・・・先日、トマトの収穫の報告をした。 まだ、早いと思っていた小玉スイカが自然に割れたので、やむなく収穫した。 甘さは少し甘味が足りませんでした。
一緒に写っているキュウリとオクラは庭のプランターで育てている野菜の収穫です。 収穫したスイカは昨年の小玉スイカより甘さが劣っていたのですが、 スイカの甘さが少なかった理由は、スイカの表面全面に太陽光が均等に当たらなくて、同じ面にのみ光が当たっていたためかもしれません。
・・・先日、トマトの収穫の報告をした。 まだ、早いと思っていた小玉スイカが自然に割れたので、やむなく収穫した。 甘さは少し甘味が足りませんでした。
一緒に写っているキュウリとオクラは庭のプランターで育てている野菜の収穫です。 収穫したスイカは昨年の小玉スイカより甘さが劣っていたのですが、 スイカの甘さが少なかった理由は、スイカの表面全面に太陽光が均等に当たらなくて、同じ面にのみ光が当たっていたためかもしれません。
…今、現在は太平洋戦争(第二次世界大戦)を戦った経験者は、若い人で80歳代、当時責任があったような人は90歳代の年になっている。 後、10年も経つと、戦争経験者はこの世から、ほとんどいなくなってしまう。 今は戦争経験者の口から、戦争のもたらす問題を生活体験として、語られて、聞いた人は実感が湧く。
私が小学生のころの、教師のほとんどは戦争経験者でした。 男性教師は兵役を経験していました。 今、話題になっている、体罰は、兵役経験者の教師としては、当時、こぶしで頭を、たたく、くらいは体罰とは考えていなかったように思う。 平手打ちで生徒が倒れるような殴り方を日常教育の中でやっていたように記憶している。 そういう中で、経験として、戦争の悲惨さや間違いを、我々生徒は、教えられていたように思う。 その結果、われわれ世代は高度成長時代を支える社会のモラルも経済も世界では、日本的といわれる特異な形で健全に社会の発展を支えてきた。
ここ最近の20年の日本社会は日本的と云う社会の形から、論理的な意味が重要視される西欧化社会に転換し、その結果、以前に比べると、,我々から見ると、何となく、おかしくなってきている。 議論すると論理的で一見正しいように見えるが、昔からの日本的な生き方が、軽んじられる社会になってきた。
私が小学生の頃は学校の帰りに、雑貨屋さんに寄り道し、軒先で縁台に座る、日露戦争に参戦した老人の話を聞いたり、 母親からは、彼女が子供のころ、近所の年寄りが鳥羽伏見の戦いに参加した老人から、戦争の悲惨さを聞いたりしたことを私がマタギキで聞かされたことを覚えている。
こういう、近代日本が進んできた戦争の負の道筋についても、われわれは生活の中で見聞きしてきた。 しかし、日本人がもう60年間、戦争を経験しなくなって、戦争経験は、直接、毎日の生活の中では,見聞きしたり、感じられない、歴史の中の出来事になってしまった。
歴史を考える時は、事は論理的思考の対象になり、生活の経験とは、かけ離れてくる。 そうすると、今の置かれている状況から、論理的に、正しければ軍隊を持つようになり、外国の戦争に派兵するようなことになっていくでしょう。
昔、日本人が苦しんだ戦争の生活経験は生かされなくなっていく。 肌で感じる痛みを時と共に、忘れる人間は、それを引きおこす間違いを犯してしまう。 そして、過去に反省した同じ過ちを、また繰り返してしまう。
・・・先日、トマトが赤くなってきたことを述べた。
種から、育てた6本のトマトを昨日、収穫した。
かご一杯のトマトを収穫した。
夕食に収穫したトマトをサラダに、料理してもらって食べた。
