市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

群馬高専アカハラ・寮生連続死問題を追う…西尾典眞前校長の文科省からの定年退職を確認!今振返るその足跡

2018-05-10 23:13:00 | 群馬高専アカハラ問題
■群馬高専にありとあらゆる災禍を撒き散らしたあげく、何のけじめも後始末も付けず、メチャクチャになった群馬高専だけを残して17年3月末に出元の文部科学省に逃げ帰り、定年退職での逃げ切りを待つのみとなっていた西尾典眞前校長。彼が今年(2018年)の3月末に定年退職することが確実だと調査によって判明していたことから、それを確認するために当会では昨年度末の定年退職者名簿の開示請求を文科省に提出していました。経緯は次のブログをご覧ください。
○2018年4月22日:群馬高専アカハラ・寮生連続死問題を追う…文科省へ昨年度末定年退職者に関する情報開示請求
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2616.html

 そして、このほど開示通知があったため、5月9日に文科省に出向いて開示を受けてきました。

平成30年3月31日発令分の文科省退職者名簿。上から6つ目に西尾典眞の名前が見える。なお、「報道発表」とあるが、実際にこの資料そのものがメディア報道されたり、WEB上で公開されたりしている訳ではなく、一般市民にとっては入手にひと手間かかるのが実態。

 冒頭の開示請求ののち、開示通知を待っていたところ、連休明けの5月8日に当会事務局に文科省人事課から電話があり、「定年退職者の一覧表が公開されたので開示請求なしで提供できる。都合のよいときに、文部科学省2階の情報開示コーナーまで受領しにきてほしい。なお、担当者に事前連絡をくれれば、前もって準備しておく」との連絡が入ったため、翌5月9日に文科省まで受領しに行くことにしました。

 当日は事前に人事部担当の水口氏(電話03-6734-2132)に電話をしておき、12時半ごろ文科省本部を訪れる旨告げたところ、生憎別件で対応できないが同僚に必要な資料を準備して渡しておくので、2階の受付でその旨告げてほしいと言われました。

 東京駅から丸の内線に乗り換えて霞が関で降り、肌寒いほどに小雨のぱらつく中、外務省前を歩いていると、あたりの電柱に日本の日章旗と韓国の太極旗、そして中国の五星紅旗がくっついて寒空にはためいていました。外務省と財務省の間の交差点にはバリケードが引かれ、1台1台検問していました。あとでわかったのですが、ちょうど日中韓首脳会談がこの日開催されていたためでした。

 幸い、検問の警察官らからは目もくれられず、財務省の前を通って文科省本館の2階にちょうど1時半に到着し、手続きをして、奥の相談室で開示を受けました。



■そして、受け取った平成29年度末退職者一覧表は以下のとおりです。

*****H29年度末文科省退職者一覧*****PDF⇒ 20180509_monkasho_h30.3.31_haturei_jinjiidou_houdouhappyou.pdf
                         平成30年3月31日
             人事異動
平成30年3月31日発令

