横浜田舎物語

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お見舞い

2012-07-11 | 家族
東京の蒲田に夫の姉家族がいます。
そう、NHK朝ドラで注目の蒲田ですよ。

その関係で、新婚時代は蒲田で過ごした私たちですが
この姉夫婦にはどれだけお世話になったか、感謝してもしきれないほどです。

特に、やさしくていつも笑顔を絶やさなかった義兄は、家の娘たちも大好きでした。
子供好きな人でしたから、肩車で遊んでもらったり、もちろん抱っこしてもらったり
ずいぶん可愛がってもらいました。

大好きでした、って過去形です。

いい人は早く逝く・・そうこんなやさしかった義兄が突然亡くなったのは27年前
まだ46歳の若さでした

自営業でしたから亡くなった後、義姉は想像を絶する苦労をしました。

その上、義兄の百か日が済むか済まないかのうちに、母親を(私にとっては姑ですが)亡くし
たった3カ月の間に最愛の人を2人も失った義姉、どんな慰めの言葉を並べても
その心に届くことはありませんでした。

それでも生きなくてはいけない・・

けっして強い人ではないと思うけど、あの時の困難を乗り越えて
今は思い出として話せるようになりました。

無責任な弟夫婦は(私たちのことです)
いつでも横浜にいるよ・・って
お墓参りに車を出すことくらいしかできませんけど・・

そんな義姉もこの9月で古稀を迎えます。

もう10年くらい前から膝が痛いと言ってましたが、ここにきて急激に悪化
とうとう人工関節のお世話になることに

も~う、こうなると困るから散々、筋トレしなさい、プールに通いなさいって
言ってたのに・・
意外とがんこもので・・もともとスポーツが好きじゃないからねえ

手術は成功、1週間が過ぎました。

先週行った時は、ベッドの上で少しずつ動かしていましたが
今日はもう、歩行器を支えにさっさと歩いてます。

人工ってそうなのよね。
私みたいに自骨の手術だとそれが固定するまですごく時間がかかるけど
膝も股関節も人工の方はすぐに立つことができます。

今日も「退院したら筋トレだからね、プールにも通って、じゃないともう片方もやるようよ」って
脅しておきましたが

家の夫は実の弟なんですけどね。 

「俺が見舞いに行ったところで何か変化が?」なんてとぼけて行こうとしないのです。

だからって私は・・けっして義務とは思っていません。

だって、義姉は私が大阪で手術って決まった時から、

「行って付いててあげるからね、落ち着くまでいてあげるから」と
真夏の大阪に1週間、ホテルをとって毎日病院に通ってくれたのです。

夫は仕事も忙しかったけど、娘たちに言わせると
「お父さん、怖いのよ」

男なんてそんなものか・・いざという時は女は強いですからね。

いくら時間があるからって、遠い大阪まで来てくれて、手術が終わった時そばにいてくれた
安堵感は一生忘れることはできません。

そんな義姉のところに行くのは当たり前
もっと近ければ毎日でも行ってあげられるのにと思いますが

前述のように、9月には70歳、退院祝いと古稀祝いを兼ねてみんなで1泊しましょう
なんて話が出てました。

こんな時、私はほんとに幸せ者だなと思います。

この義姉しかり、実家の義姉も、どちらも実の姉ではないのに
ほんとによくしてもらってます。
わがままで言いたい放題の弟嫁ですが、なんでも許してもらってる、その分ストレスになってないかな?

だんだん姑に似てきました

それを言うと、否定されますが、いや、親子ですから似てきたっておかしくはないでしょう。
私はなんだか姑に再会したみたいで嬉しいですけど

どうにもならない嫁でしたけど、調子がいいので「まったくこの子は・・」と苦笑いしながら
だらしない私のためにせっせとあちこち磨いてくれていた姑を思い出しました。

どんなにお金があったって、地位があったって、親族から辛く当られたり、
ないがしろにされているという話は多いものです。

私がこういう思いをしなくても済む、というより、信じられないくらいどちらからも
よくしてもらえるのも、私自身の運だと思います。
けっして人徳とかではない

以前娘たちに話したことがあります。

「お父さんと本気で別れようと思った時、おばあちゃんとおばさんの顔が浮かんだのよ
こんなにかわいがってもらってるのに、ここで別れたら、あの人たちと親戚ではなくなっちゃう
そう思ったらや~~めたって思ったの」って

一緒に住んでいるわけじゃないから言えることかもしれません。
もともと他人ですもの、全部が全部合うわけがありません。

姑も義姉も、このわがまま嫁にずいぶん振り回されたことでしょう。

昔私の母が義姉に言ってた言葉がいまだに耳から離れません。

「わがままですみません 生まれたまま大人になってしまって、育て方を間違えました」

はい、60歳をとうに過ぎた今もそれは変わっていないでしょう。

義姉のお見舞いに行って、こんなことをつらつら思ってしまいました。


切り替えまして、

初めて見た都庁舎と周辺のビル群、病院の談話室からです。


 

都庁の32階レストランでランチしたかったけど、高いところは地震が怖くて・・

そんなこと言ってたらスカイツリーになんか上れませんけど・・

病院の前のビルにあった”大戸屋”でランチしました。

     
     

どこにでもある店ですけど、高層ビル街の味はちょっと高級?なわけないわよね
でも安くて、栄養価も考えてるし、
オフィス街で昼休みとっくに終わっているはずなのに、サラリーマンやOLさんがいっぱい
時間ずらしてとってるのかもですね。

今度はがんばって都庁のレストラン行ってみよう だって毎日そこで働いている人だっているんだもの
でも義姉は来週には退院、もう行くこともないかな?

アスファルトとビルの照り返しで暑い東京西新宿でした。

昔は中央公園しかなかったのにねえ・・とにかくすごいわ 超高層・・都会は疲れる~


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