入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(38)

2023年12月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 久しぶりに夜中の2時ごろに目が覚め、それから大分時間が経った。起きたばかりの時の室温は2度、ウイスキーのお湯割りを飲んで人心地つく。

 妙な夢を見た。山は入笠のはずなのだが後で思い返すと、人で賑わう登山口の辺りは八ヶ岳のようで、その様子も実際とは違って、幾度か夢の中に出現した架空の山だった。
 八ヶ岳は阿弥陀の南陵を始めとして、主にその西側の谷には四季を通じて結構行ったが、登山者の多くが目指す主峰赤岳は数えられるほどの記憶しかない。それでいて、どうも主峰の稜線上にいつも似たような風景と、似たような山小屋が現れる。

 季節もはっきりしなくて、無雪期だと思っていたらいつの間にかアイゼンを履いていて、しかもそれが登行中に外れてしまうのである。アイゼンは何台か世話になったが、その中に幾つかに分解できるアメリカ製があった。このアイゼンは調整が難しくて人に上げてしまい、最も馴染の少なかった1台だったと言える。
 それにもかかわらず夢の中で、それが外れた時の足の感覚は、行動中にアイゼンを外すなどという経験はなかったのに、まるで実際にあったような感触が今も足に残っているから不思議だ。

 どうして、実際の経験よりか夢の中の出来事の方が優先席を占めてしまうのだろう。過去の経験を修正したいという願望があってのことなら分かるが、これらの夢に出てくることはそのような話ではない。経験したことも、見たこともないことが、現実のことを差し置いて夢の中では勝ってしまうようなのだ。
 
 アイゼンを登山靴に装着する際、外れないようにという注意ぐらいは誰でもする。その遠い記憶が、フラスコの底に溜まっていた小さなゴミが加温されて浮上してくるように、夢に現れたというのならまだ分かる。
 しかし、膨大な記憶の粉塵に等しいような物を集め、人で混雑した小屋の中を通り、危うい階段を上り、薄暗い二階からようやく外に出る、という夢を見させてくれた脳、自分のものであって自分のものではない、まさしく自分の裡に棲む別人格のような気がする。それがこのごろやたら元気がいい。

 経ヶ岳はきょうも吹雪いている。あの積雪から判断すると、年末は車で行けるだろう。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
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     ’23年「冬」(37)

2023年12月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 県内に大雪警報は出ていないようだ。このまま、今季「最も寒い」と言われた寒気は日本列島から離れていくらしい。
 年末、大晦日も残り10日を切った。年内にやり残したことを20日までにやろうと考えていて、何も果たせないままここまできてしまった。大掃除、餅つき、注連縄作り、神棚の掃除などなど、こういうことはとっくに止めて、年賀状書きの外は何もやらない。
 
 年賀状は干支に関係なく、今年も牛の写真を印刷して用意はできているが、まだ1枚も書いてない。きょうあたりから始めようと思っている。
 年賀状の話をすると驚く人がいて、こちらの方が驚く。まさか読み書きができないとまでは思わないだろうが、日ごろ不精を決めて生きているだけに意外に思うようだ。
 毎年律義に新年の挨拶をしてくれる人たちに対して、この習慣だけは守るようにしてきたが、礼儀というよりも理由は「気が小さいから」だと応えると、なぜか皆が嗤う。野生化と、気の大小とは必ずしも一致しないと思うのだが、先日ズボンの裾上げをしたと言えば、今度は笑い殺されるかもしれない。

 肝心なことを言い洩らした。年越しは入笠、ということはこの17年の間ほぼ守ってきたつもりだ。賑やかに年を送り、新年を迎えたこともあれば、大晦日だというのに一人ではすることもなく、8時ごろに酔っ払って寝てしまったこともある。そっちの方が多かったかも知れない。
 それでも忠犬HALはいつもいた。半ば雪に埋もれながら、それでも嫌なふうを見せず、さりとて喜んでいるでもなく。