・・・梅雨明けが宣言され、七日間の真夏日が続いている。 さすがに朝も、時間が遅れると走るには暑いので、五時半には家を出た。 日の出が遅いころは毎朝、見ていた赤い日の出の太陽を久しぶりに写真で取ってきた。 どこで撮るか走りながら考えて結果、まだ、稲の背丈も低い水田を前景に雑木林の上から、顔を出す赤い太陽の写真を撮った。
カメラの露出をもう少し工夫すれば、よかったが、構図としては良い写真が撮れた。
・・・我が家の庭のプランター菜園には、今年、種から育てた6本のトマトに実が付いた。 毎日、朝と夕方に水やり等をして世話をしている。 実がだいぶ赤くなってきたので、もうすぐ食べれそうです。
「我が家のプランターのトマト」
かなり実は赤くなってきたがもう一息、更に、美味しく食べるのに、赤く熟してほしい。
・・・我が家の前の道はこの地方の幹線道路なので、四六時中、車の通行が絶えない。 住んでいる者としては交通の便が良くなるが、騒音には悩まされる。 交通量のある道筋に新たに家を作る場合は覚悟し、それなりの対策をして、家を建てるが、我が家は30年来、当地に家を構えているが、道路が幹線道路として開通したのは二年前である。 その時から、騒音が始まったので、家も人間も対策は出来てないので、毎日の生活が大変である。 一番困るのが夜中に集まってくる、排気音をむやみに大きくしたモータバイクの嫌がらせ走行。 その次は夜中に高速で走る大型車のタイヤ音、そして、頻度が多い緊急車両のサイレン音と、交差点で注意を促すスピーカーの声。
その中でも、特に問題なのは、排気音の大きい改造バイクの走行音。 これは悪意を持った音なので、騒音以上に家にいて寛いでいる、または寝ている人間をイライラさせる。
先週の金曜日の真夜中一時ごろ、昼間から、時々来ていた騒音バイクが十分間くらい、一キロくらいの区間を繰り返し騒音を発しながら走行していた。 その音を聞きながら、上から、水でも浴びせてやろうか、はたまた、障害物でも置いて転倒させたら気持ちがよいのになどと、妄想しながら、いらいらと騒音を聞いていた。 その時、パトカーのサイレンが鳴り、すぐさま、遠くにバイクが逃げていく様子が聞こえました。 誰か、近所の人があまりにひどいので、警察に通報したのでしょう。 私には西部劇のアパッチを追跡する騎兵隊のラッパのように、日頃はうるさいパトカーのサイレンを心地よく聞いていました。
・・・自分の足の採寸をして、五分の一の型紙を作り、靴作りの基本的な課題を探るためにミニ靴を作った。 ミニ靴を作る過程で、靴製作の基本事項が、わかってないことに気付いた。
自分の足型の木型を削って作ったが、靴を組み上げていくときに完成してから、バラシテ取り出せる木型がいることに気付いた。 その時は、バラセル木型を作ることを諦めて、今作った木型は中に入れられないままに、ミニ靴を作った。
一応、靴らしいものは出来た。
その他に学んだことは、木型と足形と同じ寸法・形のものでは良くないらしいことをインタネットで調べているうちに知った。 どう云う事かと云うと、木型を作る時は、足の長さは実際の足より、少しつま先を長くし、また、幅は実際の足より、小さくするものらしい。 そして、木型は組み立てるときは靴の内側に入れ、完成してから、分解して取り出せるように作るらしい。 作る前から、予想はしていたが、過去の経験からくる、技術やノウハウが、靴づくりには多いようだ。
・・・東北沖大震災以来、昔の災害の記した古い記録を研究することが多く行われていて、また、そのことがニュースになっている。
それらの昔の科学的な観測記録のなかに、珍しい記録があったことが新聞記事に書かれていた。 それは、ある時点から、夜空に急に輝きだす超新星の話題である。
