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「春」(55)

2023年05月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日も用事が出来て里へ下った。今回は雑草にうずもれたわが陋屋にも足を伸ばし、郵便箱の中にあったさして重要でもない幾つかの書類を持ち帰った。
 今のご時世、手紙など届くことは稀で期待もしてない。それでも一人声を失った友人がいて、彼からは前回帰った時に長い手紙を受け取っている。雨の日にでも返事を書こうとして、まだ果たしていない。

 里ではすでに田植えが始まっていた。機械化が進み、昔のような大勢の人で賑わう野良の風景は消えてしまったが、ここへ帰えってくる途中、きれいに苗が植えられたばかりの田を夕風が渡ってくるのを顔に感じて、この季節の風だけは、昔と変わらないようで懐かしかった。
 そういえば、ちょうどいまと同じころの季節、都落ちした者を天竜川が堤防の上で迎えてくれ、そのときの風の爽やかさや、川の流れの音に安堵感がこみあげてきて、帰郷の挨拶も忘れて立っていた。あれから早や20年の月日が過ぎた。
 
 もう、薪など使って風呂を沸かす家などないが、かつては夕暮れの迫る中、一足先に帰した女房が、野良から帰る夫のために風呂を沸かす煙が家々の煙突から上がり始めたものだ。田圃では大声を出して喧嘩をしていた夫婦でも、西山に日が落ちるころには双方が優しくなると、訳ありに言われたりした。いい話だ。
 牧の仕事が始まり、生活の中心が山の中に移って1ヶ月になる。こんなふうに相変わらず昔のことばかり思い出す反面、その間に、過ぎた5か月の里の暮らしは、中村錦之助や高千穂ひずるが活躍した昭和初期の映画のように遠くなってしまった。

 キャンプ場にある露天風呂の脇に、コナシの大木の太い枝が垂れ下がるようにして道を塞いでいた。折れた位置が高い場所で手の出しようがなく、思案の末にその大木ごと伐り倒した。「性悪女のような木」だと言ったりしたものだが、根元の部分から複雑に幹を伸ばし、予想通りに倒れてくれるか心許なく、根元から1㍍ほど上部から切り込んだ。
 幸い思うように倒れ、きょうはその枝の後始末と片付けをし、終わったら第2牧区の点検と補修、整備を始める。コナシ奴は相変わらずしつこく、手強かった。

 入牧は6月15日と決まった。今年も、乳牛よりか肉牛、和牛の方が多いそうだ。乳牛の頭数にもよるが、できれば8月の中間検査までは囲い罠の中に置いて、ここを訪れた人が誰でも牛の様子が見えるようにしたい。

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     ’23年「春」(54)

2023年05月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


「初の沢」は左右の谷に源流を持ち、それが牧場内で合流して一つの流れとなって山室川へ下っていく。左から流れてくる方が谷も深く長く、この流れの中に第2牧区と第3牧区を画する牧柵が在って、随分とその補修には苦労したものだ。
 昨年、ここまで牛が行かないように新たに牧柵を設けたが、それにしても先人たちはかなり無茶なことをしたものだと思う。牛の入牧頭数が増えて、放牧地を拡張していかなければならなかったころの名残りだろう。
 
 牧柵の補修には取り敢えず3本ほどの支柱を担ぎ、有刺鉄線、それに玄能(大槌)を持って急峻な斜面を谷底へと下っていく。切断したバラ線を結線するにはそれほどの苦労はないが、川床に打ち込まれた支柱は大水が出れば簡単に抜けてしまったり、曲がってしまう。それらを直そうとしても支柱の先を石が邪魔していくら玄能を奮っても、簡単には入っていかない。
 いろいろと工夫をしながら、それでも牛が脱柵しないようにと牧柵を修理して行くわけだが、牧守にとっては非常に厄介な骨の折れる仕事、場所だった。

