ノーベル賞続々、京大はなぜ強い? 歩みはのろいけど…
後藤一也
2018年10月3日13時13分
ノーベル賞受賞の知らせを受け、笑顔で喜びを語る京大の本庶佑特別教授=2018年10月1日午後7時44分、京都市左京区、佐藤慈子撮影
京都大の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76)のノーベル医学生理学賞受賞が決まり、日本の自然科学系3賞の受賞者23人のうち、京大ゆかりの人は10人になる。自由な学風のもと、「おもろい」を追究し続けた結果。そんな見方をする研究者もいる。
帰りの湘南電車の中で思いついた大発見 本庶佑さん
日本初のノーベル賞受賞者は「中間子論」を発表した湯川秀樹氏。京大理学部教授だった1949年のことだ。以降自然科学系の3賞では、理学部卒の朝永(ともなが)振一郎氏が65年の物理学賞、工学部卒の福井謙一氏が81年の化学賞と続いた。体のさまざまな組織の細胞に変化できる「iPS細胞」をつくった同大iPS細胞研究所の山中伸弥所長は、2012年に医学生理学賞を受賞した。
23人を卒業大学(学部)でみると、京大が7人で最も多く、東京大5人、名古屋大3人と続く。山中さんは神戸大だ。
京大には創立以来、「自由」の学風がある。歌人でもある細胞生物学者の永田和宏京大名誉教授(71)は「『おもろいことをやろうや』。これが許されている。私も流行は追わなかった。仕事の歩みはのろいけど、オリジナリティーを出そうとした」。
本庶さんの受賞につながった分子も、もともとは別の研究の過程で見つけた。しかし、「免疫で面白そうなものが取れてきた」と、それが何かを突き止めるまで研究を続け、新たながん治療薬の開発につながった。
世界をリードする研究者はまだいる。京大理学部の森和俊教授(60)は、細胞内で不良品のたんぱく質を修復する仕組みを解き明かした。ノーベル賞の登竜門ともいわれる数々の国際賞を受賞している。京大ゆかりの研究者からまだまだ目が離せない。(後藤一也)