横浜田舎物語

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10年前の今日

2013-08-25 | 変形性股関節症
2003年8月25日

10年前の今日は私にとって人生の大きな転機の一つの日でした。

その4日前、新横浜を出て真夏の日差しじりじりの新大阪に到着

向かったのは守口市にある”関西医大附属滝井病院”

お産以外で入院経験のなかった私にとって病気の、手術の不安以上に
見知らぬ人と同室になってうまくやれるだろうか
家族とも、友人たちとも遠く離れて・・・

ただただ、主治医の飯田先生を頼って、すべてを先生にお任せするんだという
気持ちだけが後押ししてくれていたようです。

病名は『変形性股関節症臼蓋形成不全』

そして4日後の朝9時から始まった手術は約2時間後終了、
それからの2.3日は激しい痛みとの戦いでしたし、1週間の寝たきり生活は
苦痛以外のなにものでもありませんでしたが
それがその後の10年の始まりだったことも確かです。

毎年この日が来ると思い起こすのですが、今年は特に節目の10年

10年目も元気でいろいろやってるよって書きたかったのですが
この1年は急激に機能の低下?
術後の経過は悪くないのに、思うようにならない

手術はしたものの、完治したわけではないからいつかこんな日が来るのではと
覚悟はできていたつもりです。

それでもこの脚で自転車で100kmが平気だったことを思うと
なかなか受け入れることができません。

その上、今年4月の検診では、骨に異常はないから100kmも構わないと言われた。

でもこの痛さはなぜ??

10年前の前年のある日、ママさんバレーで張り切ってた私に突然訪れた激痛
おかしいおかしいと思いながら痛みが治まるとまた続けたバレーボール

股関節がこんなに悲鳴を上げているのに、好きなことはいいようにしかとらないで
夫の反対を押し切ってまで続けていた結果、翌年の春、ちょうど孫が小学校に入学したころですが
100mも歩けなくなって、ようやく事の重大さに気づく有様で

このことはいまだに夫からちくちく言われるのです。

当時は今より体重が多く、それも負担になっていた要因の一つ
最も影響があったのは、やはり加齢による筋肉の低下と、知らず知らずのうちに
関節と関節の間にある軟骨がすり減ってきたことです。

この辺りの詳細はこちらの記事に詳しく書きました。

世の中にはもっともっと大変な病気や苦しみを抱えながら懸命に生きている人が大勢います。

そのような人のことを思ったら、自分の病気なんてとても恥ずかしくて語るほどのものではありませんが
私の人生の節目として記しておこうと思いました。

今日からまた次の10年は何が待っているのでしょう。

明日のことはわからないけど、今日を、明日をなんとか生きていこう

今のつらさもきっと明日は・・・

いろんなことに恵まれすぎてるんだもの、ひとつくらい辛いことだってあるさって思ってね。

しばらくは皆さんにご迷惑をおかけすると思います。
それでもじっとしていられない私をお許しください。
コメント (16)
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