「福岡県柳川市出身の詩人北原白秋(1885〜1942)が神奈川県小田原市の自宅で1923年、関東大震災(9月1日)に被災した様子を克明に記した直筆原稿24枚が、震災から100年を迎えるのに合わせて、柳川市の北原白秋生家・記念館で(8月)25日から初公開され」てるそうです。
「小田原は震源に近く被害が甚大だった地域。階段から転落し頭を負傷したことなどが生々しく描かれ、震災の記憶を次代へ伝える貴重な展示になりそうだ」と紹介されています。〜今日は関東大震災の100年目なんですね。原稿24枚とはすごいです。どういった内容でしょうか?
「原稿は〈その時、(九月一日午前十一時五十八分)私は二階の書斎にゐた〉の書き出しで始まる。白秋は当時1歳の長男を案じ、大揺れの中、1階に下りようとし階段から転落。妻子は無事で、近くの竹林に一緒に命からがら逃げ込んだ。そこでようやく頭に痛みを覚え出血に気付き、〈これはほとんど一瞬間の出来事であった〉と記」されているそうです。「続いて近くの寺や地蔵堂、山門がつぶれ、自宅洋館は全体が土台1尺5寸(45センチ)ずれた」そうです。「空が真っ赤に染まり、〈ごうと云う地獄の風の音がきこえて来る〉と小田原の町の猛火を表」されているそうです。「夕方になると、東京から白秋に本の見本を届けに来る途中、震災に遭った編集者がたどり着く。凄惨(せいさん)な市街地の様子を報告された白秋は『(君も私も命があったのは)天佑(てんゆう)だよ』と語り、〈竹林生活の第一夜が私たちに迫って来た〉と文章を締めくくっている」そうです。〜大震災の第1日目の事なんですね。
関東大震災では被災地救済・復興や耐震性の建築、町づくりのほか、地震予知、地震が起こるメカニズム、相模トラフの探求など問題になりました。そしてデマに始まった朝鮮人虐殺は未だその実態は明らかになっていません。1974年から墨田区の公園で朝鮮人被害者追悼式を日朝協会などが開かれていて、歴代の都知事が追悼文を送っているそうです。ところが小池知事は17年以降送られていないそうです。
大震災語の大混乱の中、もしかしたら、白秋もなにか書いているかな?と思いましたが、、、
(下:2023年8月25日 西日本新聞−鶴丸哲雄「関東大震災 白秋の記録 ごうと云ふ 地獄の風の音が・・・ 逃げ込んだ竹林で執筆? 柳川の生家・記念館 きょう初公開」より)
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