やがて、力なく起き上った乃木大将は、お暇を言上して、とぼとぼと退下しかけた。その時、後ろから、「乃木、乃木」という、力強い明治天皇の御声がかかった。
「はっ、と乃木大将が思わず平伏すると、明治天皇から次のように御沙汰を賜った。
「お前の胸の中は、朕がよく存じている。しかし、生は難く死は易い。今はまだ死すべき秋(とき)ではないぞ。強いて死なねばならぬと思うならば、朕が世を去った後にせよ。決して早やまるではないぞ」。
乃木大将は、あまりの勿体なさに、全身汗みどろになり、一言も御答え申し上げることもできず、涙にくれながら、ほとんどよろめくように退出したと言われている。
乃木大将は、機会のある毎に、旅順その他の戦場で戦死した部下の将卒の遺族を慰問した。慰問というよりは、それは謝罪というべき形のもので、懇ろに悔みを述べた後に、次のように言った。
「ご子息を殺したのは、まったくこの希典に違いないので、本来ならば、割腹してなりと罪を謝すべきですが、今日のところ、残念ながらそれができなんだ。しかし、いつかは希典の一命を、君国に捧げる時があるはずだから、その時こそは希典があなた方に対して謝罪したものとご承知願いたい」。
凱旋後は、乃木大将の給料は一度も静子夫人に渡されたことがなく、邸の賄は一切合財、那須野別荘から送ってくるもので間に合わせていた。
出征中に陸軍省その他から頂戴したものは、乃木大将が凱旋するなり、そっくりそのまま、どこかへ寄付してしまったという。
明治天皇からの拝領の御目録は、全部時計にかえて、部下であった将校たちの家を一軒一軒自分でまわって、届けて歩いた。これは「乃木大将の時計配達」と言われ、語り継がれている。
各界の人々が、乃木大将の高風を慕って、字を書いてもらいに来る者は、毎日数えきれないほどあったが、乃木大将は「私は書家ではない」と言って一切断った。
だが、戦死者の遺族から、墓に刻むための字を頼まれると、どんな忙しい時でも、喜んで字を書いてやった。そんな場合でも礼金は絶対に受け取らなかったので、土地の名物や作物などをお礼に送ってきたが、それも送り返した。
だが、後に、静子夫人の注意で、それらの物を、廃兵院に寄付することにした。乃木大将は何の前触れもなく暇をみては、度々廃兵院を訪ね、旅順、その他の戦場で廃兵となった白衣の勇士たちと、膝を交えて話をし、何かと慰めて帰った。
そんな日々の、ある寒い夜、乃木大将は、従僕の鎌次郎を従えて、向島の百花園に咲き出した梅の花を見に行った。百花園を出て、帰路についたのは、午後十一時近くだった。
凍てついた道に、馬蹄が澄んだ音を立て、主従二人は、無言で寝静まった山王下を新坂町に折れた。待合の多い界隈で、黒坂塀の角に、客待ちの人力車が二台置いてあり、車夫が寒そうに、煙草を吸っているのが見えた。
その時、どこかで、よく透る声が聞こえて来た。「あわじ島、かよう千鳥の、恋のつじうら……」。遊客を求めて歩く辻占売りの声だった。
提灯が見え、角を曲がって、こちらへ来た。傍を通りかかる姿を見て、乃木大将は急に馬を止めた。提灯の薄明かりに見えたのは、十歳を過ぎたばかりの可愛らしい女の子だった。
馬を止めた乃木大将に気が付いた辻占売りの少女は、近づくと声をかけた。「おじさん、辻占買ってくれない?」。声も寒さに震えているようだった。みすぼらしい袷に羽織もつけず、黄色い兵児帯をしめ、風呂敷を頭巾代わりにしていた。
鎌次郎が、あわてて前に立ちふさがって言った。「いらないよ、あっちへ行きな」。「そう」と少女は、か細い声で言うと、ちらっと黒目がちの瞳を、馬に乗ったいかめしい軍服姿の乃木大将に向けた。
暗い提灯に見える馬上に人は、白い頬髯がよりつきにくい、怖いものに見えた。くるっときびすを返すと、少女は、また歩き出した。「あわじ島、かよう千鳥の……」。細い声で歌うそれは、泣いているようにも聞こえた。
乃木大将は、じっと、その小さい後姿を見送りながら、鎌次郎に言った。「これで、買ってやれ」。見ると乃木大将の手に、一円紙幣があった。「はい、いくら買いましょうか?」「みんなだ」「へえ?」。
鎌次郎は乃木大将の顔を見上げた。「そんなに辻占をお買いになるので……?」「辻占は要らぬ。とにかくこの金をやって来ればいいのが」「はい」。
鎌次郎は、紙幣を手にして遠くの提灯を目指してかけていった。少女と鎌次郎の話す声が聞こえ、やがて、「おじさん、どうもありがとう」と言う少女のひときわ高い声が聞こえた。
