大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

【徴用犠牲者慰霊碑】前で、3者の慰霊祭

2022年10月06日 05時23分37秒 | 日記

 「秋晴れの(9月)25日、大牟田市北部の丘陵地にある甘木公園。戦時中に三井三池炭鉱の関連企業3社で労働に従事し、死亡した朝鮮半島出身者の慰霊祭が今年も営まれた。【徴用犠牲者慰霊碑】と彫られた御影石(高さ約4・3メートル)に向かい、関好孝・大牟田市長や在福岡韓国総領事館関係者らが祈りをささげ」られたそうです。〜慰霊碑はどなたがどういう経過で建てられたのでしょうか?
 「約50平方メートルの敷地は市が無償で貸与し、三井系企業3社が建設費の全額を負担、1995年の建立以来続く慰霊祭は市民団体が関わり続ける。『3者一体』の取り組みは全国でも珍しい」とのことです。
 「建立の中心となった禹判根(ウバングン、『在日コリア大牟田代表』)さんは韓国・巨済(コジェ)市で生まれ、42年に海峡を渡った。大牟田には20歳の頃に移住」されたそうです。「徴用で来日したとみられる男性がこの地で去った友人を泣いて悼む姿に衝撃を受け」、「土木会社経営の合間を縫って、大牟田に暮らす元徴用工の証言や名簿を集める中で、慰霊碑建立を思い立った」とのことです。「89年に在日本大韓民国国民団の支団長に就任し、『在日コリア大牟田』を立ち上げ」られたそうです。その後、「市有地の無償貸与の流れは早々と固まったが、企業3社との交渉は難航」、「月1回ペースで開かれる交渉が4年目に入ったある日。担当者の対応が明らかに変わった」そうです。〜どうしてでしょうか?
 「金銭的な補償ではなく、一貫して慰霊をしたいと訴える姿勢が評価された」様です。「それからはむしろ味方となって、東京の本社と折衝してくれた」そうです。「数カ月後、企業3社は建立碑の支出を決定。この時、涙にむせぶ禹さんに企業関係者がかけた言葉」、「『おかげで私たちも企業としての責任が果たせた』」が「忘れられない」と話されています。
 「建立から四半世紀が経過した今も、一部の企業関係者は式典に足を運ぶ。市民団体には日本人の支援者」も参加され、「在日3世の女性(45)はこの式典を『両国の人たちが一緒に犠牲者を悼む場』と表現」されてるそうです。
 「海峡を挟む隣人、日本と韓国。その両国間の政府レベルでの関係が冷え込む現状に、禹さんは心を痛める。だが一方で」、大牟田で続く慰霊式典に「『腰を据えて信頼を積み重ねれば、きっと解決ができる日が来る』」と話されています。
(下:2022年9月26日 西日本新聞-金田達依「徴用工慰霊『3者』の誓い 行政、企業、市民が『一体』 大牟田の碑『歴史乗り越える』知恵」より)


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