 
 上に行く特別な理由などなく、最初のころは若いころの習慣を引きづって、年末年始を街や里で過ごす気にはならなかったのだろう。それと、少しでも小屋の売り上げに貢献しようとした面もあったように思う。
 今冬はどうなるか分からないが、雪の法華道の風景がチラチラと目に浮かび、呼んでいる。「ハバキ当て」を過ぎたモミの大木、「山椒小屋跡」の落葉松の人工林、そして深く長い雪中の登り・・・。
 本日はこの辺で。
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     ’23年「冬」(36)

2023年12月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 経ヶ岳が吹雪いている。冬山らしい眺めだ。ここからは中ア、われわれ地元の人間は「西山」と呼んでいるが、は見えても、段丘の向こうの南アの山々は背後の里山を超えて開田まで登っていかないと見えない。入笠は、それでも、手前の山並みが邪魔をして隠れたままで、その様子は10㌔ほど右手の鹿嶺高原を眺めながら想像するしかない。
 で、どうかというと、雪は降っていても、積雪量は車で行けないほどではないと期待を込めて判断している。まぁそれも、気象予報はすでに狼少年化しているようにも思えるし、これからの天候次第ではどうなるか分からない。

 今朝、北海道の留萌の雪の状況を中継していた。10センチの雪が降っても大騒ぎする都会の人々に、これから一冬雪に閉じ込められる現地の人々の大変さ、苦労が、果たしてどれほど伝わるのだろうか。電飾に浮かれている人々と同列に扱われているようでは、はなはだ覚束ない気がする。
 と、つい批判めいた口調で呟いてしまったが、それでいいのかも知れない。ウクライナやパレスチナや、はたまた貧困や圧政に喘ぐ国の人々と、変わらないほどの鋭い痛みを共有し、味わっていたら、きっと身が持たなくなるに違いない。
 神はお休みのようだし、風の音を聞きながらこっちは炬燵に当たり、彼らの何万分の一ほどの痛みを感じて済ませてしまうしかないだろう。「極東の一角」の島国に生まれたことを喜びつつ。

 カーテンを開けたら荒れ模様の雪雲が見え、その影響を思わせる雪混じりの風が懐かしい。青空が見えているが気温はあまり上がらず、友人が遺した袢纏(はんてん)を着て呆けている。着心地は悪くない。彼は昨夜も夢に出てきた。
 この独り言の主も、山を下りた後期高齢者の牛守である。他愛もない冬ごもりの日々の繰り言だが、昨日も「立ち枯れのような老いたる裸体を隠すな」と叫んだばかり、あまり抑えず、隠さずに続けていきたい。見苦しい点はご容赦を。
 
 本日はこの辺で。

 
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     ’23年「冬」(35))

2023年12月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今週はかなり寒くなるという。それでも、今朝の午前7時ごろの室内気温は4度と、このくらいなら許容の範囲だろう。
 昨日は全国的に寒かったようだが、午後遅くの散歩中はそんなふうに感じなかった。ただ、開田に出た時、正面に現れる仙丈岳の雪を纏った山容が、冬山の凄みを見せていた記憶は残っている。
 こんなことを言っておいて、別の時に、同じ程度の寒さに音をあげたりすることがあるかも知れないが、暑さ寒さも精神的な気候状況も影響して、必ずしも寒暖計だけでは測れない時がある。例えば、手許不如意な時のように、あるいは何かの理由で失意の底に沈んでいれば。

 風呂に入るか、散歩に出るか、それともこのまま本を読み続けるかと、迷っている。きょうのこの呟きは午前中に外出したため、それを口実にして沈黙するつもりで、心のラジオ体操だけが済んでいる。(12月19日記)

 きょう20日、いよいよ今年も残す日はあと僅かになった。そろそろ年賀状も書かねばならないし、年内に済ませておかなければならないことがまだ若干だが残っている。
 その中でも、大雪の来ないうちに一度、上に行っておきたい。越年のことに加え、6,7,8日と予約が入っているから、それへの自身も含めた準備対応があり、今ではそれが「わたくしの冬山」である。
 
