京都・「災害支援ナース」堀教授ら被災地語る 「今、何が必要か」
2011年4月13日 提供:毎日新聞社
東日本大震災:「災害支援ナース」堀教授ら被災地語る 「今、何が必要か」 /京都
◇「温かいお茶飲みたい」「風呂入りたい」
東日本大震災に「災害支援ナース」として派遣された京都橘大看護学部の堀妙子教授(46)と上山晃太朗助手(30)が帰京し、被災地の様子を語った。2人は「看護師として、相手が被災者であっても患者であっても、『今、彼らが何を必要としているのか』を考え続ける事は変わらないと実感した。その事を学生に伝えたい」と話した。【広瀬登】
府看護協会からの要請を受け、堀教授は3月26~29日、上山助手は同25~28日、それぞれ宮城県の石巻市立釜小と南三陸町立志津川小へ派遣された。堀教授によると、釜小への避難者は約300人。電気や水道などライフラインはすべてストップしていた。特にトイレが詰まっているため使えず、段ボールで作られた簡易トイレでしのいでいたという。泥で真っ黒の手をしている被災者もおり、堀教授は感染症防止のため、やかんに入れたお湯で一人一人の手を洗う活動も行った。
校庭の木につかまり津波から助かった小学生もいたといい、堀教授は「友達が亡くなっている中、今後、(生き残った生徒たちは)どのように体験を消化していくのだろうか」と心配顔。水も燃料も足りず、「『温かいお茶が飲みたい』『風呂に入りたい』と訴える声があった」と振り返った。
一方、上山助手が活動した志津川小には約500人が滞在。灯油の配給もあり、水は毎朝、プールからバケツリレーで運んだという。上山助手は避難所の診療所で、昼は医師の補助、夜は被災者のおむつを替えたりトイレの介助をしたりした。
医師や看護師らも被災しており、お互いに体験を話す機会もあった。上山助手は「高齢者を車で避難させている時に津波に流されたという女性ヘルパーがいた。彼女は車と車の間に必死にしがみついて助かったが、少しの揺れでも動悸(どうき)がして、居ても立ってもいられないようだった」と話した。
2011年4月13日 提供:毎日新聞社
東日本大震災:「災害支援ナース」堀教授ら被災地語る 「今、何が必要か」 /京都
◇「温かいお茶飲みたい」「風呂入りたい」
東日本大震災に「災害支援ナース」として派遣された京都橘大看護学部の堀妙子教授(46)と上山晃太朗助手(30)が帰京し、被災地の様子を語った。2人は「看護師として、相手が被災者であっても患者であっても、『今、彼らが何を必要としているのか』を考え続ける事は変わらないと実感した。その事を学生に伝えたい」と話した。【広瀬登】
府看護協会からの要請を受け、堀教授は3月26~29日、上山助手は同25~28日、それぞれ宮城県の石巻市立釜小と南三陸町立志津川小へ派遣された。堀教授によると、釜小への避難者は約300人。電気や水道などライフラインはすべてストップしていた。特にトイレが詰まっているため使えず、段ボールで作られた簡易トイレでしのいでいたという。泥で真っ黒の手をしている被災者もおり、堀教授は感染症防止のため、やかんに入れたお湯で一人一人の手を洗う活動も行った。
校庭の木につかまり津波から助かった小学生もいたといい、堀教授は「友達が亡くなっている中、今後、(生き残った生徒たちは)どのように体験を消化していくのだろうか」と心配顔。水も燃料も足りず、「『温かいお茶が飲みたい』『風呂に入りたい』と訴える声があった」と振り返った。
一方、上山助手が活動した志津川小には約500人が滞在。灯油の配給もあり、水は毎朝、プールからバケツリレーで運んだという。上山助手は避難所の診療所で、昼は医師の補助、夜は被災者のおむつを替えたりトイレの介助をしたりした。
医師や看護師らも被災しており、お互いに体験を話す機会もあった。上山助手は「高齢者を車で避難させている時に津波に流されたという女性ヘルパーがいた。彼女は車と車の間に必死にしがみついて助かったが、少しの揺れでも動悸(どうき)がして、居ても立ってもいられないようだった」と話した。