・・・10月26日の朝刊の一面に、『正倉院宝物1250年ぶりに確認』と云う記事が掲載されていました。
・・・写真で見ると立派な太刀です。
記事によるとこの太刀は明治時代に大仏の座っている足元から発見されていたそうです。
しかし、太刀の消息が判らなくて、今まで『東大寺金堂鎮壇具』として国宝に指定されていたそうです。
・・・今回、上の写真の様な保存修理に伴うX線写真を撮ったら、『陽剣』、『陰剣」と云う文字が出て来たので、759年光明皇后が正倉院から持ち出した、『国家珍宝帳』に載っている『陽宝剣』、『陰宝剣』であると判った。
・・・これまでが記事に書いてあることですが、私が記事から思ったのは光明皇后は756年に、夫である聖武天皇がなくなってから愛用していたものを、『国家珍宝帳』という目録に載せて、国の倉庫である正倉院に献納している。
上の二振りの剣はその目次のトップに載っていたそうなので、もっとも大事な聖武天皇の肩身だったと思います。
それを光明皇后が亡くなる一年前に『陽宝剣』、『陰宝剣』を皇后、自ら正倉院から持ち出し、聖武天皇の最大の事跡である、大仏を守る為に足元に埋めた(埋めた記録はない)ということは、光明皇后が死を感じたときに、どうしても、夫の為にやっておきたかった、ことだったと想像せざるを得ません。