・・・種から、育ててきたトマトの苗を畑に地植えしました。
種を買ってきて、庭でポットに蒔いて苗を育ててきました。 10センチくらいの背丈に育った苗を畑に地植えしました。
今日は強い風が吹いていたので、ビニールの袋を利用して、植えた苗を囲いました。 風防止の目的と共に、鳥などに食われることから、苗を守れると思います。
・・・種から、育ててきたトマトの苗を畑に地植えしました。
種を買ってきて、庭でポットに蒔いて苗を育ててきました。 10センチくらいの背丈に育った苗を畑に地植えしました。
今日は強い風が吹いていたので、ビニールの袋を利用して、植えた苗を囲いました。 風防止の目的と共に、鳥などに食われることから、苗を守れると思います。
・・・今回のハワイ旅行のたのしみのひとつに、防水・防振カメラの使い勝手を調べることにあった。
フジフィルムのFinePix XP70を行く前に購入した。 性能は普通のデジカメの他に、10メートル防水、防塵、1.5mの落下に耐える性能です。
今回ハワイでの「水中で楽しむツアー」でカメラの防水性能も確かめた。 下に水中撮影した写真を載せる。
「ウミガメと水中カメラマン」
「ツアー客と魚」
「寄せ餌で集まった魚」
私はジョギングにカメラを持ち歩くので、今まで、走る衝撃とカメラの落下で、何台かデジカメを壊しているので、前から、防振性能を持つカメラがほしかったので、これからは、このカメラを愛用するつもりです。
・・・真珠湾にアメリカ航空博物館があります。 場所柄、日本軍の真珠湾攻撃に使われた機種を中心に実物機を展示してあります。
上の展示の右の展示機がゼロ戦の実物機で、右の橙色の機種は真珠湾上空で、日本軍と最初に遭遇したアメリカのセスナ機だそうです。
屋外に胴体着陸したB29機の残骸です。
左側に戦後のジェット戦闘機の代表的な実物機が屋外展示してあります。
そして、右側の三階建ての管制塔は真珠湾攻撃時の管制塔だそうです。
ゼロ戦の実物機は世界に二機しか、存在しなくて、貴重な実物を見れて良かったです。
昨日の夕方にハワイから日本に帰ってきました。
・・・十五年前に、ハワイに来て、真珠湾を訪れたときは、戦艦水リー号はまだ展示されてなかった。 この船は湾岸戦争でも二百発以上弾丸を発射した実績がある、最後の戦艦と言われている。 就役したのは私が生まれる以前の話だから、長い期間働いていたことになる。
「戦艦ミズリー号の船首の主砲」
日本の戦艦大和など、形とか性能などのデーターは知っていたが、実物の戦艦の実物を見て、ただその大きさに圧倒されました。 この船は長さは大和と同じらしいが幅が狭いので、排水量が一万トンくらい大和より少ないとのことでした。 とても感動した見学でした。
・・・旅行中はなかなか、いろいろな雑用があって、ブログを書いている暇がない。 昨日はダイヤモンドヘッド登山をした。
「のぼり口」
ここは軍の着弾観測所の跡らしく、今もって、火山の火口には軍の施設があった。 山頂まで、バスを降りて一時背間くらいの居であったが体力的には大変疲れた。
「眼下に見える、ホノルルの住宅地」
帰りのバスが来ないのには困った。現地の観光客も含めて、三十人くらいが、バス停で一時間待っても来ないのに通りがかりのタクシーをひらって帰った。 ホノルル近辺のバスはとても使いづらい。 時刻表もないし、時間を守らない、などなど。 次からは近辺はタクシーにするべきだと思った。
・・・夜中に喉が渇いて何度か目がさめたが、それほどの時差ボケもなく朝六時に起床した。 歩いてすぐの浜辺にて出ると、朝日が登り始めた浜辺はとても海が輝いてきれいでした。
「早朝の浜辺」
明るくなると、年寄りが多いせいか、朝早いのにかかわらず、たくさんの人が散歩やジョギングをしています。 よたよたした感じで走っている人も時折、見かけられます。
「大木のそばを走る年寄りランナー」
外人のランナーが多く、八十歳を過ぎたような年寄りが走っているのに驚かせられます。 私も、まだまだ走らなくてはと思っています。
・・・久しぶりに、海外にきました。 ハワイは私は五度目です。 と云っても前回来たのは10年も前です。 時差はマイナス15時間です。 今は5月の8日の午後6時です。 日本時間では5月9日の午後一時かと思います。 昨日は飛行機の中で眠れなかったので、今日は1日眠いです。
午前中ホテルに12時にチェックインして、一時間ほどWi-Fiを接続するのに格闘していて、今は快適につながっています。 上の写真はホテルの部屋のラナイから、ワイキキの浜に向かって、今撮った写真です。
また、報告します。
・・・エッセイの本を読んでいた。 その中で、古代史に関わる、私には面白い話が出ていた。
私の実家に近い大阪府の高槻市に「安満」と云う名の弥生時代の遺跡がある。 その本には、地元の高校の先生が、この遺跡の花粉化石を調べて、次のようなことを突き止めたと書いてあった。
