横浜田舎物語

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をお届けします

まだ3か月だよ!

2020-08-24 | 出来事
  20日の朝、浜松に住むすぐ上の兄の奥さん、Tさんから電話です。

<来たな>

案の定  「とうとう力尽きました」

それだけですべてがわかりました。

先月末、個室に移ったと、もう口から食べることも、飲むこともできなくなったからと
長くて9月初めだろうと・・・

長兄が逝ってしまったのが5月半ば、あれからたった3か月だよ~

あまりの出来事に、気持ちの整理ができない

なんとか落ち着こうとブログを書いてみたりしたけど・・

発病してから1年半、なかなか見舞いに行けなかったけど、
今年のGWには夫の提案もあって、予定していました。

ところが、GWどころかステイホーム週間になってしまい断念

その後、長兄の死があり、結局兄には会うこともなく、別れが来てしまいました。

75歳でした。

若いころから登山が趣味で、とうとう100名山を踏破、
その記録を見せられた時、「ふ~~ん すごいね」と淡々と感想を言っただけの私
可愛くなかったよね。
反省してます

すごいことなんですよね、もっともっと褒めてあげればよかった。

小学校は一緒だったけど、中学から女子校に進んだ私とはまったく別の道を歩んだし
就職してすぐに家を出た兄とは接触機会が少なかった。

母の一番お気に入り兄だったから、反感の気持ちもどこかにあったのかもしれません。

女の子は嫌い!ってはっきり言う人でしたから

忘れもしません、兄の結婚式のあと、家に帰ったとたん、私の前で母は号泣したのです。

それを見て、ますます母への反感が強まったことは言うまでもありません。

<母上様 お気に入り息子があなたのもとに旅立ちましたよ>

もちろん別れは辛いけど、そんな意地悪な言葉を亡骸にかけてしまった。

きっと兄はあきれているでしょう。

交友関係が私の比ではない兄だったから、本来ならば相当数の弔問があったはずですが
この時期です。
親友の皆さんですら弔電と供花のみ、皆さん断腸の思いだったことでしょう。

それでも通夜には地元の皆さん、300人超の弔問があったとか

葬儀のやり方は地方によって変わりますが、浜松では”遠州方式”といって
特に通夜の方法に特徴が・・

僧侶の読経、焼香など一連の通夜行事が終了後、まるで流れ作業のように
大勢の方々が、次から次へと弔問して下さるそうです。

我々親族は奥の部屋に移動してしまうため、その様子を知ることも見ることもないので
翌日その事実を知らされ驚いたことは言うまでもありません。

Jちゃん、いい人生だったね。
私とは真逆の可愛い素直な奥さんと、5人の孫に恵まれて、好きなことをいっぱいしてきました。

たったひとつ救われたのは、長兄より先に逝かなかったことです。

あなたが病魔に侵されたときの長兄の落胆ぶりを義姉から聞きました。
長兄は自分より先に年下の兄弟が逝ってしまうことを何より危惧していましたから

とうとう6人兄弟が二人きりになってしまった。

残された次兄と私、その次兄は要介護です。
まったくあてにはならない、でも生きていてほしい、

順番からしたら末っ子の私が全員を見送るのは当たり前かもしれないけど・・
ずるいよ、親との時間は一番短いのに、こんな役目が回って来るなんて

でもね、みんなの供養をするのが私の役目なんだと切り替えて、
もう少し頑張るから、そっちに行ったら<よく頑張ったね>ってほめて迎えてください。

浜松の義姉から帰りがけ言われました

「旦那さんを大事にしてあげてね、いつこんな時がきても後悔しないように」

そうだよね、でもそれって夫婦で共通のことでしょう
どちらがいつ倒れるかわからないのだから、
うちの夫婦はどっちもどっち、でも本当はわかっているんだよ

一番近い兄の死は、終活を真剣にやるよう突き付けられた悲しい出来事でした。



兄が病床で最後に描いた絵です。

光が入ってしまって見づらいですが、幼いころから絵が上手だった。
やさしい色遣いに、兄の思いが重なり胸が詰まって、涙がこみ上げてきます



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