中島憲兵司令官は続けて言った。
「だめだ。君らがそんな弱気じゃいけない。いま宇垣に出られては、粛軍がむだだ。あのぶんでは、とても大命拝辞はのぞめない。われわれが一致団結して排撃しなければ、歴史はあともどりする」
宇垣は皇居に入り、湯浅内大臣に挨拶した。湯浅内大臣は
「軍部の反対強烈なるが如し、組閣は困難と想像されることを天皇にも申し上げてある。充分慎重に考慮の上お受けするように」と宇垣に言った。
午前1時40分頃、天皇に召された。
天皇は
「組閣を命ず。組閣の自信ありや」
と言ったと、宇垣の随想録にある。
天皇が組閣を命じるとともに、「組閣の自信ありや」と問うことは普通には考えられないことであって、これに類する先例もない。
木戸幸一の1月25日の日記にある、湯浅内大臣の話では
「卿に組閣を命ず。しかし不穏なる情勢一部にあると聞く。その点につき成算ありや」
との意味の言葉だったという。宇垣はそれを聞かされた。
ところが宇垣はたんに内大臣は軍の内情を心配してくれているな、たいしたことはあるまいと思っていた。
宮中を退出すると、宇垣はただちに組閣にとりかかった。25日午後、宇垣みずから寺内陸相を訪れ、組閣の方針及び抱懐する政策を述べ、陸軍大臣の推薦をもとめた。
ところが寺内陸相は
「中島中将から伝えていただいたように、陸軍部内の情勢から見て組閣を拝辞していただきたい」と言った。
また「陸軍は敢えて組閣を阻止するにあらざるも、陸軍は政策等に関する反対ではなく、粛軍の見地から閣下個人に反対している」とも言った。
26日午前には、宇垣が陸相のとき次官に登用した杉山元中将(教育総監)が組閣本部に宇垣を訪ねてきた。そして次のように言った。
「大局から見れば閣下のご出馬が国家のため最善と思っている。しかし、何分にも若い者が粛軍工作が破壊されるとか軍の統制が乱れるとか騒ぐから、ご考慮願いたい」
これには宇垣も怒った。
「大局の発動を阻止する行為の如きは、粛軍の精神にもとり、軍の統制の乱れることはなはだしいではないか。軍首脳の地位に居らるるあなた方は組閣を是なりと考えるならば、それらの異論をおさえ部内をまとめていけるわけではないか」
杉山中将は弱弱しい声で
「微力とうてい私どもの力では押さえ切れませぬ」と言ってうつむいたままだった。
「だめだ。君らがそんな弱気じゃいけない。いま宇垣に出られては、粛軍がむだだ。あのぶんでは、とても大命拝辞はのぞめない。われわれが一致団結して排撃しなければ、歴史はあともどりする」
宇垣は皇居に入り、湯浅内大臣に挨拶した。湯浅内大臣は
「軍部の反対強烈なるが如し、組閣は困難と想像されることを天皇にも申し上げてある。充分慎重に考慮の上お受けするように」と宇垣に言った。
午前1時40分頃、天皇に召された。
天皇は
「組閣を命ず。組閣の自信ありや」
と言ったと、宇垣の随想録にある。
天皇が組閣を命じるとともに、「組閣の自信ありや」と問うことは普通には考えられないことであって、これに類する先例もない。
木戸幸一の1月25日の日記にある、湯浅内大臣の話では
「卿に組閣を命ず。しかし不穏なる情勢一部にあると聞く。その点につき成算ありや」
との意味の言葉だったという。宇垣はそれを聞かされた。
ところが宇垣はたんに内大臣は軍の内情を心配してくれているな、たいしたことはあるまいと思っていた。
宮中を退出すると、宇垣はただちに組閣にとりかかった。25日午後、宇垣みずから寺内陸相を訪れ、組閣の方針及び抱懐する政策を述べ、陸軍大臣の推薦をもとめた。
ところが寺内陸相は
「中島中将から伝えていただいたように、陸軍部内の情勢から見て組閣を拝辞していただきたい」と言った。
また「陸軍は敢えて組閣を阻止するにあらざるも、陸軍は政策等に関する反対ではなく、粛軍の見地から閣下個人に反対している」とも言った。
26日午前には、宇垣が陸相のとき次官に登用した杉山元中将(教育総監)が組閣本部に宇垣を訪ねてきた。そして次のように言った。
「大局から見れば閣下のご出馬が国家のため最善と思っている。しかし、何分にも若い者が粛軍工作が破壊されるとか軍の統制が乱れるとか騒ぐから、ご考慮願いたい」
これには宇垣も怒った。
「大局の発動を阻止する行為の如きは、粛軍の精神にもとり、軍の統制の乱れることはなはだしいではないか。軍首脳の地位に居らるるあなた方は組閣を是なりと考えるならば、それらの異論をおさえ部内をまとめていけるわけではないか」
杉山中将は弱弱しい声で
「微力とうてい私どもの力では押さえ切れませぬ」と言ってうつむいたままだった。