・・・二子山と云う名が付いている古墳は日本全国にあるので、判別の為に、上に古墳がある地名をかぶせる。 今回訪れたのは愛知県春日井市味美にある古墳なので、味美二子山古墳と云う名前が付いている。
築造された時期は六世紀前葉で形は前方後円墳です。 この古墳の特徴はちょうど同じ時期に作られた思われる、大阪府高槻市の継体天皇古墳と同じと形と考えられている。 今定塚古墳(全長190m)の形は相似形で寸法は正確に二分の一の大きさです。 また、同じ時期に作られた、名古屋市熱田の尾張の連の断夫山古墳(全長150m)とも相似形で、大きさは断夫山古墳の約60%の寸法です。
このころの古墳は形や規模の違いは古墳の主の生前の身分や実力を示すと云われているので、この墓の主は継体天皇や尾張氏と同じ時代に活躍した有力な人物と考えられています。
一説には継体天皇妃で、安閑・宣化天皇の母である尾張の連草香の娘、目子媛の墓ではとの説もあります。