ロンドンオリンピック、体操の内村選手が期待通りの個人総合金メダルで
ようやく溜飲が下がったような、気分のいい朝を迎えられました。
今日は1日この話題で日本中が盛り上がることと思いますが、とにかくやれやれです。
ロンドンオリンピックと聞いて、懐かしい思い出がよみがえってきました。
皆さんに比べたら海外経験の少ない私ですが、なんと初めての海外旅行がイギリス=UKだったのです。
それは18年も前のこと、進路に悩んでいた当時高3の次女、やっと出した結論が
”留学”
我が家のような普通のサラリーマン家庭で、資産もなく、留学なんてと思いましたが
そもそも親の私が昔から憧れていて、自分ができなかったことを娘に託したいとの思いが
後押ししたのかもしれません。
1年という期限付き、その後は大学に進むという計画で1995年4月、桜咲く日本をたった一人で
旅立って行きました
不安が無かったわけではありません。
高校の英語の成績も特別よかったわけでもないし・・・ほとんどなにもしゃべれないまま・・若さなのでしょうか
そのころ、アメリカなどでは日本人の留学生が殺害されるなんてニュースもありました。
そんなことで親としては銃社会のアメリカには行かせたくなかった。
カナダか、オーストラリアか、イギリスか、迷って決めたのがイギリスでした。
少しくらいお金がかかっても安全と安心を優先に、”留学ジャーナル”を出版している会社を通して
その実績を考慮しつつ選んだのが・・
イーストサセックス州のちいさな海沿いの町 ワージングにある語学学校
地図で言うと、海を渡ればフランスという、ロンドンから電車で1時間、ブライトン近くの
本当にのんびりした、次女の性格にあっていそうな街です。
ホームステイ先は独身の女性とワンちゃん1匹
生活習慣の違いに戸惑うことばかりのようでしたが、
世界中から集まった留学生たちとすぐに仲良くなり
楽しいことも見つけたようで安心したものです。
生活習慣でそのころ聞いてびっくりが、娘が食事の後片付けを手伝ったとき
お皿に付いた洗剤を水で洗い流そうとしたら、水は貴重だから使わないで、洗剤が付いたまま
立てかけておけば、そのうち乾いて洗剤はなくなるからって
これは人間も同じで、バスタブから上がったら、かけ湯などなく、
泡が付いたままタオルのガウンを着て乾かすのだそうです。
日本人には考えられないことばかり、
送ってきた写真の中にお風呂のがあったけど、タイルなど水を流せる床ではなく、
なんと絨毯の上にバスタブ
これにはびっくりしたけど、そう言うことだったんですね。
イギリスの洗剤って体にいいもの使ってるのかしら?
娘はアトピーがあるので心配でしたが、後で聞いたら、こっそりお湯を用意して
最後にかけていたと言ってました。
こんなイギリスでなんとか日常の会話がスラスラ?できるようになったらしい1年後
いよいよ帰国の時期となり、その流れでせっかくだからと、単身で娘の待つ初めての異国に乗りこみました。
飛行機に乗るのは3度目、その2年ほど前に初めて行った北海道、そして前年九州に行った時
乗っただけでしたから、今思うとかなりの冒険でした。
ただ、<娘は18歳で誰も知っている人のいないところに行ったんだ それに比べたら・・>って気持ちが
後押ししてくれたことは確かです。
ツアーなら当然やってもらえることも、全部自分でやらなくてはいけません。
そのために、いろんな資料を集めて、かなり勉強しました。
たとえば、飛行機の中で外国人の乗務員に話しかけられた時とか、入国のための書類の書き方とか
審査官に入国の目的を聞かれた時の答え方とか・・
飛行機は”バージンアトランティック”でした。
当時の成田空港にはまだ独自の窓口がなくて、小さな航空会社が共同で使っている1つしかない窓口に
自ら持ってきたオフィスプレートを置き、そこに1列に並ぶという、嘘みたいな受付シーンでした。
旧YCATからバスで成田に向かったため、遅れたら大変と、かなり早く到着してしまった私は
搭乗手続きと出国審査が済むと、安心してつい居眠りを・・・
発着のアナウンスがなんとなく聞こえてはいましたが・・しばらくして気付くと
搭乗開始時刻がとっくに過ぎている
そのうえ、なにを勘違いしていたのか、搭乗口とは正反対のとんでもないところにいたことに気付いて
なんと締め切り5分前に搭乗するというヒヤヒヤものの経験もしました。
なにもかもが初体験、でもこういう時って女神さまが現れるんですね。
私がギリギリ間にあってホッとしていたら、お隣はまだ空席、このまま飛び立つのかと思った離陸寸前
一人の女性が座りました。
こんなおばさんでも(まだ40代だったよ)エコノミーの狭い座席、お隣が女性でホッとしました。
窓側でしたしね。
一応会釈はしました。
その後、何がきっかけか忘れましたけど、お互いにかなり深くまで話ができ
その方はロンドン経由でアイルランドのダブリンに行くとのこと
年に何度も行ったり来たりしていて、あちらに彼が待っているそう
音楽のプロデュースの仕事をしており、アイルランドの歌手を日本に紹介したり
もちろん日本でもある有名グループ関連のお仕事もしていたとか