超新星の爆発は、最近の進んだエックス線天文学で研究されることなのかと思っていたら、平安時代の超新星の爆発について、詳しく藤原定家の「明月記」に記録されているそうです。 定家自信が超新星を観測したのではなく、陰陽師で有名な安倍晴明一族が、行った正確な観察記録によるものらしい。 その頃のヨーロッパには、全く、その超新星が輝いたという記録はなかった。 下に、藤原定家の「明月記」の資料を転載する。 昔の日本も、その分野では、自然科学が進歩していたのである。
〈参考〉 < 後冷泉院・天喜二年(1054年)四月中旬以後の丑の時、客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し。(原文読み下し) >
明月記断簡(大阪府立中之島図書館蔵)
・・・私は今まで、ミニ靴以外靴を作ったことが在りませんが、やれば何時かは自分で、マイシューズを作れると思っています。
ミニ靴を作った経験から、まず靴を作るのには自分の足形が必要だと思いました。 そこで、自分の足の三方向からの写真を撮って図面を起こすことにしました。
写真をプリントアウトし、プリント上の寸法を拾って、自分の足の実寸に換算し、その値をもとに、自分の足型の平面図、側面図を書きました。
上の型は実寸の五分の一の縮尺で私の足を紙型に起こしたものです。 三次元的には多少、目分量になっていますが、自分の足の木型を削りました。
これをもとに自分の足に合うミニ靴を作ってみて、革靴作りの勉強をしょうと思っています。
・・・昨日は全国的に暑い一日で、今日も昼前にして耐えれないほどの気温になっている。 朝も七時ごろはまだそれほどでなく、外を走ってきた。 今は、春先に比べると花の種類が減ってきたが、それでも今の時期でないと見れない花が咲いているね。
今は畑に咲く花が多いのは、その花が畑の野菜の実に成長し始める季節だからでしょう。
・・・女性用のミニ靴を、家人の靴を参考にして作ってみた。
まず木を削って、適当な大きさでオス、メス型を作って皮を濡らして乾くまで、型にはさんで成形した。
靴の下半分を革を削って踵を作り、サイドを黒色に塗った。
後は上と下を貼りあわせ余分なところを切り取り仕上がりです。 靴の長さは約五センチです。
・・・一度に500㌘の生豆を焙煎する。 自作の焙煎器の一回に容器に入る適量は150㌘程度なので、三回に分けて行う。
一回焙煎が完了するまでは20分くらいかかる。その間焙煎器のハンドルをゆっくりとまわしながら、ぼっとしている。 こういうひと時を得るために長い間働いてきたと思いながら、このひと時をかみしめているが、実際には、リタイアー後、ある程度の時間が過ぎると、その喜びは大した感動ではなくなっている。
…僅かばかりであるが株を持っている。 従って、売るつもりはないが株価の変動は興味を持ってみている。 この処、また為替の円安に連動して株価が上がっている。
「5/22の最高値と6./13の暴落の日」
最近の日本株価の大幅な変動は自動的に売買する外国ファンドによるのが原因らしい、したがって、世の中の経済活動とは関係なく、あるシステムによって動いていると思う。
昨日の火曜日の終わりには最近にない高値を付けていた、為替は100.3円/ドルで、株価は14,098円である。 この先どう動くか興味のあるところであるが、私は、上のグラフから、株価の次の頂点は七月中ごろ、為替は102円、株価は14,800円とみている。 予想が当たるでしょうか。
・・・ブーツの革は革質としては、大変良いものですが、再活用ためにバラバラにした古いブーツの革の幅は狭い。 この理由は、おそらく足の太ももの形状に合わすために幅の狭い革を組み合わせて作っている為であると思う。 今回のカメラケースの製作も、ブーツをばらした革を継ぎ合わせたので、革の幅は狭く、継ぎ合わせて、幅を広くして使用した。
中心部に革を継いだ線が見える。
裏には、ズボン・バンドの通しが付いている。 サイドの上には金具をとり付けれるようにしてある。