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ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

ベアテ・シロタ・ゴードンについて

2017年09月26日 07時14分34秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・自民党や野党などの改憲派は日本国憲法は占領軍に作られた憲法だから、
  日本人による憲法を改正しなくてはいけない、とか、
  自衛隊が現状、存在するから、軍隊を持たない憲法条項と合わないから、憲法を改正すべきだとか云っている。本当にそうなんだろうかと疑問を持つ。
  しかし、そんなことが改憲の理由に挙げることは論点が間違っているように私は思う。

  そんな中で、憲法草案を作った人の一人の女性、ベアテ・シロタ・ゴードンの履歴を調べて、日本の政治家の考えのなさに、改めて、がっかりし、彼女の考えていたことを、なぞってみた。

  ベアテ・シロタ・ゴードンさんは戦後の占領軍の中で、憲法草案に携わった一人として、有名である。
  1946年2月4日、ベアテを含めた民政局行政部スタッフ25人は民政局長に召集され、GHQによるモデル憲法草案起草の極秘命令を受ける。
  
3名で構成された人権小委員会でベアテが担当したのは、社会保障女性の権利についての条項であった。
  とりわけ女性の権利」については、当時の世界の憲法において最先端ともいえる内容の人権保護規定をベアテが書いた。
  アメリカ合衆国憲法には、60年経過した現在
も「両性の本質的平等」にあたる規定が存在せず、彼女の草案が世界的に見ても画期的であり、見方を変えれば急進的であったことがうかがえる。

  しかし、1990年代半ばまで、彼女自らが憲法草案に関わったことは公表していなかった。その理由について「自分の存在が改憲派の学者に、悪いように利用されると思っていましたから」という。
  いま、改憲派の学者や政治家が云っているようなことを、彼女は最初から、そのことで本質的な問題をすり替えられることを予想していたようだ。
  
   しかしながら、彼女が考えた人権規定の精神は、現行憲法では第24条第25条第27条に生かされることになった。
  彼女はユダヤ人で、戦時中ナチスから逃れ、長らく日本に住んでいたので、自分の故郷は日本と感じていたことも伝えられている。
  そして、一緒に暮らした日本人から、戦前の女性・子供の人権軽視の思想があったのを知っていたので、新憲法に女性の人権条項を盛り込もうとした。
  おかげで、女性や、子どもの人権が、守られるような条項が日本国憲法に入っているのである。

  日本国憲法には、より進歩的な条項が彼女によって書き込まれていたが、米軍内の男性の上司や日本の政治家につぶされ、消えてしまった人権項目が多々あった。
  戦後の日本の歴史の中で、今、それらの人権条項が日本の女性の政治家や活動家、学者達によって復活している。

  以上、彼女についての内容は、インタネットに書かれている文章を参考にした。

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