アイルランドと言ったら、U2やエンヤくらいしか知りませんけど
あちらの歌手を発掘して日本に紹介するみたいなことを言われてました。
著書もあり、後に買いましたけど、アイルランドでの食事を中心としたエッセイでした。
彼女はもう慣れてますから、ワインを頼んだり、ウイスキーを飲んだり
私は・・・とてもじゃないけどそんな気分にはなれず、ひたすらお茶や水ばかり飲んでいたことを
思い出します。
結局、入国の書類も彼女が書いてくれて、外国人の乗務員には通訳してくれて
とても一人旅とは思えない楽しい時間が過ごせたのです。
これでもう、ヒースローに着きさえすれば娘が待っててくれる・・ようやく不安が安堵に
飛行機はほとんど揺れることもなく、無事イギリス上空に来たことを確認できたのは
サッカーの聖地”ウェンブリースタジアム”が見えときでした。
さあ入国手続きです。
お隣の彼女は「私、何度も行ったり来たりしてるから、目をつけられているのよ、だから
出国に時間がかかるかもしれないの 一人で大丈夫ね、お嬢さんが待ってるし」
そう言ってお別れしましたが・・・
私の番が来ました。
すると審査官のおじさま「kankou? gakkou?]って日本語で聞いてきたのです。
「sightseeing」って何度も練習したのに
日本語で「観光です。」小さな声でやっと言えました。
こんなおばさん怪しいなんて思われるわけがないのです。
だって、ピカピカまっさらのパスポート
このいでたち、疑う余地などあるわけがない
こうして無事、イギリスの地に第一歩を記したわけですが・・
肝心の娘がいない
今みたいに携帯があるわけじゃない、連絡しようにもどこにしたらいいのかもわからない
第一、電話のかけ方もわからない・・かかったところでことばがわからない
どうしよう~なんていっているうちになんか見たことがあるけど真っ黒な子が・・
なんとお嬢さん、去年別れた時より1,5倍くらい巨大になっていた
食べられなくて痩せちゃうよりいいけど、ちょっとこれはまずいんじゃない?
1年ぶりに会った娘は、色気とは程遠いますますワイルドになって母親を迎えてくれました。
ここから母娘2人の珍道中が始まるわけですが・・本日はタイムオーバーになりましたのでここまで
このあとヒースローからスコットランドのエディンバラに飛び、ここでいきなりのハプニング
そしてパニック・・・さてどんな展開になるのでしょう
後半はかなりのスピードではしょって書きますので、よかったらまたお立ち寄りください。
ようやく溜飲が下がったような、気分のいい朝を迎えられました。
今日は1日この話題で日本中が盛り上がることと思いますが、とにかくやれやれです。
ロンドンオリンピックと聞いて、懐かしい思い出がよみがえってきました。
皆さんに比べたら海外経験の少ない私ですが、なんと初めての海外旅行がイギリス=UKだったのです。
それは18年も前のこと、進路に悩んでいた当時高3の次女、やっと出した結論が
”留学”
我が家のような普通のサラリーマン家庭で、資産もなく、留学なんてと思いましたが
そもそも親の私が昔から憧れていて、自分ができなかったことを娘に託したいとの思いが
後押ししたのかもしれません。
1年という期限付き、その後は大学に進むという計画で1995年4月、桜咲く日本をたった一人で
旅立って行きました

不安が無かったわけではありません。
高校の英語の成績も特別よかったわけでもないし・・・ほとんどなにもしゃべれないまま・・若さなのでしょうか
そのころ、アメリカなどでは日本人の留学生が殺害されるなんてニュースもありました。
そんなことで親としては銃社会のアメリカには行かせたくなかった。
カナダか、オーストラリアか、イギリスか、迷って決めたのがイギリスでした。
少しくらいお金がかかっても安全と安心を優先に、”留学ジャーナル”を出版している会社を通して
その実績を考慮しつつ選んだのが・・
イーストサセックス州のちいさな海沿いの町 ワージングにある語学学校
地図で言うと、海を渡ればフランスという、ロンドンから電車で1時間、ブライトン近くの
本当にのんびりした、次女の性格にあっていそうな街です。
ホームステイ先は独身の女性とワンちゃん1匹
生活習慣の違いに戸惑うことばかりのようでしたが、
世界中から集まった留学生たちとすぐに仲良くなり
楽しいことも見つけたようで安心したものです。
生活習慣でそのころ聞いてびっくりが、娘が食事の後片付けを手伝ったとき
お皿に付いた洗剤を水で洗い流そうとしたら、水は貴重だから使わないで、洗剤が付いたまま
立てかけておけば、そのうち乾いて洗剤はなくなるからって
これは人間も同じで、バスタブから上がったら、かけ湯などなく、
泡が付いたままタオルのガウンを着て乾かすのだそうです。
日本人には考えられないことばかり、
送ってきた写真の中にお風呂のがあったけど、タイルなど水を流せる床ではなく、
なんと絨毯の上にバスタブ
これにはびっくりしたけど、そう言うことだったんですね。
イギリスの洗剤って体にいいもの使ってるのかしら?
