ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

「自分の意見を書く」ということ

2015年01月30日 07時06分42秒 | エッセイ

・・・最近、新聞の紙面でよく報道されるのは「私はシャルリーだ」とか、「表現の自由をまもれ」などのスローガンの全世界でのデモの様子である。
  ある意味、社会全体が、対イスラム国と云う立場で言論がまとまっている感じがして、そのことは、正しいのではあるが、何か気になることがある。
  私と同じ感じを抱いている人のを、新聞面の記事で、幾人か見かけた。

  私も、ブログに、簡単ではあるけれど、自分の意見を書いていると、考えを整理して文章で表すと云う事の問題点に気づく。
  その問題点とは、如何いう事かと云うと、
  意見として、文章にまとめると、ある視点が明確になる、しかし、本当はその視点には、書かれていない、それ以上の何かが、まだ残されている気がする、目に見えることや、知識として理解している以外の、今は把握できていない何かがある気がし、それはまだ、表現できてないので、意見として、全て言い切れないものがあるのではないかと思う。
  そのことをわきまえて、常にまだ十分言い切れないと云う立場で、意見を書かないと、また、他人の意見を読んでいないと、いずれ間違いを犯す気がする。
  そういう立場で考えれば、社会がどんな不条理であっても、色々な立場の声が聞こえないと云う状態は良くないのではと考える。

コメント
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