定年退職  (大臣官房付)  甲 野 正 道

定年退職  (大臣官房付)  黒 木 慎 一

定年退職  (初等中等教育局主任教科書調査官)  青 山 孝

定年退職  (初等中等教育局主任教科書調査官)  村 瀬 信 一

定年退職  (高等教育局高等教育企画課国際戦略分析官)  田 浦 宏 己

定年退職  (高等教育局国立大学法人支援課国立大学運営調査分析官)  西 尾 典 眞

定年退職  (大臣官房総務課専門官)  松 原 利 生

定年退職  (大臣官房文教施設企画部参事官付専門官)  大 西 功 容

定年退職  (高等教育局高等教育企画課大学情報分析官)  錦 戸 健 二

定年退職  (研究振興局基礎研究振興課課長補佐)  小 河 千 代 美

(当会注:以下省略)
**********

 こうして、西尾前校長が完全リタイアし、膨大な満額の退職金と共に、全ての責任から逃れてどこかへ消えていったことが完全に確認されました。

■さて、ここであらためて、これまでの西尾典眞前校長の所業と当会の動きについて振り返ってみましょう。

 2013年4月、西尾典眞氏は同じく天下り校長の竹本元校長からその位を譲られる形で、群馬高専の校長に就任しました。

 かねてよりアカハラ癖のあった群馬高専電子情報工学科教授の雑賀洋平氏ですが、とくに2014年4月以降きわめてアカハラが苛烈になり、部下や学生に対して暴言・脅迫・人格否定を繰り返し、部下の教員らには解雇をちらつかせた脅迫を連発し、過重労働を強いるパワハラを行い、さらには女子学生に対しセクハラ的言動までもを行うという文字通り人間として最低の行為を行いました。当該アカハラの内容の詳細については、以下のリンクに関係者が告発した文書が掲載されています。
https://matome.naver.jp/odai/2146812087631891701
【2021/09/12追記:上記に掲載していたリンクはサービス終了で閲覧不可になってしまったため、今後は以下のURLにてご確認ください↓】
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/3361.html
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/3362.html
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/3363.html

 当然、このアカハラに関しては群馬高専の学生相談室に「何とかしてほしい」という助けを求める矢のような悲鳴が殺到しました。学生相談室には「カウンセリング」をする以外で何の権限もないため、14年11月に学生相談室長が「自殺者発生のリスクがある」と西尾前校長に上申し対処を求めたのを筆頭に、幾多もの助けを求める声が西尾前校長に寄せられましたが、彼はその全てを一蹴しました。

 2012年3月に公表された群馬高専における別のアカハラ事件(解決済)を受けて竹本元校長が整備したアカハラ防止策は、西尾前校長一人の前に崩壊させられ、何の役にも立ちませんでした。結果として、多数の学生が心神を耗弱させられ、不登校や研究遂行不能に追い込まれました。進学を台無しにされた学生もいました。アカハラを受けた教員も精神科への通院を余儀なくされ、辞職に追い込まれました。

 この惨憺たる事態に関し、14年12月24日には被害教員が、ついで15年2月25日には被害学生13名が連名で、雑賀氏によるアカハラの実態とそれへの対処を、文書とともに西尾前校長に直訴しました。この勇気を極限まで振り絞った告発にすら、西尾前校長はぞんざい極まりない対応をしました。まず「アカハラなど無い」と言い放って決定事項にし、雑賀氏には「アカハラ“と受け取られるような”言動はやめようね」と茶番劇のような「注意」を行って全てを終わらせてしまったのです。

 結局、被害者へは補償はおろか謝罪すらも行われず、加害者の雑賀教授へは何ら処分がなされず、学内外への公表も行われることはありませんでした。「調査」も、被害者にろくに聞き取りを行わないなどずさん極まりないものであったようです。極め付けには、西尾前校長はこの件に関して文書や録音など証拠になるものを残したがらず、保身に関しては極めて狡猾かつ卑劣な対応を行いました。

■そして、並行して群馬高専で発生したもうひとつの重大事件が、寮生連続不審死事件です。

 2014年1月に物質工学科所属の4年生が群馬高専南寮の自室で首を吊って自殺しました。ついで2015年6月には電子情報工学科所属の4年生が、テスト期間中に寮から出た後行方が分からなくなり、2か月後の同8月に利根川で水死体になって発見されました。さらに2016年1月には、同じく電子情報工学科所属の4年生の寮生が、授業間の休憩時間に学校を抜け出して行方不明になり、2日後に高崎市の山中で首を吊って自殺した状態で見つかりました。この事件に関しては、当会の第3回公開質問状、および群馬高専から開示された事件態様の報告書である程度詳細を知ることができます。
○2016年7月8日:【速報】アカハラと寮生連続死亡事件に揺れる群馬高専に3度目の公開質問状を提出
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2061.html
○2016年8月5日:アカハラと寮生死亡に揺れる群馬高専・・・寮生連続不審死関連でオンブズに8.2開示された文書(その1)
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2096.html
○2016年8月5日:アカハラと寮生死亡に揺れる群馬高専・・・寮生連続不審死関連でオンブズに8.2開示された文書(その2)
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2097.html

 たった2年の間に、150人未満しかいない寮生の中からこれだけの不審死者が、しかもすべてがことごとく理由・原因不明という異常事態が起きてしまったのです。この件で西尾前校長がとった対応は、徹底的な原因究明とはほど遠いものでした。

 まず、事件直後の憔悴しきった遺族が「少しそっとしておいてほしい」というのを「ご遺族の意向」という錦の御旗にして、事件を外部に対して公表しないどころか内部にすら極力情報の隠蔽を行い、当の自らが役立たずと証明した「学生相談室でのメンタルケア」にすべての後処理を押し付けて、何もかもをなかったことにしようとしたのです。