娘はアトピーがあるので心配でしたが、後で聞いたら、こっそりお湯を用意して
最後にかけていたと言ってました。
こんなイギリスでなんとか日常の会話がスラスラ?できるようになったらしい1年後
いよいよ帰国の時期となり、その流れでせっかくだからと、単身で娘の待つ初めての異国に乗りこみました。
飛行機に乗るのは3度目、その2年ほど前に初めて行った北海道、そして前年九州に行った時
乗っただけでしたから、今思うとかなりの冒険でした。
ただ、<娘は18歳で誰も知っている人のいないところに行ったんだ それに比べたら・・>って気持ちが
後押ししてくれたことは確かです。
ツアーなら当然やってもらえることも、全部自分でやらなくてはいけません。
そのために、いろんな資料を集めて、かなり勉強しました。
たとえば、飛行機の中で外国人の乗務員に話しかけられた時とか、入国のための書類の書き方とか
審査官に入国の目的を聞かれた時の答え方とか・・
飛行機は”バージンアトランティック”でした。
当時の成田空港にはまだ独自の窓口がなくて、小さな航空会社が共同で使っている1つしかない窓口に
自ら持ってきたオフィスプレートを置き、そこに1列に並ぶという、嘘みたいな受付シーンでした。
旧YCATからバスで成田に向かったため、遅れたら大変と、かなり早く到着してしまった私は
搭乗手続きと出国審査が済むと、安心してつい居眠りを・・・

発着のアナウンスがなんとなく聞こえてはいましたが・・しばらくして気付くと
搭乗開始時刻がとっくに過ぎている
そのうえ、なにを勘違いしていたのか、搭乗口とは正反対のとんでもないところにいたことに気付いて
なんと締め切り5分前に搭乗するというヒヤヒヤものの経験もしました。
なにもかもが初体験、でもこういう時って女神さまが現れるんですね。
私がギリギリ間にあってホッとしていたら、お隣はまだ空席、このまま飛び立つのかと思った離陸寸前
一人の女性が座りました。
こんなおばさんでも(まだ40代だったよ)エコノミーの狭い座席、お隣が女性でホッとしました。
窓側でしたしね。
一応会釈はしました。
その後、何がきっかけか忘れましたけど、お互いにかなり深くまで話ができ
その方はロンドン経由でアイルランドのダブリンに行くとのこと
年に何度も行ったり来たりしていて、あちらに彼が待っているそう
音楽のプロデュースの仕事をしており、アイルランドの歌手を日本に紹介したり
もちろん日本でもある有名グループ関連のお仕事もしていたとか
アイルランドと言ったら、U2やエンヤくらいしか知りませんけど
あちらの歌手を発掘して日本に紹介するみたいなことを言われてました。
著書もあり、後に買いましたけど、アイルランドでの食事を中心としたエッセイでした。
彼女はもう慣れてますから、ワインを頼んだり、ウイスキーを飲んだり
私は・・・とてもじゃないけどそんな気分にはなれず、ひたすらお茶や水ばかり飲んでいたことを
思い出します。
結局、入国の書類も彼女が書いてくれて、外国人の乗務員には通訳してくれて
とても一人旅とは思えない楽しい時間が過ごせたのです。
これでもう、ヒースローに着きさえすれば娘が待っててくれる・・ようやく不安が安堵に

飛行機はほとんど揺れることもなく、無事イギリス上空に来たことを確認できたのは
サッカーの聖地”ウェンブリースタジアム”が見えときでした。
さあ入国手続きです。
お隣の彼女は「私、何度も行ったり来たりしてるから、目をつけられているのよ、だから
出国に時間がかかるかもしれないの 一人で大丈夫ね、お嬢さんが待ってるし」
そう言ってお別れしましたが・・・
私の番が来ました。
すると審査官のおじさま「kankou? gakkou?]って日本語で聞いてきたのです。
「sightseeing」って何度も練習したのに
日本語で「観光です。」小さな声でやっと言えました。
こんなおばさん怪しいなんて思われるわけがないのです。
だって、ピカピカまっさらのパスポート
このいでたち、疑う余地などあるわけがない
こうして無事、イギリスの地に第一歩を記したわけですが・・
肝心の娘がいない
今みたいに携帯があるわけじゃない、連絡しようにもどこにしたらいいのかもわからない
第一、電話のかけ方もわからない・・かかったところでことばがわからない
どうしよう~なんていっているうちになんか見たことがあるけど真っ黒な子が・・
なんとお嬢さん、去年別れた時より1,5倍くらい巨大になっていた

食べられなくて痩せちゃうよりいいけど、ちょっとこれはまずいんじゃない?
1年ぶりに会った娘は、色気とは程遠いますますワイルドになって母親を迎えてくれました。
ここから母娘2人の珍道中が始まるわけですが・・本日はタイムオーバーになりましたのでここまで
このあとヒースローからスコットランドのエディンバラに飛び、ここでいきなりのハプニング
そしてパニック・・・さてどんな展開になるのでしょう
後半はかなりのスピードではしょって書きますので、よかったらまたお立ち寄りください。