 そんな渓の中ではあるが、ここの自然が造った渓相や周囲の景観は大いに気に入っていた。狭い渓の中にも気持ちのいい草地があったり、複雑な渓を造った奔放な流れがあったり、天然木の林が緑陰を作りながら谷の上部へと続いていたりと、地中から湧き出て間もない冷たい水の流れの中で途方に暮れながらも、よくそんな風景を眺めていたものだ。
 今はここへ牛が来ることはないから、牧柵を見回ったり修理する必要もない。だから滅多に出掛けて行ったりはしないが、昨日久しぶりに行ってみた。

 タラの芽の様子を見に、いつもの場所へ行ってみたのだ。あれだけ生命力の強いと思っていたこの木も、年々のように減っていく。タラの木にしたら、折角芽をふいたと思った途端に摘まれてしまうわけで、鋭いトゲが守ってくれるはずなのに、そうでもない。きっと、たまらないだろう。
 採る方は翌年のことも考えて決して無闇矢鱈なことをしているつもりではないが、それでも次々と枯れてゆく木を目にすれば、何も感じないというわけにはいかない。さんざん採集を愉しんでおいて、そう思うことが遅かったかも知れない。
 ウーン、そんな偽善者のようなことを言うなって? イヤ、確かに。しかし、つい身につまされた。

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     ’23年「春」(53)

2023年05月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

  Photo by Ume氏

 霧が深い。先程まで見えていた谷の向こうの放牧地や、その背後の落葉松や白樺の林が白い帳に隠されてしまい、時折、鳥の声だけが聞こえてくる殆ど無音の世界だ。目にする物もなければ耳にする物もない空白、そんな中で久しぶりに心のラジオ体操をした。
 祝い事があり、昼に1合の熱燗を呑んだせいかその余韻が粘着性を持たせてくれ、意識の程度がいつもよりか深度を深め、雑念を気にせずにその深さを維持しているように思えた。やはり、こういう時間は必要で、今先程まで森の中を歩いていたが、それと似た気分になっている。

 落葉松は、風が吹けばそこら中に枝をまき散らす。できるだけ自然には手を加えたりせずそのままにしておきたいが、やはり目に余る場合は倒木同様に片付けたくなる。子供のころによく里山に行き焚付用の落ち枝を集め、束にして背負って帰ってきたものだが、そんなことを思い出したりしながら雨と寒さに祟られた昨日の撮影現場を見回った。そして、子供の背なら2,3個の束にできる枯れ枝を集め、一か所にまとめておいた。
 落葉松はすでに立派に成長して、伐採すれば材木として充分に使える。しかし当面その気配、様子はない。それにこの森の主役は落葉松ではなく天然のモミやコナシである。とても、材木にはならないから、こうやっておいても当面この林は人の役に立ちそうもない。せいぜいが地下水を集めて小さな流れを作るくらいだろう。(5月14日記)

 そういう場所で、放牧に拘らず一昨日のように各種の撮影にも利用してもらえれば森は生きる。荒らすわけでなく、牧場経営にとっては恵みとなり、安易な発想に基づく観光地化などよりも自然との共生にも余程適していると思う。
 あの森を舞台に描いた映画やテレビ番組を見れば、視聴者にもそれなりの感興をもたらすはずだし、多様化という言葉は好きではないが、これは眠っている森の利用における多様化の一つではあろう。
 そのうちこの森の中から、美しいピアノの旋律が流れて来る日も近い(関心があるようでしたら、5月2日付のブログをご覧ください)。

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     ’23年「春」(52)

2023年05月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝はそれほど悪い天気ではなかった。3時半ごろ目が覚め、寝直すのも面倒になりそのまま夜が明けるのを待つことにした。普段は充分な睡眠をとっているから、たまにはそれもいいだろうというわけだが、加えて、今朝は6時ごろから仕事が入っていたため、寝過ごすわけにはいかなかった。
 
