陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

536.永田鉄山陸軍中将(36)永田こそ派閥的行動をしている張本人ではないか!

2016年07月01日 | 永田鉄山陸軍中将
 昭和十年七月十日林陸軍大臣は真崎教育総監と再び会談をして、八月人事の話し合いを行ったが、真崎教育総監は林陸軍大臣の人事案に同意しなかった。林陸軍大臣と真崎教育総監のやり取りは次の通り(要旨・概略)。

 林陸軍大臣「君がどうしても不同意というなら、軍の統制の必要から、この際、部内の総意に従って、教育総監を勇退してもらいたい。そもそも君が派閥の中心になって軍の統制を乱している」。

 真崎教育総監「君は統制、統制というが、一体軍をどう統制するのか。それに俺が派閥を作っているというが、何を指してそう言うのか」。

 林陸軍大臣「総監部に七田大佐あり、参謀本部に牟田口大佐あり、補任課長に小藤大佐あり……そういう部内の輿論(よろん)だ」(しどろもどろの言い方だった)。

 真崎教育総監「何を言うか。七田はおれが総監就任前からの第二課長だ。実はあまり役に立たんから、代えようとさえ思っている位だ。牟田口は永田局長が推薦した男だ。小藤に至っては顔も知らん……秦中将を退職させて、三月事件に関係の深い小磯中将を航空本部長に栄転させるようなことは、正に道理転倒で、俺はこの案に賛成し難い。一体そういう輿論作成の根源は誰だ」。

 林陸軍大臣「実は……これは南大将と永田軍務局長以下の幕僚たちの主張で、自分としては統制上どうにも致し方のない案なのだ」。

 それを聞いた真崎教育総監は、青白く、苦々しい表情をして、「とにかく、この案には同意できない」と、林陸軍大臣の人事案を一蹴した。

 翌日、七月十一日、閑院宮参謀総長、林陸軍大臣、真崎教育総監による、三長官会議が開かれたが、真崎教育総監が案の討議に入ることを拒否したので、結論は出なかった。

 七月十五日、二回目の三長官会議が開かれた。この会議では、真崎教育総監が「今次の異動は不純な動機でなされたものだ」「大元帥陛下に直隷する教育総監の職をけがすものだ」「永田らの統制派の連中こそ三月事件、十月事件で軍の統制を乱したではないか」などと強硬意見を長々と主張した。

 これに対し、閑院宮参謀総長が「総監は、それでは陸軍大臣の事務を妨害するのか」「この案でゆけば、あるいは何事か起こるかもしれんが、その時はその時で、陸軍大臣にも適切な処置があるだろうから、今回はこの案でいこう」との強い意向を示した。

 これにより、真崎教育総監の罷免が決定した。

 七月十七日、軍事参議官会同が行われた。この軍事参議官会同は、教育総監の更迭があった場合は、恒例として、新任の渡辺錠太郎教育総監と、真崎甚三郎旧教育総監の挨拶程度で開かれるものだった。永田軍務局長も出席していた。

 ところが、この会同では、真崎大将が教育総監罷免の、林陸軍大臣の措置を、長々と非難した。荒木貞夫大将も同様に「統帥権干犯ではないか」と林陸軍大臣を非難した。以下、軍事参議官会同での永田軍務局長に関するやりとりは次の通り(要旨抜粋)。

 林陸軍大臣「教育総監が辞任を承知しない時は、陸軍大臣、参謀総長合議の上、辞任させて差し支えないという結論を得ている」。

 荒木大将「陸軍大臣は軍の統制うんぬんと言われ、真崎大将がその統制を乱したようなお話であるが、それはそもそもどういう事であるか」。

 林陸軍大臣「真崎大将は派閥的行動があり、それが軍の統制上すこぶるおもしろくない影響を与えている」。

 松井石根大将「派閥は確かにある。それは自分もおもしろくないと思っていた」。

 川島義之大将「同感である」。

 真崎大将「派閥とか何とか言われるが、それなら永田軍務局長はどうであるか。永田は宇垣陸相の時三月事件に関与し、陸軍の統制を乱したのみならず、その後の行動は、永田こそ派閥的行動をしている張本人ではないか! こういう者を側近に置いて自分らを責めるのは順逆を誤ってはいないか」。

 渡辺教育総監「只今は永田軍務局長の行動を議題としているのではない。永田君のことはまた別に論議する機会があろう」。

 菱刈隆大将「そうかも知れないが、三月事件は、小耳にはさんだことはあるが、こういう席ではまだ聞いたことがない。ついでに事情を聞いてみてはどうか」。

 真崎大将「陸軍大臣は永田と三月事件の関係は御承知のことと思うが、どうか」。

 林陸軍大臣「荒木前陸軍大臣から何らの引き継ぎも受けていないから分らない」。

 荒木貞夫大将「それでは申し上げよう」(荒木大将は三月事件の概要を話し、それに当時の永田軍事課長が関与していたことを述べた)。

 林陸軍大臣「只今のお話だけでは、永田を辞めさせなければならぬほどの事実が良く了解できない。ことに、それだけ悪いことをしているなら、なぜ、君が陸軍大臣のときに永田を罷免しなかったのか、今頃になってその話を持ち出されることは、頗る迷惑である。また、永田を非難されるが、抽象的な攻撃ばかりだ。具体的な事実を示されたい」。