 これだけ不審死者が連発したということは、当然、学内が恐ろしく腐敗してしまい、ハラスメントやいじめに加えて、学生を追い詰めるようなシステムが構築されてしまっているということですが、しかし西尾前校長は、全学生にハラスメントやいじめ、その他ストレスを与えるものについて匿名アンケートを行うなどして真摯に問おうともしませんでした。

 ただ不審死者の周りのごく一部の関係者に軽く話を聞くのみで、あとは「原因不明」ということで放り投げて忘却の彼方に追いやってしまったのです。3人が命を捨ててまで何かを伝えようとしていたにも関わらず、人間性のカケラもない西尾前校長はただ保身のみを考え、全てを水洗トイレに流すように消し去ってしまったのです。

■さらに、当会への対応も悪辣極まりないものでした。

 2015年4月に、関係者からの告発を受けた当会がはじめて提出した質問状に対して、西尾前校長が返した回答は「プライバシーのため一切回答しない」の1文でした。以降、西尾校長時代の群馬高専には計4回公開質問状を提出していますが、マトモな回答が返ってきたことは、ただの1度もありません。

 さらに、2015年6月にはアカハラに関する文書の開示請求を行いましたが、翌月届いた回答は、文書の存在すら回答しない「存否応答拒否」でした。その後、総務省(当時内閣府)の審査会に異議申立をして、9か月をかけて群馬高専の処分が不当であるという答申が出されましたが、西尾前校長は存否応答拒否だけを引っ込めて再度全文書を不開示としました。

 これに対して当会は提訴し、地裁で部分勝訴し、これに群馬高専が控訴し、現在、高裁が判決を出すに至っている状況にあるのはこれまで当ブログにてご報告のとおりです。最初の文書開示請求から3年も経って、文書は1枚たりとも開示されていません。

 特に大きな動きがあったのは、上述の2016年8月7日の第3回公開質問状提出の時です。この日には、西尾前校長に直接会って、アカハラと寮生連続不審死についての公開質問状を提出するべく、アポイントメントを取り、マスコミや後援会会長にも協力を要請していました。

 さらに、アカハラ・寮生連続不審死事件に関して不満を持つ内部学生らも当会の活動に強い関心を示してくださいました。しかし西尾前校長は、訪問日の前日になって、当会とマスコミに対して面談の中止を一方的に言い渡してきたのです。とはいえ、西尾前校長がいないというだけで、当会としてはあらかじめ校長に準ずる責任者を用意するよう要請してあったうえに、群馬高専訪問と公開質問状提出には何ら問題がないので、当会は7月8日に群馬高専を訪問しました。

 このとき、大変なことが起きました。西尾前校長が「オンブズマンに協力した場合、進学と就職を台無しにする」という旨の文書を全クラスに掲示したのです。さらに、より強い内容の脅迫文書が寮にも貼られました。折からインターネット上で本事件に関する関心が高まっていた中で、この掲示は完全に火に油を注ぐ格好となり、群馬高専はいわゆる「大炎上」を起こすことになりました。そして、報道もされました。
https://nikkan-spa.jp/1153610

 肝心の群馬高専訪問については、こうして学生らの不満と関心が高まっていたこともあり、学生ロビーでは100人近い学生に出迎えられました。そして、学生の方々から直接、口々に温かい声援と拍手をいただくことができました。応対したのは、2018年現在も現役の櫻井総務課長と、理不尽にもこの件で西尾前校長や機構の槍玉にあげられて飛ばされたのか、その年の9月に群馬大へ異動していった六本木課長補佐でした。

 しかし、このような状況で提出された第3回公開質問状に対してですら、返ってきたのは「プライバシー」を理由に一切の回答を拒否するという内容のFAXでした。

■さらに事件は続くもので、群馬高専物質工学科において、おもに竹本元校長時代に教授ら3名によるアカデミックハラスメントが発生しており、さらにそれを竹本元校長が握りつぶしていたという情報が当会に寄せられたため、16年12月に第4回公開質問状を群馬高専に提出してその実態を確かめることにしました。