「はっ、と乃木大将が思わず平伏すると、明治天皇から次のように御沙汰を賜った。
「お前の胸の中は、朕がよく存じている。しかし、生は難く死は易い。今はまだ死すべき秋(とき)ではないぞ。強いて死なねばならぬと思うならば、朕が世を去った後にせよ。決して早やまるではないぞ」。
乃木大将は、あまりの勿体なさに、全身汗みどろになり、一言も御答え申し上げることもできず、涙にくれながら、ほとんどよろめくように退出したと言われている。
乃木大将は、機会のある毎に、旅順その他の戦場で戦死した部下の将卒の遺族を慰問した。慰問というよりは、それは謝罪というべき形のもので、懇ろに悔みを述べた後に、次のように言った。
「ご子息を殺したのは、まったくこの希典に違いないので、本来ならば、割腹してなりと罪を謝すべきですが、今日のところ、残念ながらそれができなんだ。しかし、いつかは希典の一命を、君国に捧げる時があるはずだから、その時こそは希典があなた方に対して謝罪したものとご承知願いたい」。
凱旋後は、乃木大将の給料は一度も静子夫人に渡されたことがなく、邸の賄は一切合財、那須野別荘から送ってくるもので間に合わせていた。
出征中に陸軍省その他から頂戴したものは、乃木大将が凱旋するなり、そっくりそのまま、どこかへ寄付してしまったという。
明治天皇からの拝領の御目録は、全部時計にかえて、部下であった将校たちの家を一軒一軒自分でまわって、届けて歩いた。これは「乃木大将の時計配達」と言われ、語り継がれている。
各界の人々が、乃木大将の高風を慕って、字を書いてもらいに来る者は、毎日数えきれないほどあったが、乃木大将は「私は書家ではない」と言って一切断った。
だが、戦死者の遺族から、墓に刻むための字を頼まれると、どんな忙しい時でも、喜んで字を書いてやった。そんな場合でも礼金は絶対に受け取らなかったので、土地の名物や作物などをお礼に送ってきたが、それも送り返した。
だが、後に、静子夫人の注意で、それらの物を、廃兵院に寄付することにした。乃木大将は何の前触れもなく暇をみては、度々廃兵院を訪ね、旅順、その他の戦場で廃兵となった白衣の勇士たちと、膝を交えて話をし、何かと慰めて帰った。
そんな日々の、ある寒い夜、乃木大将は、従僕の鎌次郎を従えて、向島の百花園に咲き出した梅の花を見に行った。百花園を出て、帰路についたのは、午後十一時近くだった。
凍てついた道に、馬蹄が澄んだ音を立て、主従二人は、無言で寝静まった山王下を新坂町に折れた。待合の多い界隈で、黒坂塀の角に、客待ちの人力車が二台置いてあり、車夫が寒そうに、煙草を吸っているのが見えた。
その時、どこかで、よく透る声が聞こえて来た。「あわじ島、かよう千鳥の、恋のつじうら……」。遊客を求めて歩く辻占売りの声だった。
提灯が見え、角を曲がって、こちらへ来た。傍を通りかかる姿を見て、乃木大将は急に馬を止めた。提灯の薄明かりに見えたのは、十歳を過ぎたばかりの可愛らしい女の子だった。
馬を止めた乃木大将に気が付いた辻占売りの少女は、近づくと声をかけた。「おじさん、辻占買ってくれない?」。声も寒さに震えているようだった。みすぼらしい袷に羽織もつけず、黄色い兵児帯をしめ、風呂敷を頭巾代わりにしていた。
鎌次郎が、あわてて前に立ちふさがって言った。「いらないよ、あっちへ行きな」。「そう」と少女は、か細い声で言うと、ちらっと黒目がちの瞳を、馬に乗ったいかめしい軍服姿の乃木大将に向けた。
暗い提灯に見える馬上に人は、白い頬髯がよりつきにくい、怖いものに見えた。くるっときびすを返すと、少女は、また歩き出した。「あわじ島、かよう千鳥の……」。細い声で歌うそれは、泣いているようにも聞こえた。
乃木大将は、じっと、その小さい後姿を見送りながら、鎌次郎に言った。「これで、買ってやれ」。見ると乃木大将の手に、一円紙幣があった。「はい、いくら買いましょうか?」「みんなだ」「へえ?」。
鎌次郎は乃木大将の顔を見上げた。「そんなに辻占をお買いになるので……?」「辻占は要らぬ。とにかくこの金をやって来ればいいのが」「はい」。
鎌次郎は、紙幣を手にして遠くの提灯を目指してかけていった。少女と鎌次郎の話す声が聞こえ、やがて、「おじさん、どうもありがとう」と言う少女のひときわ高い声が聞こえた。