陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

158.牟田口廉也陸軍中将(8) 二人の怪しげな魔法使いを、自分の天幕に入れてやった

2009年04月03日 | 牟田口廉也陸軍中将
 第三十一師団がコヒマから独断撤退したことを知った牟田口軍司令官は、驚き、憤慨した。第三十一師団を戦線に戻さなければならない。牟田口軍司令官は久野村軍参謀長と兵站参謀・薄井誠三郎少佐(陸士四五・陸大五五)を第三十一師団司令部に派遣した。

 撤退中の師団司令部にたどり着いた久野村軍参謀長と薄井参謀は、すぐに佐藤師団長に面会を申し入れた。

 ところが佐藤師団長は「軍参謀長などに会う必要は無い」と拒絶した。二人は、やむなく師団参謀長の加藤国治大佐(陸士三四・陸大四四)と会見し、師団長に面会できるよう頼んだ。

 第三十一師団長・佐藤幸徳中将は戦後、昭和三十六年二月二十六日に死去した。佐藤中将は、遺稿の回想録を遺していた。その回想録にこの時のことを次のように記している。

 「六月二十一日、突如として二人の魔法使いが出現した。自分は会いたくなかった。彼らは軍命令を携行してきたのである。それはインパール攻撃命令であり、二、三日前に師団無線で受信し、誰も相手にしなかった複雑怪奇、奇想天外のものと同一であった」

 「加藤参謀長のとりなしで、とうとう自分はいたしかたなく、二人の怪しげな魔法使いを、自分の天幕に入れてやったのである」。

 佐藤師団長にしてみれば、第十五軍の立案したインパール作戦は魔法に等しいものと言いたいのだった。怪奇であり、人間わざではできないことであると。

 二人は佐藤師団長の天幕に通された。いきなり佐藤師団長は兵站参謀・薄井少佐を怒鳴り付けた。

 「出発前、あれだけ固い約束をしておきながら、烈(第三十一師団)に一発の弾も一粒の米も送らなかったのは何事か。カラソムに四日分の糧食を集積しておくと言ったのは、どこの幽霊司令部だったか。弾も無く、食うものも無く、戦をするという戦術を、貴様らはどこで習ったか」。

 久野村軍参謀長は「参謀に過失があれば、どうか直接私に言っていただきます。これから閣下と私だけで懇談をお願いします」と言った。佐藤師団長は同意して、加藤参謀長と薄井少佐を退出させた。

 すると久野村軍参謀長は「一体、閣下、どうしたらよいでしょうか。この作戦の失敗は全く自分の失敗です」と口を開いた。

 軍の参謀長は軍の作戦指導の責任者である。佐藤師団長は、そのような人物から、このような言葉を聞くのは心外にたえなかった。恐るべき無能である。十五軍司令部の魔法の正体を見た思いだった。

 佐藤師団長は「貴官はこの作戦を実行するという前提で着任したはずだ。それだけの成算と決心があったはずだ。それを今になって、どうしたらよいでしょうとは、何事か。貴官は貴官としてなすべき使命があろう」と大声で叱りつけた。

 佐藤師団長に叱られて、久野村軍参謀長はうなだれていた。だが、久野村軍参謀長は第十五軍の新たな命令を携行していた。それはまたもインパール攻撃を命じたものだった。内容はとても承服できるものではなかった。

 佐藤師団長は「インパール作戦の現状は、大陸のガダルカナルとも言うべき悲惨な失敗に陥っている。しかるに牟田口はいたずらにインパールに妄執している。牟田口の考えているのは政治だ。戦略ではない。自分は陛下の軍隊を無意味に餓死させることはできん」と言った。

 さらに「牟田口は作戦開始前から『自分を死なせてくれ』とか『不可能を可能にして』ということを口癖にしていた。これは思い上がりで、幕僚の意見も聞かず、異常な心理だ」と言い放った。

 久野村軍参謀長は、一言も口をきけないでいた。わずかに、佐藤師団長が牟田口軍司令官の名を呼び捨てにしたときに、久野村軍参謀長の目が動いた。とがめるような目であった。