1963(S38)年11月9日、三川坑炭塵爆発から今年は何年目となるのでしょうか?
今年の11月3日は、世界遺産ともなった炭鉱関連遺産が一斉公開されました。
同日には、大牟田近代化遺産・三川坑も一般公開され、見学ができました。
三川坑は炭塵爆発後長らく荒れるままになっていましたが、炭鉱を愛する市民の活動によって保存維持活用が提案され、行政も一緒になった取り組みがされてきました。最近では市民のたくさんの寄付によって、炭坑電車・機関車保存展示もされています。寄付をされた方の名前がレールの枕木にプレートとなって標示されています。そのプレートを一目見ようと、訪問された方も多いようでした。
三川坑の中に入ると、爆発の跡はほとんどわかりませんが、その日を覚えている市民も多く、「あの日、すごーく大きな音がしたのでなんだろうか?事故じゃないといいがと思いながら外を見ると、三川のほうからモクモクと黒い煙が出ていて、~~」「こりゃー大変なこつになったと思った~」等のお話を聞きました。
三川坑は、坑口が補修工事中のようでしたが、他の関連施設はさびて、崩れて、壊れつつありました。
玄関口で頂いた資料によりますと、5年前には三川坑の保存活用基本構想ができ活動が進められ、平成27年度に策定された「三川坑跡保存活用計画」により今後の整備が進められるそうです。
三川坑跡施設案合図 炭鉱坑内に入る電車(露天展示) 職員浴場外観 内部(荒れ放題
今年の11月3日は、世界遺産ともなった炭鉱関連遺産が一斉公開されました。
同日には、大牟田近代化遺産・三川坑も一般公開され、見学ができました。
三川坑は炭塵爆発後長らく荒れるままになっていましたが、炭鉱を愛する市民の活動によって保存維持活用が提案され、行政も一緒になった取り組みがされてきました。最近では市民のたくさんの寄付によって、炭坑電車・機関車保存展示もされています。寄付をされた方の名前がレールの枕木にプレートとなって標示されています。そのプレートを一目見ようと、訪問された方も多いようでした。
三川坑の中に入ると、爆発の跡はほとんどわかりませんが、その日を覚えている市民も多く、「あの日、すごーく大きな音がしたのでなんだろうか?事故じゃないといいがと思いながら外を見ると、三川のほうからモクモクと黒い煙が出ていて、~~」「こりゃー大変なこつになったと思った~」等のお話を聞きました。
三川坑は、坑口が補修工事中のようでしたが、他の関連施設はさびて、崩れて、壊れつつありました。
玄関口で頂いた資料によりますと、5年前には三川坑の保存活用基本構想ができ活動が進められ、平成27年度に策定された「三川坑跡保存活用計画」により今後の整備が進められるそうです。
三川坑跡施設案合図 炭鉱坑内に入る電車(露天展示) 職員浴場外観 内部(荒れ放題