上京する列車には、新聞記者たちが乗り込んできて、うるさく質問するが、宇垣は一言も発しなかったという。横浜駅に着くと、駅長室で東京から息子が持ってきたフロックコートに着替え、神奈川県知事差し回しの自動車で東京へ向かった。そのあとを、五十台余の車が追った。
六郷橋を渡り、蒲田に近づいたとき、道路上に一人の軍人が大手を振って宇垣の車をとめた。東京憲兵司令官・中島今朝吾中将(陸士15期)であった。
中島は、丁重に挨拶し、「寺内陸軍大臣からの伝言があるので、恐縮ながらしばらく同乗させていただきたい」と言った。
中島中将は車に乗り込むとすぐ「今夜、閣下に大命が降下されると聞き及んでおりますが、寺内大臣よりの伝言として、部内の反対が多く容易ならぬ情勢でありますので、閣下に大命を拝辞していただきたいとのことでございます」と切り出した。
中島中将は「部内の反対」を長々と説明した。宇垣はだまって聞き、中島中将の話が終わると短く一言だけ言った。
「私がもし大命をお受けすれば、再び二・二六事件のように軍隊が動くのか」
思いがけぬ問いと、それ以上に宇垣の気迫に中島中将はうろたえた。
「いいえ、そういうことはございますまい」
「よし、それだけ聞いておけばよい」と言ったまま宇垣はまた口をきりっと結んで前方を見つめたままだった。中島中将はいたたまれなくなって泉岳寺付近で車を降りた。
この中島中将を差し向けたのは、宇垣に大命が降下されるのを知った陸軍省軍務局の中堅幕僚達であった。彼らは宇垣の組閣阻止に向けて動き出した。
彼らの宇垣排斥の理由は、要約すると、三月事件に関与したこと、宇垣が陸相時代に軍縮を行ったことなどであった。
1月24日午後9時頃、石原莞爾作戦課長、田中新一兵務課長らが陸軍大臣官邸を訪れた。そこには寺内陸相、梅津美治郎次官、阿南惟歳兵務局長、中島憲兵司令官がいた。
石原莞爾作戦課長の強烈な説得により、寺内陸相と梅津次官はしぶしぶ軍内粛正のために宇垣の組閣阻止に納得したといわれる。そこで中島中将が説得に行くことになり、宇垣の車を止めたのであった。
「陸軍に裏切られた陸軍大将」(芙蓉書房)によると、戦後の佐藤賢了氏は著書の「大東亜戦争回顧録」の中で次のように述べている。
宇垣の車から降りた中島憲兵司令官は大臣官邸に帰ってきて言った。
「参った、参った。宇垣というやつは偉いやつじゃ」
「そんなに偉いのなら、反対せずに(首相を)やってもらったらどうだ」
だれかが冗談半分で言うと、中島憲兵司令官はあわてて手を振った。
六郷橋を渡り、蒲田に近づいたとき、道路上に一人の軍人が大手を振って宇垣の車をとめた。東京憲兵司令官・中島今朝吾中将(陸士15期)であった。
中島は、丁重に挨拶し、「寺内陸軍大臣からの伝言があるので、恐縮ながらしばらく同乗させていただきたい」と言った。
中島中将は車に乗り込むとすぐ「今夜、閣下に大命が降下されると聞き及んでおりますが、寺内大臣よりの伝言として、部内の反対が多く容易ならぬ情勢でありますので、閣下に大命を拝辞していただきたいとのことでございます」と切り出した。
中島中将は「部内の反対」を長々と説明した。宇垣はだまって聞き、中島中将の話が終わると短く一言だけ言った。
「私がもし大命をお受けすれば、再び二・二六事件のように軍隊が動くのか」
思いがけぬ問いと、それ以上に宇垣の気迫に中島中将はうろたえた。
「いいえ、そういうことはございますまい」
「よし、それだけ聞いておけばよい」と言ったまま宇垣はまた口をきりっと結んで前方を見つめたままだった。中島中将はいたたまれなくなって泉岳寺付近で車を降りた。
この中島中将を差し向けたのは、宇垣に大命が降下されるのを知った陸軍省軍務局の中堅幕僚達であった。彼らは宇垣の組閣阻止に向けて動き出した。
彼らの宇垣排斥の理由は、要約すると、三月事件に関与したこと、宇垣が陸相時代に軍縮を行ったことなどであった。
1月24日午後9時頃、石原莞爾作戦課長、田中新一兵務課長らが陸軍大臣官邸を訪れた。そこには寺内陸相、梅津美治郎次官、阿南惟歳兵務局長、中島憲兵司令官がいた。
石原莞爾作戦課長の強烈な説得により、寺内陸相と梅津次官はしぶしぶ軍内粛正のために宇垣の組閣阻止に納得したといわれる。そこで中島中将が説得に行くことになり、宇垣の車を止めたのであった。
「陸軍に裏切られた陸軍大将」(芙蓉書房)によると、戦後の佐藤賢了氏は著書の「大東亜戦争回顧録」の中で次のように述べている。
宇垣の車から降りた中島憲兵司令官は大臣官邸に帰ってきて言った。
「参った、参った。宇垣というやつは偉いやつじゃ」
「そんなに偉いのなら、反対せずに(首相を)やってもらったらどうだ」
だれかが冗談半分で言うと、中島憲兵司令官はあわてて手を振った。