 この仕事を始めたころは、まだかろうじて50代だった。冬の入笠牧場へ行くことなど何ともなかったし、敢えて夜間を選んで星を眺めながら行こうとしたこともあった。
 こうして暖房の効いた部屋で、炬燵に当たりながら考えれば、その当時とあまり気持ちの上での変化はない。牧場にいても、年齢を理由に作業を加減するというようなことは、電柱や高い木によじ登るのを控えるくらいだったと思っている。
 しかし、実際は、気付かないうちに衰えているのは体力ばかりか気力も同じで、そういうことを、ふと、気付かされる瞬間がある。そういう経験が段々と重なって、ボデーブローのように効いて、人は老いを、衰えを受け入れていかざるを得ないのだと思う。

 ただし、諦めを老成だとか、見識だと評価したり誤解したりする者がいたりするが、そこは注意した方がいい。そういう"フリ"だけの老体を何人も見てきた。喜怒哀楽を抑えず、愛があればさらに良し。立ち枯れのような老いたる裸体を隠すな。

 赤羽さんの「その日その時」を読むと、小学生のころに夏休みに都会から来た、同じような年ごろの少年たちを思い出します。多謝。
 本日はこの辺で。
 


 



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     ’23年「冬」(34)

2023年12月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 写真のこの本、先日少し紹介した大澤覚氏が著した「神足勝記日記」である。副題に「林野地籍の礎を築く」とあるように、この神足勝記、一言で評せば「明治の伊能忠敬」とでも呼びたくなるような人物で、皇室のために御料局測量課長としてわが国の林野の測量を、近代技術を用いて行った最初の人のようだ。
 著者である大澤氏は詳細な日記や埋もれていた膨大な資料の山に挑み、また氏も同じように神足の足跡の多くを実際にたどるなど、積年の苦労を重ねに重ねたその末に、ようやく世に出すことができた1冊だと言えよう。
 
 こういう地味で、専門的な本は、出版すること自体が非常に難しい。まして今や、本離れが進んでいる時代である。ここに至るまでの経緯も苦難な道であったことは疑いないが、それでも著者は投げ出さなかった。
 A5判、本文685頁2段組、定価22,000円(税込み)、(株)日本林業調査会発行。一般の人が手にするには高価な本になってしまったが、明治以降の皇室財政を支えた御料林の役割、林野行政と林業の関り、近代測量技術の詳細などなど、今後この方面の研究をする人たちにとっては欠かせない貴重な一書、道標となるだろう。

 著者大澤さんを知ったのは、奇妙な出会いによる。かれこれ6,7年前のことで、大沢山の第3牧区の見回りをして帰ってくる途中、軽トラの横に乗っていた友人が「後ろから追いかけてくる人がいる」と言う。振り返ったら、小さな自転車に乗り、笑顔で手を振っている人の良さそうな中年男性の姿が目に入った。その人が大澤氏であった。大沢山と大澤氏、これも縁と言えよう。
 何でも神足が越した御所平峠に行こうとして、はるばる高遠からタクシーで来てみたが、連れていかれた登山口の手前、当時の「御所平峠駐車場」は、どうやら氏の資料とは合致しなかった。ということで、近くの小屋の人に尋ねたら、牧場に少し変わった管理人がいるから、そこで訊いてみろということだったらしい。

 以前から、御所平峠の名前を登山口の駐車場に冠することには大いに反対していた。そこで、得たりとばかりに氏の資料を見せてもらい、話を聞き、正しい場所を教えた。それからの付き合いである。
 神足の足跡を求めること下手な登山者顔負けで、例えば南アは光岳で終わることなく寸又峡まで足を延ばし、入笠へ来るには戸台から20㌔近くを歩いてきて驚かせてくれた。それも、街中を歩くような普通の身なり格好で、確か足回りは革靴だった。
 前回も青柳駅から歩き始め、何でこんなクマササノ繁る径でもない急な斜面を、と言いたく所を何本かの区画でも示す目印に導かれやってきた。

 神足も凄いが、それを追う大澤さんもまた人並みではない。学者という人種の執念を感ずる。この分厚い、文字のぎっしりと詰まった氏の労作は上に持っていく。
 これまでも、影の道具番長を省けば、登山客に貸した本は殆どが返ってこなかった。しかしこの本は、そうはさせない。
 本日はこの辺で。


 
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