陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

448.乃木希典陸軍大将(28)曾根長官が桂大臣に働きかけて乃木中将の首を切った

2014年10月24日 | 乃木希典陸軍大将
 乃木中将は、桂太郎陸軍大臣に会って、桂大臣とともに伊藤博文(いとう・ひろふみ)首相(山口県光市・松下村塾・英国留学・討幕運動に参加・初代兵庫県知事・初代工部卿、宮内卿等明治政府の要職を歴任・初代・第五代・第七代・第十代の内閣総理大臣・初代枢密院議長・初代貴族院議長・日露戦争・初代韓国統監・ハルピン駅で暗殺される・従一位・大勲位・公爵)と会見した。

 そのあと、乃木中将は井上馨(いのうえ・かおる)蔵相(山口県山口市・藩校明倫館・英国留学・・討幕運動に参加・大蔵大補・外務卿・外務大臣・農商務大臣・内務大臣・大蔵大臣を歴任・三井財閥最高顧問・従一位・菊花章頸飾・侯爵)とも会見した。

 その会議に曾根長官も加わって長時間の密議が行われた。どういう話し合いがなされたのか、そのことは伝わっていない。だが、その翌日、乃木中将の台湾総督の依願免職が発令され、乃木中将は台湾には帰らず、そのまま休職となった。

 したがって乃木中将を知る人たち、台湾の事情に明るい人たちは、乃木中将が曾根長官に一服盛られたのだと噂した。桂大臣と曾根長官とは台湾時代からの相棒だったから、その線から曾根長官が桂大臣に働きかけて乃木中将の首を切ったとも言われたが、おそらく当たらずといえども遠からずの噂だった。

 乃木中将の台湾統治に対する見解は、次のようなものだった。

 「台湾の治績をあげるには、大いに官吏を精選してよいものを集めなければいけない。しかも日本から派遣する人員をできるだけ少なくして、小遣いとか給仕とか、下級官吏はなるべく台湾人を登用すべきである」

 「台湾に来ている日本の官吏は手当てが良いから贅沢をしているが、彼らの行動を見ると、台湾に赴任してきているのは贅沢をしたいためであって、本気で台湾のためになろうとか、骨を埋めるつもりで来ている者がない」

 「腰掛のつもりできているのだから真剣でない。したがって台湾の人民に対しても親切な情けを持っていない。こんなことでどうして新領土の民心を治めることができよう。粗末な大和魂なら台湾人の利欲心にも及ばない」。

 乃木中将は、当然この秘密会議で桂大臣に対して自分のこの考えを表明したであろうし、桂大臣の政治的な意見について乃木中将は耳を貸さなかったに違いない。そうした意見の衝突から休職が発令されたのであろうが、あるいは乃木中将の方から腹を立てて辞めさせてくれと言い出したのかも知れない。

 乃木中将が台湾総督を追われたので、児玉源太郎中将が責任を負って新総督として就任した。当時、児玉中将は第三師団長だった。児玉中将は乃木中将と違って政治的手腕もあり、智謀者であったから、曾根長官なんかに一服盛られるような下手なことはしなかった。彼は台湾総督に就任すると、すぐに曾根長官の首を切った。

 そして、後任長官に後藤新平(ごとう・しんぺい・岩手・福島洋学校・須賀川医学校・愛知県医学校勤務医・同学校長兼病院長・内務省衛生局・ドイツ留学・医学博士・内務省衛生局長・相馬事件で収監・臨時陸軍検疫部事務長官・台湾総督府民政局長・民政長官・南満州鉄道初代総裁・拓殖大学学長・初代内閣鉄道院総裁・内務大臣・外務大臣・東京市長・内務大臣・東京放送局初代総裁・貴族院勅選議員・勲一等旭日桐花大綬章・伯爵)をもってきた。乃木中将の敵を討ったのである。

 台湾総督を辞任して、休職していた乃木中将は、明治三十一年十月三日、香川県善通寺に新設された第一一師団長として復職した。師団長在任中の明治三十三年、清国に暴動が発生した。義和団事件とも呼ばれているが、北清事変である。

 このとき、乃木中将の第一一師団隷下の丸亀連隊からも杉浦少佐の指揮する第三大隊が派遣され、第五師団長・山口素臣(やまぐち・もとおみ)中将(山口・大阪陸軍教導団・二五歳で陸軍軍曹となりすぐに陸軍少尉・中尉・大尉に昇進・二十七歳で陸軍少佐・歩兵第七連隊長・三十五歳で大佐・東京鎮台参謀長・近衛参謀長・少将・歩兵第一〇旅団長・歩兵第三旅団長・男爵・中将・第五師団長・北清事変で勲一等旭日大綬章・功二級金鵄勲章・大将・子爵)の隷下に入って参戦した。

 事変が平定して、翌年の明治三十四年、原隊に復帰してから馬蹄銀事件という汚職事件が明るみに出た。第五師団を中心とする出征部隊が、馬蹄銀という清国の銀貨を不法にぶんどって持ち帰ったという事件だった。

 だんだんと取り調べが進んでいくうちに丸亀連隊も多少やっていたらしいという噂が流れだした。潔癖な乃木中将は、師団長としてそう聞いて黙ってはおられなかった。早速、自ら出向いて丸亀連隊を徹底的に調査した。すると、ある古寺の床下に埋められてあった馬蹄銀六万両が発見された。

 乃木中将は「かような不名誉なことを部下がしでかしたのは、師団長として自分の指導に欠陥があったからである。陛下に対し奉っても、国民に対しても申し訳がないから辞職する」と言い出した。