 昼少し前から、やはり天気は崩れ出した。それでも、あまりひどいことにはならないだろうというふうに予想しているが、これには大分願望が入っている。
 たまには雨の降る外の様子を眺めながら静かな牧の雰囲気を味わうのも悪くはないのだが、きょうはまた撮影の仕事が入っていて、できれば予定通り一日だけっで終わって欲しいと願っている。明日はさらに天気は悪くなるようだ。

 牧場の経営だけでここが成り立つならいいが、近年はそうはいかなくなった事情はこれまでも何度か呟いてきた。ここの環境、特に牛と、もしかすれば鹿も一緒になって、広大な牧草地はずっと守られてきた。そうでなければ、遠からず2,3年の内にクマササ、カヤ、落葉松などによって放埓な天然に還ることを許してしまうだろう。
 
 やがて時代とともに、わが国の牧畜も大きな変化を受け入れざるを得なくなるのは間違いない。上伊那地区は県内でも比較的酪農が盛んだったようだが、近頃では廃業する人の話をよく聞くようになった。
 少子化も進めば、学校給食に出されていた牛乳の量だって当然先細りしていく。そういう状況が続けば後継者の問題もでてくるし、国の政策に嫌気の射した人もいるようだ。
 山の上にいて詳しい情報は入ってはこないが、牧守にとって取り敢えずは入牧頭数の減った牛と一緒になって、牧場と今の環境を守っていくしかない。その手段として、撮影のような仕事も受け入れている。
 
 大志も抱かなかったし、一介の民草、凡人として生きた。そんな者に、入笠との出会いは予想外のことで、その影響は大きかった。これぞ運命と言ってもいいだろう。幾つもの仕事を変えてきたが、ついに行き着いた先が人里離れた標高1700㍍の入笠牧場であったとは。もちろん、それで不満はない、満足している。
 それだけに、この牧場や周囲の自然には思い入れが強い。誰よりも、と言っていいほど。

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     ’23年「春」(51)

2023年05月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 目の前で見せてくれる自然に、今年は驚いてばかりいた。そしてまたしても昨日、そういうことがあった。なんと、もう、ヤマナシの開花が始まっていたのだ。山桜だってそうだったが、いつもなら開花が始まるのが今頃で、ヤマナシやその後に続くコナシの花は5月の末から6月に入ってからのはずである。
 だからと言って、今春はいつもの年と比べ格別に暖かいかと聞かれれば、そうとも思わない。朝は零度近くまで気温が下がることもあれば今朝も霜が降りていたし、夕方には急速に温度が落ちていくのは例年と変わらない。
 野花に詳しいDさん夫妻にそんな話をしてみたら、今年は3月が例年になく暖かかったと話してくれて納得した。



 またちょっとだけチェーンソーのことを呟かせてもらいたい。国有林の中にある第5牧区を見回っていたら、落葉松の大木が倒れていた。早速、始動の問題が解決した新品の威力に頼ろうとしたら、古い方がまだ見捨てるなと言わんばかりに存在を主張してきた。
 で、そんなに言うならと古い方を持っていって、どこまで役に立つかと試してみると、若干始動に手間取るも、その後は遺憾なく実力を発揮してくれ大木は難無く幾つかのタマにすることができた。
 チェーンソーはできるだけ容易な始動、それと切れ味の二つが揃うことが条件で、古い方もそれなりに活躍してくれることが分かって喜んだ。
 なお、きょうの写真はそれより以前の試し切りの時のもの。



 ちょっと燃焼上知っておきたいことがあって、露天風呂を沸かした。適温に沈み、風呂から出る5分ほど前に湯冷めしないようにと幾分加温してみると、これが効いて身体中が暖まりいつまでも心地よかった。
 いつか、11月にこの風呂に入った女傑たちも同じことを言っていたのを思い出し、恐らく2キロ近い遠方から引いている水質ではないかと考えたが、まず間違いなかろう。

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