 しかし、群馬高専側が本事件について認知していないということで、「調査中」として回答が拒否されてしまいました。その後も何度も質問状の回答について督促しましたが、3月下旬になっても「調査中」と返すばかりで、西尾前校長は最後まで説明責任を果たそうとしませんでした。なお、のちの当会の調べで、「調査」は1月のうちにおおむね終了していたという情報が入っています。

 そして、その年の5月に改めて山崎新校長に対して回答を督促したところ、ようやく6月に説明がなされました。しかしそれは、西尾前校長下の群馬高専が行った「調査」の結果を朗読するだけのもので、回答は「アカハラの事実関係はない」というものでした。結局のところ、西尾前校長は最後まで、何も変わらなかったということになります。

■そうこうしているうちに、2017年3月末、突如として西尾前校長は校長の職を辞しました。後任には山崎誠・現校長が就きました。この校長交代劇に関しては、当会として遺憾ながらほとんど事前に情報を入手しておらず、4月に入ってからようやく事が起きたことを認識しました。
○2017年4月4日:【緊急速報】群馬高専の西尾校長がアカハラ事件の責任を取らずに3月末で去り、山崎誠・新校長着任!
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2280.html

 高専プロパーであり、前職の長岡高専では「教育改革」を担当していたこともあって、山崎新校長がこの群馬高専の閉塞感を吹き飛ばしてくれるのではないか、と当会では望みを抱いていました。しかし、西尾典眞という男と高専機構がそんなに甘い訳もなく、すぐに山崎誠という男が西尾前校長と機構の息をふんだんに浴びて教育者としての矜持を捨て去っていたことを痛感することになります。

 さらには、華々しく就任した山崎現校長の陰で、猿田智男が、高専機構からの目付け役としてひっそりと、校長に次ぐ権力者である事務部長の座に就いていたのでした。
○2018年4月1日:【群馬高専アカハラ・不審死問題】隣県長野からの情報①…高専機構からの目付け役?猿田事務部長の正体
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2602.html

■こうして新体制となった群馬高専は、当会の面談要請にこそ応じたものの、情報隠蔽姿勢は西尾前校長時代よりいっそう悪辣となりました。質問ははぐらかし、あるいは論点をすり替え、訴訟は大金を投入して控訴をしてまでも徹底的に継続し、当会からの情報開示請求はまるでパブロフの犬のように全面不開示としてきたのです。

 西尾前校長と群馬高専新幹部らの思惑はどこにあるのか?……このことについて当会では多方面から調査を行い、そして今年2018年の2月にようやく真相の一端に辿り着くことができました。西尾前校長の生年月日は1957年8月3日で、2018年3月末をもって満60歳、つまり文科省における定年であるという事実です。
○2018年2月20日:アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…国立国会図書館での職員名鑑閲覧で見えてきた西尾前校長の作戦
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2566.html

 つまり西尾前校長の作戦は、追及に晒され続ける群馬高専を脱出し、そして「おバカなノンキャリ組の犬」に後処理を押し付けて心血を注いだ決死の時間稼ぎをさせ、万が一にも火の粉が飛ばないうちに文科省も定年退職してしまい、退職金を満額獲得して一切の責任から逃れてしまおうということだったのです。

■そして、今回ご報告した通り、西尾前校長の文科省退職が確認されました。残念ながら、当会ではこの西尾前校長と群馬高専現幹部らの極めて姑息な作戦を阻止することができませんでした。無力を痛感するばかりであるとともに、人間とはかくも浅ましくなれるものか、と考えるばかりです。

 これほどの悪行を積み重ね、関係者の人生もズタズタにしてきた人物への追及が、こうして極めて難しくなってしまったことは、本事件に関するひとつのターニングポイントであると言えるのかもしれません。

 しかし、西尾前校長が舞台から退場したとして、群馬高専も、関係者らの人生も、諸事件があったという事実も、ずっと続いていきます。アカハラの被害者は痛めつけられたまま、アカハラの加害者である雑賀教授は何の責任も取らずのうのうと過ごし、死者はもちろん生き返ることもなく、群馬高専は何の説明責任も果たさず体質は何も変わらないままである以上、事件の本質に、そして当会が追及を行っていくべきことに何ら変わりはありません。

■群馬高専が本当に後腐れなく禊を済ませ、そして高専のシステムの歪みが2度と厄災をもたらすことが無くなるその日まで、当会は歩みを止めないと決意を再確認している次第です。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】

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