昨日も用事が出来て里へ下った。今回は雑草にうずもれたわが陋屋にも足を伸ばし、郵便箱の中にあったさして重要でもない幾つかの書類を持ち帰った。
今のご時世、手紙など届くことは稀で期待もしてない。それでも一人声を失った友人がいて、彼からは前回帰った時に長い手紙を受け取っている。雨の日にでも返事を書こうとして、まだ果たしていない。
里ではすでに田植えが始まっていた。機械化が進み、昔のような大勢の人で賑わう野良の風景は消えてしまったが、ここへ帰えってくる途中、きれいに苗が植えられたばかりの田を夕風が渡ってくるのを顔に感じて、この季節の風だけは、昔と変わらないようで懐かしかった。
そういえば、ちょうどいまと同じころの季節、都落ちした者を天竜川が堤防の上で迎えてくれ、そのときの風の爽やかさや、川の流れの音に安堵感がこみあげてきて、帰郷の挨拶も忘れて立っていた。あれから早や20年の月日が過ぎた。
もう、薪など使って風呂を沸かす家などないが、かつては夕暮れの迫る中、一足先に帰した女房が、野良から帰る夫のために風呂を沸かす煙が家々の煙突から上がり始めたものだ。田圃では大声を出して喧嘩をしていた夫婦でも、西山に日が落ちるころには双方が優しくなると、訳ありに言われたりした。いい話だ。
牧の仕事が始まり、生活の中心が山の中に移って1ヶ月になる。こんなふうに相変わらず昔のことばかり思い出す反面、その間に、過ぎた5か月の里の暮らしは、中村錦之助や高千穂ひずるが活躍した昭和初期の映画のように遠くなってしまった。
キャンプ場にある露天風呂の脇に、コナシの大木の太い枝が垂れ下がるようにして道を塞いでいた。折れた位置が高い場所で手の出しようがなく、思案の末にその大木ごと伐り倒した。「性悪女のような木」だと言ったりしたものだが、根元の部分から複雑に幹を伸ばし、予想通りに倒れてくれるか心許なく、根元から1㍍ほど上部から切り込んだ。
幸い思うように倒れ、きょうはその枝の後始末と片付けをし、終わったら第2牧区の点検と補修、整備を始める。コナシ奴は相変わらずしつこく、手強かった。
入牧は6月15日と決まった。今年も、乳牛よりか肉牛、和牛の方が多いそうだ。乳牛の頭数にもよるが、できれば8月の中間検査までは囲い罠の中に置いて、ここを訪れた人が誰でも牛の様子が見えるようにしたい。
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本日はこの辺で。