BC300~AC100の間の花粉化石を調べると、このころ、この遺跡の付近では照葉樹林の森が伐採や火災で破壊され、赤松の林に替わっていったことが分かったとある。
そして、弥生時代、以来、戦前まで、人は赤松林の下草や柴などを刈って生活してきたので、赤松林は良い状態に保たれてきた。
話は飛ぶが、マッタケはご存じのように赤松の根に寄生して生えるので、人々はづっと赤松の恵みのマッタケを食べてきたのです。
幼少の頃に、私は父に連れられて、高槻市の山にマッタケ狩りに云った記憶があるので、その話は余計に感慨深かかった。 今はその場所も赤松の生える山は無くなって、大阪のベッドタウンの住宅地になっている。
今日の話は、私の思い出と、最近、読んだ本の話が、混ざって判りにくかったと思うが、要約すると、
日本は弥生時代の頃まで、照葉樹林の森で覆われている場所が多かったが、人が木を伐採して、窯で焼き物を作り始めたころから、赤松が日本に生え始めたらしい。 従って弥生時代の頃から、人がマッタケを食べ始めたと考えられる。
・・・一昨日、沖縄では梅雨に入ったとか、報じられていた。 しかし、関東は初春の気温だったとか。
ジョギングの時に田んぼコースを走っていると、日、一日と田植えがされていて、今のところ、50%くらいの割合で田植えが進んでいる。
「田植えの前の田んぼ」
「田植えが終わった田んぼ」
冬の間、いままで、一面、草だらけだった田圃が、見渡す限り水が満たされた様子は、とても美しいものです。
・・・昨日のケース作りに続けて、付属の部品を入れるケースを別に設計して作った。 本体のケースと部品入れとはマジックテープで合体するようにした。
「合体させたケースと部品入れの完成品」
「合体させるためのマジックテープ」
「本体ケースのパソコンと、部品ケースの部品」
部品と云うのは、写真のように、右からマウス、次が、電源コード、左のポケットにはUSBハブとカードリーダーを入れています。
割合、全体をコンパクトに作ることが出来た、本体ケースと部品入れが、しっかりつくように大き目のマジックテープを使用した。
・・・Tablet型パソコンのケース製作をはじめました。
革の工作を始めるときの私の手順は最初、私の使い勝手の良い様な設計から、はじめます。 今回も設計から始めました。 今回、特に工夫した設計点は、Tabletパソコンの付属品も収納できるケースを付けたり、外すしたり出来る工夫をした事です。
今日は本体ケース部分の製作をしました。
「出来上がりのTablet型パソコンのケース」
ケースの 表側にスタイラスを入れるポケットを付けました。
「Tabletパソコンを収納した写真」
次に充電器なども収納出来るケースをつくります。
・・・今、読んでいるエッセイの本のなかに、表題の「湯呑には何故取っ手がないのか」と云う事について文書があった。
面白い課題なので、インタネットで、理由を調べたら、 その理由として、日本では江戸時代以前、湯呑茶碗に使っていた食器は木椀だったらしい、木工のロクロで碗を仕上げると、取っ手をつけにくい、また、取っ手がなくとも、碗を手で直接、持っていても、手には熱くなかったからと云うのが理由らしい。 それを読んで、なるほど、もっともな理由ではあると思った。
私が読んだ本では、日本の湯呑に取っ手が無い理由は、日本では伝統的に掌の感覚を大事にする文化があるから、取っ手のない、手で持つような茶碗になって、進化したらしい。 朝鮮半島から、茶碗文化が、伝わった、その昔は取っ手が付いていたらしい。
それは日本の鋸やカンナが、外国のカンナや鋸のように押す道具でなく、引く道具として進化したのと同じ理由らしいと書いてあった。
真の理由は判らないが、どちらも、「茶碗に取っ手が無い」理由としてはもっともらしい気がした。
・・・昨日、Windows8は使うには、難しいと云う事を書きました。 昨日も一日、使っている中で、色々工夫して、使いやすくなってきました。 Windows8独特のタイルを貼ったトップ画面でなく、従来タイプのデスクトップ画面を使うとかなり使いやすくなりました。 使い勝手はタブレットなので、画面は小さいので、それだけはどうにもなりません。 そこで、無線タイプのマウスとキーボードを使おうと思っています。 マウスを使うとそれだけでも、かなり使いやすくはなりました。
・・・最近、朝、起床して、直ぐにラジオ中学英語講座をよく聞くようになった。
「ジョギング途中で見たアヤメ」
老人には、今さら英語の勉強でもないので、趣味の一つの楽しみとしてラジオを聞いている。
そこで、ラジオを聞いていて、いつも感じるのは、我々が学んだ半世紀前の英語教育と違うのは、今の英語教育で重視している発音教育である。
我々の時代は発音などは辞書で見る発音記号以外は一切勉強しなかった。 従って、習ったのは日本語発声法による、英語でした。
今、ラジオを聞いていて、感じるのは、発声教育の違いで、子どもの頃に英語の発音がきちんとできていると、英会話は楽に習得できると思うに至った。