・・・表題の「御肇国天皇」は日本書紀に「ハツクニシラス・スメラミコト」と書いてあって、11代の崇神天皇のことである。
日本書紀では神武天皇と崇神天皇の二人が同じ読みで、二人とも、初代天皇と書いているが、古事記では崇神天皇のみを初代天皇と書いている。
古事記では崇神天皇を、「初国知らしし御真木天皇」と書いている。
多分、古事記のもとの帝紀には、崇神天皇のみを初代天皇と書いていたと思う。
奈良時代にあった、常陸風土記にも、初代天皇は崇神天皇と書いてあるので、古代の列島の地方では初代天皇は崇神天皇と云う認識があったらしい。
そのほかに、21代の雄略天皇の頃(471年)に作られたと思われる、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に書き込まれている銘文からは、鉄剣を作ったヲワケの臣の系譜の八代前が初代の名前は意富比𡉴(オオヒコ)で、崇神天皇の頃の書紀の文に書かれている四道将軍の一人大彦にあたるとかいてある。
つまり五世紀後半の列島では天皇系譜の一番古い初代天皇が崇神天皇と云う意識があったらしい。
崇神天皇陵と云われて宮内庁が管理している行燈山古墳は四世紀前半に作られたとされている。
崇神天皇が天皇の初代で四世紀前半と考えると、卑弥呼のいた三世紀後半からの間の数十年の歴史が不明であるが、それが分かると、邪馬台国とヤマト朝廷の間をつなぐ歴史発見となる。