大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

九州観光活性化ファンド 柳川<御花>支援

2017年04月15日 06時07分42秒 | 日記
「九州の観光産業の広域的な活性化を目指して九州の地銀7行などが出資している<九州観光活性化ファンド>が福岡県柳川市の株式会社≪御花≫(立花千月香社長)と、総額5千万円の社債引き受け契約を10日付けで結んだ」「ファンドの発足から1年半を経て、第1号の支援先が、福岡県を代表する老舗観光施設に決まった。」「ファンド側は、歴史的建造物を備えた≪御花≫の宿泊部門へのてこ入れが柳川の観光産業全体を<通過型>から<滞在型>に移行させるのに役立つと判断し社債購入を決めたという。約5年後に≪御花≫が社債を一括償還する。」「立花社長は『文化施設と宿泊施設の一体的な改修で、生まれ変わった≪御花≫をより多くの方に見せたい』と話」されています。
(下:2017年4月11日西日本新聞・鶴丸哲雄「九州観光活性化ファンド 柳川≪御花≫支援1号 宿泊部門をてこ入れへ」より)


博多人形師育成塾 受講生募集!

2017年04月14日 05時37分52秒 | 日記
「博多人形商工業協同組合は、ベテラン人形師の指導で人形作りの基本を学べる<博多人形師育成塾>の受講生を募集している。育成塾は未来のプロ人形師を育てるのが目的で、同組合と福岡市が主催。」「本年度は6月から来年3月までの毎週水曜日午後6時半から2時間、福岡市博多区博多駅前2丁目の福岡商工会議所で行われる。講師は、同組合副理事長で伝統工芸士の梶原正二氏が務め、博多人形についての座学から、実際に粘土を作った原型づくり、焼成、彩色まで、人形つくりの面白さや大変さを体感できるカリキュラムが組まれている。会社勤めを続けながらでも無理なく通えるペースで<仕事を辞めてまでは>としり込みしている人も気軽に<人形師の世界>に飛び込むことができるという。」
わーいいな~!と思って読み進めましたら、、
「対象年齢は18~45歳で定員15人。」とあって~あれれ、ダメやん!
「受講料 5万円(10か月分、材料費含む)」「今月30日(消印有効)までに写真付き履歴書と応募動機や工芸経験有無を記した文書を〒812-0023、福岡市博多区奈良屋町4-16博多人形商工業協同組合」へ郵送となっています。5月13日には面接が予定されています。同組合☎092-291-4114
(下:2017年4月11日西日本新聞「博多人形師になろう <育成塾>の受講生募集 6月から10カ月 務めながらでもOK」より)



22~23日大牟田二十日えびす開催

2017年04月13日 06時15分28秒 | 日記
恒例の<大牟田二十日えびす>が4月22~23日、大牟田市民交流施設<えるる>横の新栄町アベニューパーキングを会場に開催されます。昨年は、熊本・大分地震で急きょ取りやめとなり、朝早くから準備を済ませていた出店者はがっかりされていましたが~大牟田も結構揺れ、熊本被害の大きさ深刻さには驚かされ、被災地支援もすぐさま取り組まれました。今年は去年の分も合わせて力が入っています。イベントもマグロの解体ショーなど以下のチラシにあるように盛りだくさんです。ぜひお出かけください。23日には新銀座商店街を中心に<新銀座夜市>も行われます。
(下:大牟田商工会議所ニュース<CCINEWS> No697 2017年4月号 P8 より)

熊大生が見た<炭都>

2017年04月12日 05時58分23秒 | 日記
「三池炭鉱が閉山して3月30日で20年を迎えた。炭鉱の歴史を学び、街の将来を考えようと、熊本大学の学生約30人がこの1年、64人の関係者にインタビューした。学生らが聞いた言葉と、撮影した写真を3回にわたって紹介する」という記事が朝日新聞に連載されました。
4月4日号には「炭坑労働を支えた妻」4月5日号には{<負の遺産>語り継ぐ」4月6日号には「にぎわいを戻すには」でした。ここでは「まちづくりのあり方についてインタビュー」された6日号を紹介します。「炭坑ガールズ」が結成されていたとは知りませんでした。
(下:2017年4月6日倉富竜太<三池閉山20年>欄「学生が見た炭都(下)にぎわいを戻すには」より)


捕虜となった父の苦難をたどる旅

2017年04月11日 05時49分41秒 | 日記
 先日のテレビでも報道されましたが、「太平洋戦争中に、福岡市などで過酷な捕虜生活をしいられたオランダ人男性の遺族5人が初来日し、その足跡を」たどられたそうです。来日されたイングりット・ヴァン・デンバーさん(63)のお父さんは「オランダの植民地だったインドネシアで1921年に生まれたポールダニエル・ヴァン・デンバーグさん(故人)。旧日本軍の捕虜になったのは20歳だった42年で、ジャワ島の収容所に入れられた。翌43年に門司港に移送され、福岡市や大牟田市などの収容所を転々とし、終戦後の45年9月に長崎港から帰国」されたことが分かっています。
「大牟田市の収容所では、捕虜は炭鉱で強制労働させられ、満足な食事や薬が与えられず、日本兵から日常的に暴力を受けたことも生存者の証言で明らかになっている。終戦後、オランダに帰国した元捕虜の多くが、日本人への憎しみを語っている」そうで、恐ろしいことです。
「戦時中の捕虜の情報収集をしている市民団体<POW研究会>(東京)が案内役を務め遺族が知らなかった収容所などの情報を提供。遺族たちは県内を巡りながら当時の辛苦に思いをはせ、日本が再び捕虜を生み出す国にならないよう、その歴史を知る重要性も訴えている。」とのことです。
「孫のチェリー・ヴァン・デンバーグさん(38)が、オランダの公文書館で捕虜名や収容所先を書き込んだ文書を見つけ、ネットで<POW研究会>を探し当てた。大戦への興味が深まっていく中で、遺族5人での来日を決めた」そうです。
旅が終わって、「『今と昔の日本人は全く違う。恨む気持ちはない』とチェリーさん」は話されていますが、「一方で『今の日本を生きる若い世代も、暗黒の歴史を知るべきだ』」と話されたそうです。重たい話です。戦前の日本が顔をのぞかせるような風潮~と、言われる今日この頃、、、
(下:2017年3月31日西日本新聞・四宮淳平「元捕虜の父を感じたい。オランダ人遺族収容所跡など巡る『暗黒の歴史知ってほしい』」より)