「片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧」(芙蓉書房)によると、昭和5年8月、片倉衷大尉は、歩兵第二十七連隊の中隊長より関東軍幕僚付に転補された。
まだ参謀ではなく見習いだった。昭和6年9月18日に勃発した満州事変が勃発。昭和6年10月、片倉大尉は正式に参謀に補任された。
当時、関東軍の高級参謀・板垣征四郎大佐と参謀・石原莞爾中佐が片倉大尉の上司だった。
だが、片倉大尉は板垣大佐からは一度も叱られたことはなかった。片倉大尉の我侭もよく聞いてくれた。
一方、石原中佐とは職務上のことで度々激論を交えていた。チチハルの問題で、石原中佐は片倉大尉の処置が気に入らず、怒って電話をかけてきた。
片倉大尉は石原中佐の部屋にとんでゆき、反論を闘わせた。最後に石原中佐が立ち上がって「何だ、この野郎!」と片倉大尉を殴打せんとした。
片倉大尉も石原中佐の胸を掴み、「それなら参謀長の前で決着をつけよう」ということになったが、作戦室にいた中野。武田両参謀が仲に割って入り、事なきを得た。
まだ参謀ではなく見習いだった。昭和6年9月18日に勃発した満州事変が勃発。昭和6年10月、片倉大尉は正式に参謀に補任された。
当時、関東軍の高級参謀・板垣征四郎大佐と参謀・石原莞爾中佐が片倉大尉の上司だった。
だが、片倉大尉は板垣大佐からは一度も叱られたことはなかった。片倉大尉の我侭もよく聞いてくれた。
一方、石原中佐とは職務上のことで度々激論を交えていた。チチハルの問題で、石原中佐は片倉大尉の処置が気に入らず、怒って電話をかけてきた。
片倉大尉は石原中佐の部屋にとんでゆき、反論を闘わせた。最後に石原中佐が立ち上がって「何だ、この野郎!」と片倉大尉を殴打せんとした。
片倉大尉も石原中佐の胸を掴み、「それなら参謀長の前で決着をつけよう」ということになったが、作戦室にいた中野。武田両参謀が仲に割って入り、事なきを得た。