・・・以前、奈良の橿原神宮に行った時に、神宮が当地の熱田神宮のように古いものでなく、明治時代創建と効いて、変に思ったことを記憶している。
神武天皇陵も明治時代に決定したらしい。
何故なのか、とても興味のある話です。
そもそも、最初に日本の天皇の皇祖が必要としたのは、大化改新を契機として、天皇中心の国家体制を始めた672年頃とされている。
そして、初めての正史、日本書紀編纂にあたって、初代天皇として、神武天皇を作ったと云われている。
その時には早くも御陵があったと書かれているが、それ以後、長らく皆から、忘れ去られていて、国家体制として、天皇中心が必要になった明治維新になり、皇祖、神武天皇が思い出され、神武陵と橿原神宮が明治になって、改めてきめられたわけである。
日本書紀を編纂する際に、辛酉革命説を取り入れていることがよく知られています。
辛酉革命説は、60年毎に廻ってくる辛酉の年には、天意による革命が起こり、1260毎には、大きな時代の転換が来るとする説です。
日本書紀では、古代が終わると、初期編纂時のころに考えた推古天皇九年の辛酉より1260年さかのぼり、紀元前667年2月11日を、神武天皇45歳の時、日向より発進し東征を開始した時としたわけです。
そして、明治7年から2月11日を、それを祝う紀元節とした。
最近、また、政権によってナショナリズムを煽り立てた、戦前回帰のような話が色々と出ているが、そのうち神武天皇が、明治に続いて、改めて教育に復活するかもしれない。